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12月28日(水) 初雪や 全てが遠く なりにけり こんな新年 願う年の瀬

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 東京における仕事納めの日。官庁関係も大体興が今年最後の仕事のようであり、仕事に関係した方々が次々に年末の挨拶に来られる。

 私は、予算の仕事を終えて、昨晩まで中国を訪問していたので、今日は、国会議院会館で残務の片付けである。

 ということで、このイラ短日記も、これが最後の一枚。(実は、まだ3枚くらい入れたいものがあるが、来年の仕事になったようだ)

 振り返れば、この1年、色々なことがあった。山あり谷ありであった。しかし、今年も何とか無事年の終わりを迎えられそうである。例年と変わりばえもしないが、この1年を評価してまあまあだったなと思えることは、次の3点である。

 ①この1年間、毎日毎日全力投球で走り続けることが出来たこと。
 ②公に尽くし抜く気持ちを曲げることなく、ほど邪心のない誠心誠意の仕事をすることが出来たこと。
 ③痛風の発作が出たり、顔が少しむくんだりといった病気はいくつかあったが、大旨健康に1年を過ごすことが出来たこと。

 「無事是貴人」という言葉がある。事にとらわれず自由自在に生きられる人こそが本当に貴い人であるという意味であるらしい。私は、この暫く、年々、捉われ心が少なくなって、より自在に生きられるような心境になってきた気がする。その分、回りの人には、あいつは付き合いにくくてかなわないと感じている人ももっと多いことだろうと思う。

 万感を込めてのこの年の暮れである。また来年には、来年の人生と仕事がある。“初雪や全てが遠くなりにけり”といった気持ちで新しい正月を迎えたいものである。

 この1年有難うございました。

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12月26日(月) 卒直に 話し合うなら 誤解など 氷解すると 信じたきかな

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 朝、蘭州空港を出発し、昼過ぎ北京空港に到着。今回の主目的は、甘粛省での“敦煌賞”表彰式典出席であったから、このまま日本に帰国しても良かったのであるが、歴史認識問題で日本と中国の外交関係がギクシャクしている時でもあり、中国における対日政策のシンクタンクである中国現代国際関係研究所と中国社会科学院日本研究所を訪問して、率直な意見交換をしておこうと1日余分に日程を北京で入れたものであった。

 現代国際関係研究所の皆さんとは、夕刻からの議論であった。アジア担当の院長助理の李志業先生、日本研究所所長の胡継草先生、そしてかねてから親しくしている徐国雄先生の3名と、今の外交の混乱の原因について、腹蔵のない話し合いをしようと最初に約束して、論じ合った。

 私から中国側に指摘した要点は、次の様な点である。

 ①中国政府は、日中戦争時の中国国民に対する被害と文化革命時の被害について、その批判のレベルが余りにも大きく異なる。ダブル・スタンダードで、対応していると言わざるを得ない。

 ②中国国内の報道が余りにも偏向していて、中国を善、日本を悪としているようだが、それは国際社会の認識とかけ離れている。日中交渉の場面でも、中国政府は日本のマスコミを動かし、日本政府批判を展開し、日本国内世論を分断する主要を使っているのに、日本側にはそれが出来ない。交渉の前提条件にフェアでないところがあると考える。

 ③戦争は、避けねばならないものであり、そのために最大限の努力を行わねばならないが、残念ながらどう仕様もなく引き込まれてしまうということもある。その時に特定の誰かの責任であると言わないのが日本のの流儀である、。ましてや使者に鞭打つという文化ではない。

 こんな話が数時間の議論で結論が出るはずがないが、とても良い議論であった。中国社会科学院は翌27日訪問して、意見交換をした。

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12月23日(金) 年内に 約束果たす 責を負い 気持ちそぞろに 蘭州の旅

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 朝8時麻布十番の借り宿舎を出て、成田空港へ、今度は中国訪問の旅である。今年は、11月1日の特別国会閉会まで、国内の政治日程が詰まっていたため、外国に出掛けることがかなわず、色々な海外出張という少しハードなスケジュールとなってしまった。 

