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6月30日(木) 熱の出て アンパンマンの 顔になる 雑菌ごときに 何たることだ

170630

 前日から体調がおかしい。顔面がふくらみ、熱がある。体温を測ってみると38度5分くらいである。
 そこで、朝早速衆議院の診療所に行って診て頂いたのだが、検査が必要だとのことで近くの大病院を紹介して頂く。時間が無い中で困ったなと思いつつも、仕方が無いと大病院の窓口に駆けつけてみるが、そこで午後の診察と言われ、断念。慌ただしい身には、とてもこんな時間感覚での診察を受けている余裕はなく、放っておいても、体力がある方からいずれ良くなるだろうと信じ、永田町に戻る。午後1時から本会議。そしてその後、来週韓国の若手国会議員11名を受け入れる打合せ。午後3時過ぎには、新居浜市の新しい議長、副議長が挨拶に来られたのでその応待。議長も、私の顔を見て驚く。健康ばかりでは病人の気持ちが分からなくなるので、時には、熱を出し、痛みのある病気になって、病人の気持ちになることも大事なのことなのだと強弁。
 後日談。この病気は、日時を経過しても好転せず、益々悪化。結局、地元に戻った7月2日(土)に地元のよく知っている医師に診て頂いた。細菌が体内に入って悪化している病状と診断して頂く。何でも白血球が普通の培にまでなっていたそうである。点滴を受け、抗生物質の入った薬をもらい、それを飲むとすぐに熱が下がり、2日くらい後には顔の腫れもひいて、普通の体調に戻った。体内に入った菌が何の菌であったかは分からないが、少しの菌くらいでこんなに苦しめられるのかと思った次第。と同時に医療の尊さを思い、昔ならばこんな程度のことでも病気が悪化して生命を落とす人もいたのだろうかと感じたのであった。

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6月26日(日) 雲中に 深く秘めたる 良知かな 人を飛龍に 変える力だ

170626

 岡山県高梁市において、山田方谷先生・生誕200年記念事業、“雲中の飛龍・方谷先生の思いをかたちに”フォーラムが開催される。
 午前中は、鍵山秀座流浪先生のご指導の下に、高梁高校において、掃除の会。そして、午後1時から高梁総合文化会館において、フォーラム開会。
 200年祭実行委員長や高梁市長等の挨拶の後、岡山大学廣常人世教授による方谷先生の漢詩朗読、高梁高校合唱部による合唱、吉備国際大学演劇部による教育者方谷先生をテーマとした演劇等が次々に行われました。人物顕彰の新しい形を模索したものであった。
 そしてその後、シンポジウム。まず、鍵山先生から「心あるところに宝あり」という演題でご講演。心に静かに染みいるとても良いお話であった。それから、パネルディスカッション。パネラーは、野島透氏(「山田方谷に学ぶ財政改革」著者)、中江彰氏(中江藤樹記念館館長)、横田賢一氏(山陽新聞社)、加古一朗氏(高梁市文化交流館学芸員)。私がコーディネーターを務めた。
 このディスカッションの目的は、山田方谷先生が雲中に秘めておられた“良知”とは一体いかなるものであるのか。そして、それは現代においていかに活用され、また次世代に伝えうるものなのかという大きなものであった。それだけに、深く探求する議論は十分に行い得ないものであったが、今後、この高梁の地において為すべきこと、追い求めてゆくべきことは明らかになったのではないかと思う。
 その思いを込めて、最後には、宣言文をとりまとめ、参加者一同の賛同を頂き、決定をした。(この段階では、その後の修文を含めて賛同を得た)
 この地が日本人の良知の故郷とも言うべき土地になって欲しいと思う。大きな一歩を記したフォーラムであった。

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6月15日(水)~18日(土) 国会に 禁足令の 出でし中 私はパリで 宇宙遊泳

