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5月30日(月) 文化には 心動かす 力あり 心動けば 全てが動く

170530

 午前中、OAK・TREE6月号の残り部分の執筆と仕上げ作業。いつものことながら、この作業には、想像を絶する(少し言い過ぎ?)集中力と耐久力が必要とされる。体重は少しも減らないのだが、身の細る思いで取り組むのである。この作業を全て終えて出稿すると、ホッと安堵。しかし、その時には、この作業のため後回しにしていた仕事が山になっていたから、息つく間もなく、これら山崩しにかかるというのが現実・・・ト・ホ・ホ・・・なのである。
 ところで、この日は午後4時から、私が属する清和政策研究会(俗語・森派)のフォーラムであった。講師は、河合隼雄・文化庁長官。臨床心理士をしていた自分が何故、文化庁長官を引き受けたと言えば、抑うつ症でもう自殺ばかり考えているような人が、何かのキッカケで文化的なことに目が開くと、その人に生きる力が生まれてくることを見てきたからであると話が始まり、文化は万能薬で、経済の活力も生めば、教育の真髄にもなる。高齢者福祉にも有効であるし、外交の力にもなると。豊富な実例を紹介しながらお話を頂いた。そして、日本人は、もっと日本の国の文化に深い関心を持って、日本そのものを知らねばならないのではないかと問題提起をして話を終えられた。
 いつもながら、河合長官のお話は軽妙酒脱でありながら、奥にとても大きな問題提起をもっておられて、後になって振り返り、しみじみと良い話を聞いたと思う。今回の話もそうであった。
 それから場所を移し、宴会場へ。ここで森会長が冒頭の挨拶をされるが、その後、日本政界を代表する人が次から次へと登壇して挨拶、会場一杯に参加者が集まり、とても盛大なフォーラムであった。
 それから、別の会合へ出席後、事務所で書類整理。

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5月28日(土) 壁を越え 挑戦せんと ひたむきに 立ち向かえばこそ 道は拓けん

170528

 この日は、“第2回愛媛県の農林水産業未来ビジョンフォーラム”の日。東京からお忙しい中を島村宜伸農林水産大臣にご来臨頂き、西条市の丹原総合文化会館を会場に開催する。
 まず10時半から11時半まで会場会議室で、パネラーの顔合わせと意見交換会。今回のシンポジウムには、農・林・水各々の分野で新分野開拓に力を尽くしておられる方々3名と、工業・流通業・知的財産権の各々の分野から農林水産業にアプローチしておられる方々3名、そして、コメンテーターとして、元・農林水産省関東農政局長の大隈教授と多士済々のメンバーであった。打ち合わせの段階から、興味深い意見のやり取りがなされ、成功を確信する。
 その後、11時40分から大臣をお迎えしての昼食会。その後、東予園芸農協の花を栽培する巨大なハウスを視察して会場へ。
 フォーラムは1時半に開会。まず、実行委員長の玉井実雄県議挨拶の後、加戸愛媛県知事、伊藤西条市長の挨拶が行われ、大臣からの講演。プロジェクターを使いつつ、我が国の農林水産業が置かれていた状況と、今後の展開について、とても分かりやすいお話をして頂いた。(この概要は、OAK・TREE誌7月号の掲載予定)
 その後、地元、久門真理子さんの歌があり、それからパネルディスカッション。テーマは、「壁を越えた挑戦が未来を拓く」というものであり、農・林・水、それから商業・工業、更に文化面等の壁を打ち壊して、新しい展望の中でこれからの農林水産業を考えようということで、6人のパネラーとコメンテーターの大隈愛大教授が約1時間半活発に論じ合った次第。これも、OAK・TREE誌で細かく御報告したいと思う。
 島村大臣には本当にお世話になり、有り難うございました。

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5月27日(金) お互いに 相手を見つめる ことよりも 同じ向きにて 歩むが愛なり