 実は、今回の中国訪問は、昨年暮れ以来の約束を果たすためのものであった。と言うのも、これまで約10年の交流を続けてきた中国西部の甘粛省政府から、外国人への表彰である“敦煌賞”を頂いていたのだが、陸浩省長からは、必ず本人が甘粛省にやって来て、その賞を受け取ることと言われ、出来るだけ早い時期に参りますとお答えしていたのだが、先に述べた事情で、延び延びになっていたというものである。もう1年以上約束を果たせない情況であり、また年が明けてとなると、通常国会を前に何があるか分からず、年末の慌ただしい時期であったが、このタイミングしかないと決断したものであった。

 朝10時20分成田発、途中北京を経由したが、少し時間があり、かつて脱北者問題で話題となった北京日本人学校を訪問。それから改めて北京空港に戻り、蘭州空港へ。
 そして、敦煌賞の授与会場へ。到着は午後8時半頃であった。

 会場では陸浩省長、程正明秘書長等、甘粛省政府代表がずらりと並んでお迎え下り、感謝の言葉と共に、表彰楯と記念品を頂き、その後、食事を摂りながらの懇談であった。もう甘粛省政府の皆さん方々とは長く深いつき合いとなった。国会議員の交流と言うと、すぐに北京中央政府となるが、却って地方政府との交流の方が実を伴うものかも知れないと思ってきたが、改めてその感を深くした次第である。

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12月20日(火) 来年度 予算内示の 日の学び 思う維新の 福沢諭吉

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 平成18年度予算内示の日。朝の9時から、予算内示に関する与党合同会議が開かれ、来年度予算の概要について、説明を受ける。

 続いて、11時からイスラエルとパレスチナの青年を日本に招聘し、交流させるという事業で訪問している青年達を国会にお迎えしての懇談会。私はパレスチナ議連代表で挨拶を行い、調和うる心の重要性を語る。平和という問題を深く考えている青年達であり、この挨拶に呼応する発言が多くなされた。

 その後、来年度予算の復活に向けての各種部会、委員会の開催。
 そして、午後3時からは、清和政策研究会の議員研修会。来年、清和研で日本の将来ビジョンを取りまとめるにあたって、まず、議員が持っている問題意識や具体的事例を出して頂こうという趣旨の研修会であり、年末慌ただしい時であったが、あえてこの時期に開催したものであった。

 田中直毅先生と中川秀直先生から基調講演を頂くと共に、①グローバル社会の課題と日本 ②人口減少に向かう日本の課題 ③財政再建への道筋 の3つの分科会を開催して、広く意見を集めた次第である。

 この清和研の研修会は、来年秋の総裁選を前にして、政争的要素が加わってくると来年どんな形で展開してゆけるかがよく分からないが、私も、政策副委員長を務める責任の中で、少なくとも問題の所在とその内容まではまとめ上げたいと考えている。

 この清和研研修会の後、予算陳情で上京中の加戸知事と自民党県連役員皆さんとの懇談会への顔出し、そして文部科学省の予算本部、学校栄養士協議会会合等へのご挨拶等を行い、宿舎へ。宿舎での仕事を行う。

 この予算折衝は、22日に大臣折衝であり、3日間と以前に較べると随分短くなったが、我々与党国会議員にとっては年末の最後の仕事である。

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12月17日(土) 一年の 政治活動 店じまい 胸の中には 重きものあり

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 地元日程。
 朝、自宅で新聞に目を通し、書類整理。週間計画作成などを行い、午前10時半より、西条市の農協が経営する葬祭場の落成式に出席。

 それから、少し西条市内を回った後で、午前1時半から四国人間論ゼミ。今回のテーマは、「勝海舟の人生と思想」、幕末期の大きく時代が移り変わろうとする時代に、大きな役割を果たし、前任の時代を結び合わせた人間がいかなる考え方を持ち、いかにふるまったかということに感心を抱き、論じる。当初はヤング・リーフ・ハウスで開催予定であったが、寒波の影響で積雪・凍結があり、新居浜事務所で開催。