170615

 15日午前11時10分成田発の日航機で、パリへ。
 実は、16日から18日まで、欧州諸国の宇宙関係国会議員がパリに集まり、「第7回欧州諸国議員宇宙会議」が開催されたのであるが、日本の国会に対してもオブザーバーとしての出席要請があり、私と民主党の松本大輔代議士が日本・宇宙議連代表として、この会議に出席したのであった。
 初日の16日は、欧州宇宙機関の本部会議室で、終日の会議。この中で私は、日本の宇宙議連の現状、宇宙政策の考え方、そして今後の国際協力に求められる基本姿勢等について、短いスピーチを行った。
 ヨーロッパでは、多くの国々が連携協力し合って、宇宙開発を進めている。各々の国には各々の思惑があり、また資金拠出額をめぐっての駆け引きもあるはずである。それらにどんな基本的な考え方が共有され、またどんな形で政治家の関与があるのかというのが1つの大きな関心事であったが、会議全般を通じて、学ぶことが多かった。この点は改めてOAK・TREE誌上で御紹介したいと考えている。
 そして翌17日は、会議場をフランス国民議会会議室に移しての会議開催であり、決議書を巡り活発な意見交換が行われた。私からは、次の予定があり途中退席せざるを得なかったので、お礼の挨拶と次回会合への参加希望を表明させて頂いた。
 そして、この日夕刻、パリ・シャルル・ドゴール空港発の日航機で帰国。パリ滞在時間は、丸2日だけ、しかも、会議の連続であり、慌ただしいスケジュールであったが、今後の日本の宇宙開発に関して、考えさせられることが多かった。特に、これから先は、幅広い国際協力を行いつつ、日本の存在感を高めてゆく必要がある。それをどんな形で展開してゆくべきか、大きな宿題を背負って帰国した次第である。

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6月13日(月) ロボットも 花咲く季節を 迎えしか 知恵発想の 夢の花園

170613

 この日私が会長を務める「ロボット介護研究会」が、自民党国会議員皆さんに、呼びかけて、愛知万博のロボット視察を行った。参加した国会議員は衆参合わせて15名。
 朝10時、名古屋駅前集合。用意したバスで万博会場に向かう。まず愛知万博のロボットと言えば、1番人気の「トヨタ・グループ館」。二足歩行でトランペットをソロ演奏するロボットに続き、各種楽器演奏ロボットが勢揃い。私は大学3年生の時であるからもう30年前になるが、東大の五月祭に楽団ロボットを作り、航空学科入り口で客の呼び込みをさせたことがあった。発想は全然変わっていないが、技術面は大きく進歩したものだと思う。
 その後、日本館で昼食。ロボット関係者と懇談を行う。ロボット関係者からは、日本はロボット技術では、世界の最先端にいるが、今後、社会にロボットを導入しようとすると、どうしても政治的な対応が必要との御意見を頂き、私たち「ロボット介護研究会」の今後の大きなテーマにしてゆこうと思う。
 更にそこから、ロボットウィーク特別企画として「モリゾー・キッコロ館」で開催されていた「プロトタイプロボット展」へ。今後ロボット技術が更に進歩した時に、人間生活とどう調和させてゆくかというテーマで65種類ものロボットが展示されていた。また、隣接する「ロボットステーション」へ行き、今すぐにも実用化されるレベルのロボットを実演展示している様子も見せて頂いた。
 限られた時間での視察ではあったが、盛りだくさんの内容であり、視察団一行、ロボット時代到来を肌に感じたようであった。それと同時にこの時期に製磁の果たすべき役割についても、色々と思いを巡らせた次第である。

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6月12日(日) 夢が無い? いともたやすく 人の言う チャレンジもせずに そんなものあるか!

170612

 午前10時半から、愛知万博のEXPOホールで“宇宙とロボット”日米交流プログラム実行委員会主催による“宇宙とロボットのフォーラム”が開催され、パネラーの一員として参加。コーディネーターは蟹瀬誠一氏、他のパネラーは、宇宙飛行士の土井隆雄君、ピアニストの熊本マリさん、ロボット研究者の福田敏夫氏。これから未来に向かって、宇宙分野とロボット分野が共に大きな夢のある分野だということで、これらを結び合わせながら今後どう人類の夢を描いてゆけばいいのか、また子どもたちへの教育をどう進めてゆけばいいのかといった点を論じ合った。
 とは言いつつも、コーディネーターの蟹瀬氏が、会場の子どもたちも退屈させない議論にしようと、軽妙な話し口調とテンポで次々に話題を切り替えながらのディスカッションであったので、終始、会場内から笑い声が聞こえてくる様でバラエティ番組風の楽しい議論であった。
 その後、アメリカ館のフランクリンルームという迎賓館で昼食交流会。そしてアメリカ館見学後、私は少し時間があったので、万博南北アメリカゾーンを見学。
 続いて午後4時からは、第2回ロボフェスタ開会式をEXPOホールで開催。私は、ロボフェスタ提唱者として、“夢出せ!知恵出せ!元気出せ!”の精神を参加者皆さんに訴えた。ロボフェスタはこれから8月15日まで、中部地方各地域で様々な種目が競われる予定である。参加者皆さんの健闘をお祈りする次第。
 そこから名古屋市のホテルに戻り、土井君、そして東京からやってきた野口和彦君と合流。東大航空学科同期で、夜遅くまで夢を語り合ったので、お酒の力もあったが、かなり夢酔い気分。

