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4月27日(水) 党内の 長い議論の 終着点 郵政問題 まだ綱渡り

170427

 午前中、各種執筆。正午から清和研幹事会。
 午後1時半から自民党政策審議会。幾つかの法案審議があったが、何と言っても、この日の中心課題は“郵政民営化法案”。反対の委員が、延々と持論を弁ずるので、予定終了時刻を過ぎても、議論が終わらず、午後4時前になって、政調会長代理の柳沢先生が職権で議論を終結。
 引き続いて、午後4時から総務会。この場も、冒頭からこの郵政民営化法案を総務会の議題にするか否かという点から紛糾をして、法案説明にも入ることが出来ない。2時間余り経過して、ようやく法案説明。その後も、法案内容を巡って賛否両論が総務会で飛び交い、なかなか取りまとめにならない。総務以外の人たちも随分多く、この総務会にオブザーバーに来ていたが、総務会長の判断で発言を許す。私からも、全国郵便局ネットワーク維持の需要性と新規事業展開への援助について、2度発言を行った。
 結局、7時半過ぎになって、ようやく総務会長が全体の議論を集約して、幾らかあいまいな部分を残した形ながら、内閣がこの法案を国会に提出することは認め、政府と自民党が亀裂を生む事態だけは回避された。しかし、議論の場をこれから国会に移すことになるが、この中でも、反対派メンバー反対論陣を張る構えであり、まだまだこれから先が大変という印象である。
 この総務会が長引いたため、午後6時に開始の第2回青少年育成国民運動を巡る懇談会へは大幅に遅れてしまうことになったが、タクシーに飛び乗って駆けつける。そこでは、今後、具体的に青少年育成の運動をどんな形で進めてゆくかということについて、意見交換を行った。
 全て終えると午後9時前。振り返って何とも激しい議論を行った1日であったと、ホッと一息。

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4月25日(月) 中国の 客を迎えし 臼杵路は 若葉香りて 夢はるかなり

170425

 前日の日曜日、自民党新居浜支部拡大総務会。東予青年会議所30周年記念式典、中畑保一氏褒章受章祝賀会の後、八幡浜市に出て、フェリーで大分県臼杵市に渡り、宿泊。
 そしてこの日は、朝、臼杵市役所の職員山田さんが、宿まで迎えに来て下さり、臼杵市内の古い街並みを歩いてご案内して下さった後、大分県庁に広瀬知事を訪問。広瀬知事は、江戸後期に豊後日田に咸宜園を建て、約4000人の塾生の指導にあたった広瀬淡窓の御子孫とお聞きしているが、知事として人の育成に力を注いでおられるということであり、これから臼杵市に建設を計画している「励志碑林」の考え方を説明し、協力を依頼する。
 それから、臼杵に戻り、臼杵石仏近くの「励志碑林」建設候補地等を見せて頂いた後、宿へ。ここで、中国敦煌市から来られた中国側「励志碑林」責任者の姜さんと張さん、そして日本側代表の鍵山秀三郎さんと合流し、今後の運び方について、約1時間話し合いを行う。
 その後、この日は、後藤國利臼杵市長が夕食の場を用意して下さっているということで、海岸の料理店へ。そこで、食事をしながら、この「励志碑林」建設の相談をさせて頂いた。結果として、石碑を製作する費用は、日本側建設委員会が募金を集めて整え、石碑作りは敦煌側建設委員会が行う。そしてそれを臼杵市、敦煌市姉妹都市締約10周年記念事業として、敦煌市から臼杵市に寄付する形で実現を図ろうという話になった。
 今、日中関係が反日運動の高まりの中でギクシャクとしているが、こんな時こそ、両国民が相手国民を深く理解し合うシンボルとして、この種の事業を行うことに大きな意味があると思う。これからまだ道は遠いけれど、誠心誠意心を込めて対応してゆきたいと思う。

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4月19日(火) 夢を出せ 知恵元気出せ 日本の 生命の父さん 島村農相

