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1月29日(日) 事成るは 艱苦の時に ありと言う 幾重の山を 越えし人たち

180129

 地元日程。しかし、この頃は、余りに仕事量が多く山積みとなっているので、地元行事等も、必要最小限の会合出席にとどめ、自宅で仕事を片付けるために時間を使うことが多くなった。この日も、会合2件、1つは、民間で開いている剣道場として、長い歴史と伝統を持つ「岡城館」の復旧落成祝賀会、もう1つは、地元の渡部ひろし県議の県政報告会であった。

 「岡城館」の復旧落成祝賀会と言ったが、これは、一昨年四国に大型台風が幾度も来襲し、その水害によって、この剣道場が使用不可能になつまでの被害を被ったのであった。その復旧を図るため、この剣道場で剣道を学んだ人たちや地域の人たちが募金活動を行い、予定金額をはるかに超えるお金を集め、復興を成し遂げたのであった。関係者のお話をお聞きしたり、そのことを報じたテレビ番組等を見せて頂きながら、胸の中に強いうずきを覚えたのであった。

 ふと思い出したのが、志の道に建立した勝海舟の言葉であった。“事の成るは艱苦の時にあり、人の敗るるは多く得意の時にあり”というものである。多くの困難を乗り越えて再建なった「岡城館」。多くの人の思いと汗を集めたこの偉業は、これから地域を大きく発展させるキッカケにもなるに違いない。艱苦を乗り越えて、力を合わせ心を合わせ歩んできた方々に心からのエールを送りたいと思う。

 夜の渡部県議の会合も同じである。この2年間、艱苦を越えてきた県議が、これからどう新しい仕事にを切り拓いてゆくかが楽しみである。

 色々なことを思う1日であった。

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1月24日(火) ロケットの 一路飛びゆく 姿見て 願う政治も かくあれかしと

180124

 HⅡA8号機の打ち上げが、午前10時過ぎに行われる。これまで2度機器の不調等で延期されたが、この日は、不安材料を全て取り除いての満を持しての打ち上げである。国会開会中であり、射場のある種子島まで出掛けるわけにいかないので、東京の文部科学省地下の中継会場へ行き、そこで見守ることとする。宇宙開発に強い関心を持つ国会議員が約10名集まっていた。

 今回の打ち上げは、完璧と言っていいものだった。予定時刻に打ち上げられ、その後の軌道も、タイム・シーケンスも、予定通りであった。ロケットから送られてくるロケットの状態を示す映像もきれいに受信されていた。そして、地球上の地型を調べたり、資源探査、災害調査等を行う人工衛星「だいち」は、予定軌道に投入をされた。
 この日、中川秀直政調会長もこの場に来られていたが、最後にこんな簡単な挨拶、「これからも順調にゆきますように」。そこで私も一言、「この通常国会のことですね!」参加者一同苦笑い。

 この日は、その後永田町に戻り、財務省・金融庁の官僚皆さんとの勉強会。そして本会議。

 夜は、関東愛媛県人会の新年会。その後宿舎で書類整理と雑務処理。

 夜、一人になって、今回のロケット打ち上げを思い返して、芸術的と言って良いくらいの見事な打ち上げに、つい恵比寿顔。それに比べて、政治の仕事や社会のことは、なかなか思い通りにゆかないもの。色々な困難はあるが、理不尽なこと、不合理なことを背負い込みつつ、少しでもきちんと整理された形で道を拓いてゆく努力をしなくてはと思った次第。

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1月22日(日) 大正も 既に遠くに なりにけり 双眼鏡もて 覗く人あり

180122

 朝、四国中央市の消防出初式開会の場面に出席後、地元県議の餅つき大会に顔を出し、それからJRで岐阜県に向かう。

 この日は、午後4時から、岐阜県高山市の近くであるが、明智町というところで講演会であった。この明智町というのは、明智光秀の出身地とも言われている土地であるが、有名なのは、大正時代の街並みを残し、あちこちに大正時代にちなんだ博物館等がある「大正村」のあるまちということである。

 もうすぐ大正百年を迎えることから(大正元年が西暦1912年、従って、大正百年は西暦2011年で5年後)、大正村のあり方を整え直して、もっと魅力的な地域にしてゆきたいと招かれたものであった。