 その後、雑務をこなした後に、夕刻6時より地元のOAK・TREEフォレスト。アフリカ視察報告ということで、ザンビアでの青年海外協力隊に参加され、その後も日本でザンビア支援を続けておられる方が来られ、話題の幅を広げて下さる。この地元のフォレスト活動は、とても残念な気持ちであるが、何年経っても、本格的な活動になってこない。これは、地域の風土なのであろうか、それとも私の力不足なのであろうか。これから考えねばならないことがあると思う。

 私の今年の地元活動も、これで基本的に店じまいである。後、少し忘年会があるが、これは私が主体的に政治活動として行うものではなく、顔を出して、挨拶をして、言葉を交わすだけであるから、気が楽である。

 この1年、地元での活動では、総選挙もあり、またゆちげ運動を開始したこともあり、色々な思いが頭を巡る。それにしても、全体を振り返って、今年も心に重いものが残っている。地域は地域の人自身が本気で動かなければ、新しい道を拓いてゆくことが出来ない。しかし、なかなか動き始めてこないもどかしさが胸に残る。どうすれば良いのだろうか。今年も、来年への宿題として、この基本問題が残ってしまった。

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12月14日(水) 年の瀬は いつものことと 言いながら 日々積み上がる 荷物の重さよ

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 来年度税制を巡る自民党内の議論も大詰めとなり、大体の方向が決定される。翌15日が党税調の最終決定という慌ただしさの中で、私もこの日一日、色々な会合を開催した。

 まず午前8時より、今年最後の東京OAK・TREEフォレスト。アフリカ視察の報告会ということで、宮下一郎先生にもご参加頂いて、40名余の出席。

 続いて11時半から、自民党四国ブロック両院議員会。四国選出自民党国会議員22名で構成されている会合である。最初に役員人事を承認して頂いた後、来年度の四国をテーマに、広田・政策投資銀行四国支店長、松田JR四国社長より、お話を頂いて、意見交換。今後の四国について、色々な提案を集める四国ビジョンフォーラムの開催を提案して、承認される。

 午後2時半過ぎには、森喜朗清和研会長に、三好全日教連委員長と共に面会。今後の教育問題、そして、教育者の人間学教育について意見交換。

 そしてこの日夕刻の午後6時半からは、日本・大風呂敷大会。宇宙開発がいかにこの日本の国の諸問題を解決する力となり得るかという点について、4名からの発表。私からも、大風呂敷を広げる発想力の重要さを語る。そして活発な意見交換。この会の活動を通して、少しは宇宙開発分やの専門家の皆さんの間で横の風通しが良くなったのではと感じる。会合終了後、忘年会を兼ねての懇親会。

 まぁ何とも目の回る思いがした1日であった。
 年の瀬というのは、年内にどうしても片付けておかねばならない仕事というのが、次々と湧き出してくる感じである。年末が近づく程に、それが1つひとつ重なってきて、とんでもない重さが肩の上に乗ってくる。今年も、もう残り2週間。永田町流で言えば、22日で予算編成も終わる予定であるから実質1週間、有終の美を飾る気持ちで全力で駆け抜ける気持ちである。

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12月6日(火) 帰国して そのまま駆け込む 会ありて 土産話は アフリカの歌

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 11月24日(木)の夕刻に日本を発って、12日間にわたった旅であったが、この日夕刻に成田空港に戻ってくる。
 振り返って、余りに色々な刺激と発見に満ちた旅であったせいか、もう何ヶ月もにわたって旅をし続けていたような錯覚を覚えてしまう。

 とは言え、日本に帰国すれば、早速に用事が待ちかまえているのが、政治家の現実。飛行機が予定よりも約2時間遅れたので、その開場へ自動車を急いで走らせる。この日の会合は、音楽文化振興議員懇談会の議員と音楽団体の懇談の会であった。結局30分くらい遅れて到着したが、各々の挨拶が既に終わり、乾杯のところで飛び込んだ形となった。