170419

 朝、宿舎で執筆後、10時から政審。11時から総務会。その後、部会等があり、午後1時から本会議。そして、財務金融委員会。それから、ロボット介護についての取材。臨床心理士の国家資格を目指す議員連盟会合等。
 この日ご報告しておきたいと思うことは、夕刻6時半から、平河町のマツヤサロンで、“島村宜伸先生の農林水産大臣就任をお祝いし、音楽を楽しむ会”を開催したことであった。主催は、自民党音楽文化振興議員懇談会。自民党本部の会議室で、今後の音楽文化の振興をいかにするかと言葉で語り合うだけでなく、音楽そのものを一緒に楽しみながら、心から交流してゆこうということで、この数年間、年に1度開催している会合である。今回は丁度、会長である島村宜伸先生が農林水産大臣に昨秋ご就任になられたので、そのお祝いも兼ねて開催したものであった。出席者約80名。
 この会には、日本を代表するジャズ・バンドであるデキシーキングスや江戸小唄の中村市之輔さん、また日本シルクロードクラブの皆さんもお祝いに駆けつけて下さり、議員側では古屋圭司先生のクラリネット演奏、そして私も2曲歌を歌った。その1曲は、農林水産省応援歌。生命を育む省である農林水産省、そして島村大臣の活躍を願う歌であった。
 とてもなごやかな雰囲気の中で、会が進められ、最後が議連幹事長の私からの挨拶であった。そこでお話したのは、国は音楽を失うと滅びてゆくのではないかということであった。みんなで一緒に歌い、みんなで一緒に楽しく踊ることのできる音楽があればこそ、人の心が和み、心を合わせることのできる国になる。だから、みんな歌、音楽の満ちる日本の国にしたいと思っているとお話をした次第であった。
 音楽には大きな力があると思う。これから、この音楽の心を日本中、世界中に広げてゆきたいと思う。

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4月17日(日) 合併で 枠組み変わる その中で 知恵を出せるか この選挙から

170417

 朝、自宅で新聞に目を通し、少し執筆をした後、西条市へ向かう。
 西条市、東予市、丹原町、小松町の2市2町が昨年11月に合併をして、人口約11万5000人の新しい西条市が誕生したのであるが、それまでの議員が在任特例で残っていたのが、余りにも数が多すぎるという批判が強まり、在任特例期間を切り上げて、自主解散。この日がその告示日であった。そこで、自民党系の候補の事務所を激励の意を込めて回ったのであるが、それでも42カ所。更にその間に幾つかの用事をこなしていったものだから、朝9時半に家を出て、全部回り終えたのが午後5時であった。それから5時12分、壬生川駅発のJRに乗って上京。
 このJR車中で、これから先の地域のことに思いを巡らせた。合併というと、その理由としてよく語られるのは、地方の財政の厳しさである。三位一体改革策で、補助金が削減される中で、地方自治体は、合併により、公務員削減や重複事業の整理、効率化を図ってゆかなければやってゆけないから合併するのだと言われる。これはこれで勿論正しいのであるが、同時にもう1つ考えておかなくてはならないのは、地方自治体の範囲が広くなるということは、地方自治体がより多くの可能性を持つということになるということである。首長や議員は、長い間の地域の枠組みが新たになったところで、新しい要素をいかに織り込みながら地域づくりを進めてゆくべきかという知恵が求められることになるのである。地方議員にこれからその知恵が求められる時代になると思う。
 だから、今回の市議会議員選挙では、候補者皆さんには、思い切り地域の夢を語ってもらいたいし、地域住民皆さんも色々な疑問や問題を感じておられるだろうから、じっくりと語り合ってもらいたいと願っている。
 新しい議会が構成されれば、いよいよ新・西条市が本格的に始動である。今後の発展を楽しみにしたいと思う。

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4月11日(月) 地元回り 3市になりて 楽になる その分きっと 市長が大変

170411

 朝、地元事務所で事務所会議を開催後、新居浜市内にある東予理美容専門学校の入学式。挨拶で、この学校で学ぶ中で、外見をいかに美しくするかということだけでなく、心の大切さということを学んで、人の心を美しくする理美容姿になって欲しいとお話をした。
 それから、私の選挙区内の3つの市の市長を各市役所に訪ねて、新年度を迎えた各市の基本方針や問題点をお聞かせ頂いた。昨年までは、選挙区内に9市町村であったので大変であったが、昨年4月に四国中央市、11月に新しい西条市が誕生し、ほぼ10万人前後の3つの市だけとなったため、こんな形で訪問して、聞き取りや打ち合わせを行うのが格段に楽になった。その分、各市長は、合併後の住民の一体感醸成や市議会対策でご苦心としておられるということのようである。
 総じて、お話を聞かせて頂くと、困難は多いが、合併直後のこの時期が極めて大切であると、全力投球で市政に立ち向かっておられることが分かった。地方分権の動きも、まだまだ財政面や規制面で自由に思いのままに仕事を進めるということにはならないが、昔ほど様々な補助金策に縛られることがなく、自己責任で行政を行うという考え方が定着しつつあることを感じた。
 実質的に地方への分権と自治が進んでくると、国会議員は、基本的に国政の仕事に専念するということになってくる。今は移行期であり、地方自治体の自立を推進できるように、“夢出せ!知恵出せ!元気出せ!”の思いを込めて、その助走をお手伝いしたいと思った次第である。