 参加者は約30名。この大正村の事業を運営する責任者の方々が集っておられた。そこで例によって「夢出せ!知恵出せ!元気出せ!」という言葉と「熟慮・祈念・放下・断行」の言葉を紹介し、新しいことへのチャレンジの重要さを語った。そして、今後大正村事業をどう展開してゆくべきかということについて、活発に論じ合った。
 参加された方々は、大正村の取り組みが、マンネリ化し、新しい展開を求めていたところたったのであろう。この場での議論がどんどんと吸収されてゆくような印象であったと思う。

 尚、この日は、JR瑞浪駅から明智町に向かう途中、江戸時代の儒学者であり、江戸昌平黌の塾頭を務めた佐藤一斉の故郷である岩村町にも立ち寄らせて頂いて、その地に残る遺風を感じさせて頂いた。

 全日程を終え、再び名古屋駅に戻り、上京。宿舎着が午後11時過ぎ。

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1月20日(金) 国会の 演説重く 胸にあり 思い託すは 若き志士達

180120

 第164回国会召集日。午前11時から両院議員総会、代議士会と続き、12時より第1回目の本会議。ここで議長より国会召集が宣言され、清子内親王殿下御結婚の御祝いが述べられた。次いで、国会入り口ホールのところで、開会式にご臨席される天皇陛下のお迎え、これは、委員長の職責である。そして、参議院本会議場で午後1時から国会の開会式。更に午後2時からは、この通常国会に臨む政府の基本姿勢を表明する政府四演壇。

 私は、そこから、羽田空港へ行き、飛行機で松山へ。この日、上甲晃さんが松山市の奥道後ホテルを会場として、「青年塾」を開催されるというので、駆けつけた次第である。着くと丁度夕食時間であったが、全国各地から約100名の若者が集まっていた。この青年塾も、もう始められて15年くらいになるのであろうか、これだけ若い人を集め、長い期間、教育し続けるには、相当の御苦労があったものと思う。ご夫婦一体で「素志貫徹」の姿勢で、青年教育を続けておられる姿には、全く頭の下がる思いである。

 この夕食後、これら青年を前に、私から約30分の講演。そして、幾つかの質疑応答。流石、遠い距離をものともせず、学ぼうとあつまってくる青年達だけに、話を聞く姿勢も真剣であった。私から参加者に話しかけた内容は、昨年同様「夢出せ!知恵出せ!元気出せ!」という新しい分野へのチャレンジ姿勢と、変革時に求められる伊庭貞剛翁の「熟慮・祈念・放下・断行」の言葉であった。

 この青年塾は、金・土・日と3日間続けられると言う。この研修を通じて、これら青年達が悩みや迷いを乗り越え、力強く人生の次の一歩を踏み出していただくことを願わずにはいられなかった。

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1月18日(水) 穏やかな 党大会の 先見れば そこはかとなく 嵐の予感

180118

 午前10時から第73回自由民主党大会。

 昨年が立党50年であり、11月22日に立党50年記念の臨時党大会を開催していたので、2ヶ月弱で再び党大会というと、アレッ少し前にあったのにと少し勘が狂う感じあり。しかし、今回は年1回開催される定期党大会である。

 国家斉唱、そして自民党歌の斉唱により開始され、武部幹事長の党活動報告。そして来賓挨拶、友党代表が公明党の神崎代表、経済界が奥田経団連会長、そして文化方面からはオペラ歌手の中島啓江さん、そして党功労者等の表彰を経て、小泉純一郎総裁の挨拶。残り半年余の任期中に改革を更に推進してゆく決意を披露する。

 この自民党大会は、党幹部が次々に登壇して、長い演説を行い、その後それら報告を参加者の拍手によって承認するという形で行っていたため、延々と2時間以上に及んでいたが、最近は、報告は武部幹事長がまとめて行い、表彰状や感謝状授与も、配付資料中に名前を書き込んでいて、代表者のみに総裁から渡されるという略式になったので、大会時間も随分短くなった。その替わり、映像や音楽で場を盛り上げる演出がなされるなど、雰囲気はすっかり様変わりしている。特に今年の場合は、昨年9月の総選挙で自民党大勝の後の大会であり、また今年は補欠選挙以外国政選挙も予定されていないことから、穏やかな大会になったのだろうと思う。

 しかし、今後の政局は予断を許さない。これから通常国会が開会されるが、この閉会後、今秋には自民党総選挙である。先行きに油断することなく、仕事を進めてゆくことにしたいと心を引き締めた次第である。

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1月15日(日) 先生が 人間学を 学ぶなり 教育維新も 長州に起つか!