170527

 朝7時50分東京駅発ののぞみで地元へ。
 普段の金曜日ならば、衆議院本会議や委員会が開かれるので、なかなか朝から地元に戻るというわけにはいかないが、この日は、郵政民営化法案を巡って野党が審議拒否を続けていた余波で、私が関係する会議が1つもなかったので、何のためらいもなく、地元への列車に乗ることが出来たのであった。
 午後1時半から、昨年11月に2市2町が1つとなって誕生した西条市の合併記念式典。もう合併から半年余にもなり、新しい形での市議会議員選挙も、先日終了したところなので、全体として、とても落ち着いた雰囲気の会合であった。ただ、行政単位が大きくなり、諸団体の総合問題等で御苦労されておられる方々もおられるので、私からは、サンテグジュペリの“愛するということは、お互いが見つめ合うのではなくて、同じ方向を向くことである”という言葉を引用して、共により良くなるために問題点は補い合い、長所を伸ばし合い、共に助けあいながらやってゆきましょうとエールを送っておいた。
 それから松山市へ向かい、県農協中央会で翌日のフォーラムの最終打ち合わせ、県トラック協会総会、県建築士事務所協会総会へ出席後、取って返して、伊予三島建設業協会懇親会、自民党川之江支部大会に出席。その後、地元事務所で仕事をチェックして自宅へ。何とも慌ただしい1日でありました。

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5月21日(土) 人生は 最後は1つの 言葉なり そいつを求め この道歩く

170521

 この日は、終日、四国中央市内で色々な啓発行事を行う。まず、午前10時から、「志の道を歩く会」、今回は、新居浜市にある中荻公民館の女性セミナーの皆さんが大挙して来て下さった(約60名)。そして新緑の爽やかな道を色々なことを語りながら、2時間かけて歩いた。晴天にも恵まれてとても良い勉強になったと好評であった。 
 それから、午後1時半から、四国人間論ゼミ。今回のテーマは中江藤樹先生。この3月に生誕地であり、また藤樹書院を開き、本格的に青年教育を展開した滋賀県高島市を訪ねて、先生の足跡を確かめてきたので、その時の体験や感想を織り込みながら、約1時間半の話をした。
 その後、午後4時頃から、東京の堀越学園の堀越克明学園長ご夫妻が「志の道」をわざわざお訪ね下さったので、志の道を少しご案内し、ヤング・リーフ・ハウスを見て頂いた。後で奥様よりお手紙を頂いたけれど、深く心に残る訪問であったらしい。
 そしてこの日の夜は、OAK・TREEフォレスト。四国中央市のコスモ・パルという会場で、この暫くの日本政治の動きや社会の見方・考え方等について語り、意見交換をする。
 考えてみれば、1日中、何かを語りつつ、日本の国のあり方を思索し続けた日であった。流石、これだけ語り続けると、口の回りだけでなく、何となく体全体がクタクタになってしまったような印象であった。しかし、知恵を出し合う形で政治活動を展開するという政治流儀が大分、皆さんに受け入れられ始めたのではないかという気がしてきて、とても嬉しく思った1日でもあった。

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5月18日(水) 日本には 日本ならでの 知恵がある そのダイナモで 明日を拓かん

170518

 午前中は、宿舎でOAK・TREEの執筆とこの午後行われる(社)先端技術産業調査会と(社)日本工学アカデミーが主催して開催する公開シンポジウムの準備。そして、正午前、砂防会館で開かれた治水砂防協会総会に顔を出し、それから清和研究会の幹事会、幾つかの部会等に出席。
 午後2時から、先に述べたシンポジウムが神田の学士会館で開催され、出席。日本工学アカデミー会長の西澤潤一先生から基調講演。そして上野晴樹(国立情報学研究所教授)さんから
日・中・韓3国で開催されたアジア技術倫理宣言の意義と課題の講演の後、私も、パネラーとして参加するパネル・ディスカッション。これからの技術者が持つべき考え方について、幅広く語り合った次第である。
 私からは、昨年秋、日・中・韓3カ国の政治家と文明研究者が中国・蘭州の地に集い、議論の上に取りまとめた「敦煌宣言」について報告し、これからの社会において、日本の伝統精神、文化等を尊重しつつ、科学技術を活用する思想面において、新しい可能性を追い求めてゆかねばならないのではないかと問題提起をした。大きなテーマの下での議論であるので、この短時間にとても結論が出されるものではなかったが、今後、この種の問題を考える足場を得た会合であった。
 この日は、その後、オーム社に立ち寄り、出版する本の表紙デザインの打ち合わせ。航空宇宙工業界総会後の懇親会、愛光学園の同期生の勉強会等に顔を出し、その後事務所に戻り、書類整理。