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4月8日(金) 時を越え 心の遺伝子 伝えばや 現代日本に 欠けりと思えば

170408

 朝8時から郵政改革の合同会議。それから、財務金融委員会、経済産業委員会、議員健康診断等があり、14:50東京駅発ののぞみで岡山へ向かう。
 午後7時から、岡山県国際交流センター会議室で岡山人間論ゼミ。今回は、6月26日(日)の山田方谷先生の御命日に、高梁市で山田方谷先生生誕200年を祝う記念式典をフォーラムが開催されるので、その事前研修的意味合いを込めて、テーマも、「現代の山田方谷先生になるための10の指針」とした。約50名参加。
 この話の内容は、この生誕200年記念行事が、山田方谷先生という立派な陽明学者が昔、この地にいましたというだけの顕彰活動で終わるならば、深い関心を持つ人以外にはただの形式的な式典を開催したということに終わってしまう。そこで、今を生きる私たち自身が、方谷先生の生き様・考え方に学び、方谷先生の生命を引き継ぐ気持ちで生きてゆこうと考えるような会をしようではないかということを提案したものであった。そして、大きな夢を持つこと、自在な知恵を磨くこと、響き合う元気を生み出すこと等々、10箇条の指針を示し、人間としていかにより良く生きて、事を成し遂げてゆけるかということについて、幅広く論じさせていただいたのであった。
 この岡山人間論ゼミは最初に始めてからもう10年以上になる。最初は2ヶ月に1回開催していたものであるが、私も段々忙しくなり、また、岡山自身に話の出来る人を育ててゆく必要もあり、この頃は、年に2度か3度かになっているが、これだけの年月を経てきているせいであろうか、参加する方々がとても熱心である。若い人たちも育ってきつつある。これらの方々の中で何人かの人が、先人・山田方谷先生の思いを継いで頂けるのだろう。

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4月2日(土) 世界では 人も文化も 種々雑多 アイデア発掘 愛知万博

170402

 朝6時50分東京駅発ののぞみで名古屋へ。娘と共に愛知万博の様子を見に行くためであった。実は、私は、この万博の後押しをする「2005年日本国際博覧会(愛知万博)推進議員連盟」のメンバーであり、3月24日の開会式に出席を予定していたが、所用が入り、参加がかなわなかったので、この日、丁度春休みで上京中であった娘にも見せておきたいと思い、一緒に訪れたのであった。
 10時頃会場に到着。まず日本館に、中村館長を訪ね、開会後1週間の愛知万博の様子、また日本館の運営状況をお聞きする。それから、ロボット万博とも言われて、生活ロボットが公式に認知されるキッカケとなった万博であり、これまでロボットを育成してきた関係で、NEDOが開設していたロボットステーションを見せて頂く。その他、話題のマンモスを見たり、色々な国々の展示館や中部地方の県や市が出していた展示等を見て回った。
 全体的な印象としては、まだこの万博の評価が定着していないため、様子見の人が多いのであろうか、また、春休みに入ってすぐの土曜ということで混雑を予想して控えた方が多かったのであろうか、広大な会場は思ったほどの人数ではなくて、展示館も、人気のある一部の館を除いては、ほとんど待ち時間もなく入ることが出来た。
 そして夕刻には、娘を四国に戻さなくてはならないので、早めに会場を後にした。滞在時間は約7時間。それでも、色々なものに触れることが出来たと考えている。万博は、多種多様なものが一カ所に集まることに意味がある。それを見て触れて、色々なことを考え始めるキッカケになったと思う。
 今後は改めて、終日滞在して、21世紀社会に対する色々なアイデアを引き出す取り組みをしてみたいと思った次第である。

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