180115

 朝7時23分の新居浜駅発のJR列車で、山口市へ向かう。

 実は、この日は、山口市内にある阿知須小学校を会場にして、山口県教職員団体連合会の主催する“教師人間学研修会”が開催され、それに参加をしたのであった。

 そもそもこの研修会のアイデアは、2ヶ月に1度くらいずつ東京で開いている教育の混乱を乗り越えるためにも、教師が力強く生きてゆくためにも、また日本社会に精神面の秩序を取り戻すためにも、まず、子どもたちを教え導く教師の皆さんが、広く人間学を学ぶ取り組みを始めるべきだとの提案であった。その考えの下に、全日本教職員連盟の三好祐司委員長が、自分の地元で開催してみたいと働きかけて下さり、実現にこぎつけたものであった。

 開会行事の後、私から20分余の時間、何故“教師人間学研修会”が必要かというお話をさせて頂き、それから、掃除の実習。山口県の“掃除に学ぶ会”、メンバーが指導をした上で小学校内の便所に分かれて、便器の裏までピカピカにする掃除を行った。そして、再び参加者が教室に集まった後、当時の運動をこれまで推進してこられた鍵山秀三郎先生が、参加者の心にしみ入る御講話。参加された方々からの感想もお話頂いたが、皆さんが、清々しい気持ちになり、とても良い経験であったと語っておられた。これから、この研修会が全国各地に広がってゆくことを心から御期待したいと思う。

 この日はその後、懇親会。心ゆくまで日本教育について語り合った次第である。

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1月9日(月) カレンダーは 既に一列 終わりけり 列島巡りて 初の上京

180109

 朝9時25分新居浜駅発のJR特急で、大阪へ向かう。

 午前11時から開催される「近畿愛媛県人会ニューイヤー2005」という愛媛県出身者の新年会に出席するためである。参加者約300名。私もスケジュールが許す限り、毎年この会に出席をしているので、随分顔なじみの方々も多くなり、色々な方々から声をかけて頂いた。

 愛媛からは、加戸知事夫妻や森高県議会議長も出席。今年は丹原地区の郷土芸能保存グループも参加して、踊りを披露したり、愛媛出身の尺八奏者や落語家なども舞台の上で芸を演じた。新年らしく明るく華やいだ会であった。

 それを終えると今後は、新幹線で岡山市にとって返して、午後5時から、岡山人間論ゼミ。新年恒例の会合であり、という居酒屋で開催。参加者は約50名。私から約1時間、この1年に心すべきことについて、お話をさせて頂いた後で、和やかな懇親会。岡山のメンバーとも、昨年山田方谷生誕200年行事を一緒にやってきたので、随分打ち解けた雰囲気の中で論じ合う。

 そして午後8時9分岡山駅発の東京行きのぞみ最終便で上京。宿舎到着は午前0時過ぎ。

 いよいよ明日からは、東京での仕事が始まる。まだこれから1週間くらいは、各種団体の新年会等が数多く開かれ、それらへの顔出しをするつもりであるが、新年の白地の気持ちで、仕事に立ち向かってゆきたいと思う。1月20日に通常国会開会予定であるから、これから約10日間、新年の仕事の準備をあれこれと整えながら嵐の中へ突入である。

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1月4日(水) 水の面は 経済好調 のどやかなれど 底覗き見て 心凍てつく

180104

 正月三が日を終えて、多くの企業で仕事始めとなる日。

 例年の如く、一斉に新年互礼会も開かれる。午前11時から、新居浜市、西条市、四国中央市と選挙区内3市の互礼会。顔出しをしてすぐに挨拶をしてはすぐに次の会場へ向かうという形で、3会場を回りきる。そこから次は、松山で行われた愛媛県の新年互礼会。その後2カ所新年の挨拶に訪れ、再び新居浜に戻り、新居浜建設業協同組合の新年会。

 以上、1日に5つの新年互礼会に出席。これら新年会では、色々な方々と言葉を交わし、新年の挨拶をすると同時に、様々な情報をインプットする。

 総じて、この新年互礼会へは企業のトップの方々も数多く出席をしているのであるが、景気が好転していることもあってか、皆さんの顔には、笑顔が多い。正月三が日が好天に恵まれ、暖かく、充実した正月を過ごすことが出来たということも関係しているのかも知れない。

 しかし、その中に先行きの厳しさを訴える声もあった。また政治の世界の困難を案じてくれる声も少なからずあった。事実、今年も、改革課題が目白押しであり、これから先、難行苦行の道筋であると思う。