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5月13日(金) 難産の 末に生まれし 本なれば 夢を育てよ オモチャ箱の如く

170513

 この日、6月初旬に出版予定のロボットに関する本の最終校正を終える。この本は「ロボット発想オモチャ箱」というタイトルで6月初旬に発行される予定である。これからのロボットと人間の共生時代にどんな発想が必要であるのか、またどんな新たな発想を持って、このロボット時代を切り拓いてゆくべきなのかといったことを、雑然とオモチャ箱の中に放り込んだような本である。ロボットに関してこれまでも数多くの本が出版されてきているが、このタイプの本は恐らく無かったという気がしている。書店の店頭に並んだ時には、是非、手にとってご覧頂ければと思う。
 ところで、こんな風に書くと、この本はいともたやすく出来上がった本のように思われるかも知れないが、実は、なかなか難産であった。最初にこの本出版を思い立って原稿を書き始めたのがもう3年前のことになる。ある程度のところまで文章をまとめてみるが、どうも面白くないとか、ロボットの可能性をうまく表現できていないだとか不満があって、何度も没にしたり、立ち止まったりした歴史がある。だから、ここに至るまで多くの人に迷惑をかけてしまった。
 それだけに、私の側の作業を終えて、正直なところホッとしている。ここまで来ると、この本が読者によってどんな評価を受けるとか、よく売れるかどうかとかは、もう余り気にならなくなってきた。売れないならば、それも仕方がないし、批判されるとしても、それも致し方がないといった気分になってしまう。そんなことよりも、苦労しつつ、何とか1冊の本を世に出せるところに来たことが無性に嬉しいという気持ちである。子どもを産む前の母親の気持ちはこんな気持ちなのかも知れないなどと、勝手に想像して、ニヤニヤしている次第である。
 しかし、やっぱり、この本は良い子であって欲しいし、うまく育って欲しい。そして、世の中の役に立って欲しいとそんな気持ちになるのは親心と言うべきであろう。

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5月12日(木) 政治家が 人生語る? アレ・アレレ そんな戸惑い 学生の顔

170512

 この日は、朝8時のイギリス大使をお招きしてのPGA会合に始まり、文章執筆・修正、清和研総会、本会議、来客応対、文部科学部会、全国石油商組合懇談会等、例の如く、慌ただしい1日であったが、特筆しておきたいと思ったのは、夕刻6時に早稲田大学学生会館で大学生を相手にして講演を行ったことであった。これは、全国学生交流会という組織が開いたものであった。
 出席の大学生は20名余と小さな会であったが、参加していた大学生は非常に熱心であった。テーマは、「21世紀青年の志と使命」。この青年期に、いかなる人生姿勢と考え方で取り組んでゆけばよいかということについて話をして欲しいということであった。
 そこで私からは、現代社会の混乱の原点に、人間の考え方の誤りや迷いがあることを語り、先人たちの言葉を通して、自分たちがいかなる人生の生き方をすべきかということについて、お話をした次第である。
 その後、30分余りの意見交換を行ったが、大学生たちからは、主に政治的課題を中心に、活発な質問や意見表明があった。
 実は、私は、この夏、大学生を対象とする青年研修会を東京(ないし、関東圏のどこか)で開催したいと考えている。これから大人になろうとしているこの時期に、自分自身をしっかりと見つめ、また、色々な先人たちの考え方に触れ、深く考える中で、自分自身の人生の足場を築いて欲しいと願っている。
 この早稲田大学の会でお話をさせて頂いたのも、その第一歩としての活動であった。今後、色々な大学へ出掛けていって、この様な活動に関心を持つ大学生の輪を広げてゆき、この国の青年育成運動の足場を作ってゆきたいと考えている。
 これから遠い道のりである。ただ胸の中を一灯を頼りに、この活動に力を尽くしてゆきたいと考える次第である。