 席に着く間もなく、私も挨拶をとの声に、アフリカの旅からの帰国報告。特にこの日の会は、音楽関係者の会合であったので、アフリカの人たちが貧しくて生活の苦しい中でも歌と踊りを大切にしていて、あちこちで私たちを音楽で迎えて頂いたことを報告した。また、私自身も、アフリカの大地で、自作の歌“夢追い人の応援歌”をあちこちで歌ってきたことを報告すると、ならば、ここでもその歌を歌えということになって、アフリカの情景を頭に思い浮かべながら、歌った次第。自分で言うのも変な話であるが、アフリカのイメージを頭に持ちながら歌うと、曲想自身が雄大な歌になった気がした。

 アフリカ・ヨーロッパとの時差は7~8時間。これから時差ボケを克服して、日本の日常生活に戻らねばと思った次第。

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12月4日(日) 娘には ソーセージだけの まちなれど 文化満喫 フランクフルト

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 前日夕刻、フランクフルトの空港に着く。本当は、財務金融委員会の視察スケジュールとしては、そのまま飛行機をここで乗り換えて日本へ戻るはずであったが、フランクフルトと言えば、ヨーロッパ金融の中心地。ヨーロッパ中央銀行も、このフランクフルトに置かれている。財務金融委員長としては、ここまでやって来て、ただ通り過ぎるというわけにはゆかないと、ここで2泊して、この地の金融状況を調べることにした。(あくまでこの滞在は個人の負担である)

 そこでこの日曜日が一日、自由時間として得られたわけである。私は朝から夕刻まで、フランクフルト市内を歩き回ることにした。

 このフランクフルトは、文豪ゲーテ生誕の地でもある。またファウストをはじめ多くの詩などを書いたとも言われている。そこで、ゲーテの銅像、ゲーテハウスを見て、ゲーテの人生に思いを馳せた。それから、クリスマス市を見て回り、マイン川周辺に数多くある美術館、博物館巡りをした。結局、雨まじりの天候の中、8カ所回ることが出来た。

 そして夜は、オペラである。モーツァルトが作曲した“後宮からの誘拐”という作品をフランクフルト歌劇場で観劇した。このオペラは、国際的な賞も受賞したものらしく、とても素晴らしい歌声であった。

 こんな1日を過ごし、アフリカの長旅の疲れも随分とることが出来た。有意義な休暇であったと思う。
 ところで、私が娘に“フランクフルトを知ってるかい?”と聞くと、“ソーセージ!”との答え。食べ物のソーセージも美味しかったが、文化に満喫した1日であった。

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12月2日(金) ザンビアに 南アフリカ エチオピア 頭の骨まで アフリカ大陸

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 ザンビアでは、首都ルサカで1日半滞在。この間にカウンダ・初代大統領、ムワペ副大統領、シカタナ農業大臣、アペル商業貿易産業副大臣等にお会いして、意見交換をすると共に、貧困地区の健康管理プロジェクト、エイズ対策プロジェクト、また、農村地域の自立的発展を促すプロジェクト等を視察。アフリカの貧困国の様々な側面と、日本人の献身的な取り組みを視察した。

 続いて、エチオピアに移動し、やはり首都アジスアベバで1日半滞在。ここでも、ギルマ大統領、テショメ人民会議議長他、国会議員の皆さん、スフィアン財務経済開発大臣、ファンタフンアフリカ連合顧問等にお会いすると共に、地下水開発や道路整備の人材育成の取り組みを視察した。

 ここまでで、アフリカにやってきて、丁度1週間である。初めてアフリカにやって来て、この間、色々なものを見聞きし、体験してきたが、体全体がアフリカに染まってしまったような気持ちである。エイズいかかっている人の割合が20%に達すると聞いても、いつしか、それがアフリカの常識という感じで受け止めている。飛行機等で、予定時刻に飛ばず、長い時間待たされても、これもアフリカだから仕方ないという気持ちになってしまっている。街の通りで、何をするともなく座り込んでいる人を数多く見掛けても、もう当然の風景という印象である。すっかりアフリカの頭になっている。

 そう言えば、アフリカの地形をよく見ると、人間の頭蓋骨と同じ形である。頭の骨までアフリカになった気分である。
 この日午後、アフリカを離れ、イタリアへ。そしてドイツへ移動。

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