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6月2日(木) 10年は 国にとっても 一昔… 笑顔絶やさぬ 大統領だね

170602

 朝8時40分より事務所で雑務。10時から政審、そして11時45分から愛知万博ルーマニアデーの出席のために来日されたパセスク・ルーマニア大統領の歓迎昼食会であった。
 私は、ルーマニアへはこれまで2度訪問をしたことがある。1度目は、1994年。自民党青年局の代表として、ルーマニア政府から招待を受けたものであった。この時は、チャウシェスク政府崩壊後まで4年であり、民主化、自由化の歩みが始まったばかりで、国全体が何か重苦しい雰囲気に包まれていた。夜の街にネオンサインもなく、ホテルも一流ホテルでもサービスのレベルは低かった。
 2度目に訪問したのが2年前(2003年)である。これは、柳沢伯夫・日本ルーマニア友好議連会長がルーマニア大統領から“ルーマニアの星勲章”を授与されることになったので、議連メンバーとして同行させて頂いたものであった。9年ぶりのルーマニアであったが、随分印象が変わっていた。夜のまちが明るくなり、ホテルも外資のホテルが進出し、サービスの内容がすっかり変わっていた。接した政治家の方々もかつての権威主義的な印象が薄らぎ、とても親しみやすい感じの人たちであった。この時の滞在は2日だけであり、しかも首都ブカレストだけであったが、街全体の雰囲気もすっかり変わっていた。
 国は10年もあれば、様変わりしてしまうものなのだと痛感した次第であった。そう言えば、この日初めてお会いしたパセスク大統領も、昨年暮れに就任したばかりであるが、何とも人なつっこい笑顔の親しみを感じるお人柄であり、かつての共産主義国家の国家元首が持っていた強面ぶりはいささかも感じなかった。ルーマニアのEU加盟が正式に決定した直後でもあり、日本企業の進出を直接要請されるなど、自由経済社会の中で自国経済育成を図ってゆこうとする姿勢も、変化を感じさせられるものであった。
 国は、その国の政治と国民の心が変われば、10年もあれば変わるものだ。それは、日本でも同じこと。いかに困難なことでも10年続ければ何かが変わるはずだし、判断を誤り続ければ10年経つと国は必ずおかしくなる。そんな自戒の思いを抱いたのであった。

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6月1日(水) 荒れる日も 時にあれども 瀬戸の海 閉ざせる心を いつしか溶かす

170601

 朝8時から各種部会。10時から法務委員会。12時清和研幹事会。午後1時より新世紀文明国会議員懇談会。今回は、元・早稲田大学総長の西原春夫先生。「21世紀日本の平和的国家理念」というテーマで、戦後平和国家を目指すと世界に宣言した日本が、単にこの日本だけが戦争に巻き込まれない国であればいいというのではなくて、世界中の戦争を無くす志を持つ国家になるべきだと熱の入ったお話を頂いた。
 午後3時からは、日本・宇宙議連総会。少し前に決定された宇宙開発長期ビジョンと宇宙を教材とする教育問題について説明して頂くと同時に、6月中旬パリで開催される「欧州諸国議員宇宙会議」への当議連としての対応について協議する。
 その後、幾つかの会合があり、夕刻6時半より、映画議連主催の映画鑑賞会。今回は、四国を舞台とした「機関車先生」であったので、見せて頂いた。あらすじは、剣道でのどを突かれ声を失った青年教師が瀬戸内海の島にある小さな小学校に代用教員としてやってくる。実はこの島は、駆け落ちした父母のふるさとであり、喋れないが故に幾多の困難があるが、それらをこの青年教師自身の努力や子どもたちや島の人々の気持ちなどで乗り越えてゆく教育ドラマであった。
 島に象徴される小さな情の深い社会ならではの様々な問題と人間模様の中で、青年教師は、自らを高め、そこから自らを救い出してゆくのである。教育とは様々な形で教える者と教えられる者がいて、それらが相互に育て合う関係なのだということを改めて考えさせられた映画であった。
 機関車先生とは、「口がきかん(?)」先生ということで子どもたちがつけたニックネームであった。回りを見渡せば、「話をきかん」「気配りがきかん」「約束をきかん」・・・と「きかん」人が一杯である。そんな人にも何かの参考になる映画ではないかと感じた次第である。

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