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5月9日(月) 2年半 多くの人の 力を集め 獲得したるは 先行く…気概

170509

 午前中は、自宅で執筆と雑務処理。
 昼に、地元事務所会議を行った後、新居浜市役所へ。
 平成14年の年末以来、問題となってきた松山地方法務局新居浜出張所の統合問題について、「新居浜の登記所を存続させる会」会合が開かれるのに、顧問として出席するためであった。
 振り返って、この2年半の間、この問題では色々な取り組みを行ってきた。実態調査、法務省への度重なる要望活動、関係団体皆さんとの意見交換会、法務省担当者との激論、各種会合での意見表明等々。結果的には、行政改革は国の基本方針であり、この出張所統合は、6月27日に行われることとなったが、統合に合わせてIT化を進め、地図情報以外のほとんどの登記情報については、IT端末から呼び出したり、登記作業も出来る形にすることが出来た。更に、商売法人・不動産の登記事項証明書、法人の印鑑登録証明書等の発行は、新居浜市役所に設置される証明書発行請求機を使って、市役所で取れることとなった。これは日本初の取り組みである。
 一部、市民の皆さんに、不便をおかけする点はあるが、その一方で日本の最先端の取り組みが行われる中で、利点も得られる形となった。市民からの数多くの反対署名が集まる中での取り組みであったが、その方々も一定のご評価を頂けるのではないかと考えている。
 人は、変化に対して、とかく、保守的になり、また臆病になりがちである。しかし、変化を真正面から受け止めて、むしろその変化を利用してゆくのだと考えると、色々な道が拓けてくるものである。今回のこの取り組みは、私自身にとっても多くの教訓のあるものであった。御協力頂いた皆さんに深く感謝を申し上げたい。
 この日は、この後、新居浜高専に立ち寄った後、JRで上京。

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5月3日(火)~5月5日(木) 連休に 娘と旅行と 言うけれど 実は四国を 調査する旅

170503

 ゴールデン・ウィーク後半の3連休。4月29日以来、連休前半は、仕事山積状態であったので、東京に残り、もっぱら残務処理と書類整理に明け暮れたのであるが、後半は折角の連休でもあり、娘と共に旅に出ることにした。四国内を自動車で駆け巡る旅。
 初日(5月3日)は、朝、自宅を出発して、愛媛県南予地域に向かう。具体的には、中山町、内子町、宇和町の3町。本当は、大洲市や宇和島市も回ろうと考えていたが、道路混雑がひどく、通過のみ。この夜は、高知県宿下市で宿泊。
 2日目(5月4日)は、宿下市から、色々なところに立ち寄りながら足摺岬へ。そしてそこから中林市(現・四万十市)。そこから高知へ向かう道路がひどい交通渋滞であり、この日、室戸岬の先まで行こうと考えていたのをあきらめて、南国市で泊まる。
 3日目(5月5日)は、3連休最終日のせいか、ほとんど混雑はなく、夜須町や安芸市の要所に立ち寄りつつ、室戸岬へ。そしてそこから、海岸沿いに徳島市へ行き、高速道路で新居浜の自宅へ。
 全走行距離は850㎞余り、距離にすると大したこともないが、渋滞に巻き込まれることも多く、結構疲れた旅であった。
 こんなに書いてみると、親子水入らずの観光旅行のように思われる方も多いかも知れないが、実はこの旅は、今後、四国ビジョンを描き出すための調査旅行であった。私自身、四国生まれながら、高知市周辺を除くと、四国南部には行ったことがなかったので、この機会に各々の地域の様子を調べておこうと行った旅であったのである。
 今後、色々な資料を基に、この体験を合わせ、色々な提案を書いてみようと思う。また皆さんの御提案もお聞かせ頂ければ幸いである。

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