 そう言えば、正月三が日は、天候に恵まれ、温暖な日が続いたが、この日は、一転して、寒波の中であった。新居浜から松山へ向かう高速道路上では、かすかに雪も舞っていた。一見、景気は上向く中で、皆さんの気持ちは和らいでいるところがあるが、膨大な財政赤字は、国債発行高を減額したとは言え、来年度も積み上がってくるし、日本人の心の問題は、益々深刻な課題となってきている。取り組むべき課題が多く、しかもそれらは、一筋縄でいかない問題である。この1年の仕事に立ち向かう気持ちを引き締めた次第であった。

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1月2日(月)~3日(火) 正月は 娘と共に 視察旅 今年は四国の 絵を描く年

180102

 2日は、朝9時から、新居浜市にある武徳殿で、武道関係諸団体が集まっての稽古始め式。約100名が集まり、神事、そして式典を行い、武芸の披露。

 この式に出席の後、この2日間は他に案内を頂いて出席しなくてはならない会合もなかったので、娘と共に、しまなみ海道、そして対岸中国地方の尾道・福山・鞆の浦へ正月旅行。とは言っても、私にとっては、今年3月末までにしまなみ海道の高速道路が全通し、愛媛県では、この道沿いに広域的な観光キャンペーンを繰り広げる予定ということもあり、実情視察が半分の目的である。

 それだけに、随分多くの観光地を回った。正月三が日は休みという施設もあったが、入り口まで訪れた施設を入れると次の通りである。

①東島海峡サービスエリア②よしうみバラ園③村上水軍博物館④平山郁夫美術館⑤サンセットビーチ⑥向島“男たちの大和”の映画セット⑦千光寺⑧文学のこみち⑨福山城⑩備後護国神社⑪先人の森⑫福山市鞆の浦歴史民俗資料館⑬いろは丸展示館⑭対潮楼⑮後山展望台⑯田島⑰因島水軍城⑱因島フリーセンター⑲白滝山⑳本因坊秀策の碑、大山祇神社   

 僅か1日半の日程でこれだけ多くの場所を回るのだから、歴史や細かな背景まで十分に理解しつつ回ったと言うには程遠いが、それでも大旨、各々の施設や観光地の様子は把握することが出来たと思う。政策的検討を行う時に大切なのは細かなデータよりも肌に感じる印象である。その意味では娘と一緒にあちこちへ色々なことを話ながら回ったことは、子どもの目で受け取っている印象を知るにも、とても有意義であった。

 今年は、四国全体のビジョンを描き出す仕事もしなくてはならないと考えている。その1年の計をこの2日で立てたと言うと少し言い過ぎになるであろうか。

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1月1日(日) 倒るなら それもまたよし 新たなる 覚悟を胸に 初日の出見る

180101

 平成18年の正月。今年も、朝5時からの実践倫理宏正会新居浜支部の元朝式から始まった。ただこれまでと違うのは、我が娘が一緒に行きたいと言うので、同伴したことであった。今年春には高校生になるというので、何か心に期するものがあったのかも知れない。段々と自立して、自ら色々なことに立ち向かってゆこうとする娘の姿が父親としては、とても嬉しい。

 この元朝式では、上広栄治会長の新年のメッセージを会員が代読した後、来賓代表で私から新年の挨拶。今年は、昨年暮れに大きな騒ぎとなった姉歯・元建築士の耐震強度偽装問題を取り上げて、“この問題は、建物の中にしっかりとした鉄筋や鉄骨が入れられていないことが問題であり、日本の国に地震が多いことが問題なのではない。同じように、人間を巡って起こる色々な問題も、世の中が悪いことが問題という以上に、人間の心の中にしっかりとした生き方・考え方が形成されていないことが問題だと気づくべきだ”と問題提起をして、この日本社会が良識や倫理といった心の構造を育む社会にしなくてはならないと訴えた。

 それから、次は西条市の伊曽乃神社の歳旦祭。ここでは、少し前に見た映画“男たちの大和”を取り上げて、日本の国は今年も厳しい年となるが、戦略を誤らず、的確な対応を進められるように努力したいと挨拶する。

 その後自宅に戻り、少し休んだ後、今度は、愛媛県最東端の切山地区の新年会。愛媛県で最初に日が昇るところへ行くことで、選挙区全体の新年会を代表する気持ちである。ここでは“夢出せ!知恵出せ!元気出せ!”という言葉に込めた願いを村人たちに語りかける。元旦の行事は以上で終了。

 この全行程に娘が同伴。清々しい正月であった。

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