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2月28日(火) 花粉症 撲滅めざし 十余年 今日国会も アレルギーだね

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この日は、午前11時からハクション議連。今ではこの議連名も少しは有名となったが、花粉症を中心としてアレルギー症をこの世から無くしてしまいたいという願いを込めて、11年前に産声を上げた議員連盟である。以来、アレルギーに関する研究の推進、臨床治療の研究体制整備、アレルギー科の標榜、花粉の飛散状況の観測体制整備等を後押ししてきた。随分多くの実績を残してきた議連であると考えている。

 この日も、いよいよ今年の花粉症シーズンを前にして、各省庁の取り組み状況をヒアリングさせて頂き、相互に意見交換を行った。加えて、この11年間の間、自民党内の活動として、問題解決への基本的方向を指し示すことが出来たので、これからは、他党議員も含めて、超党派で更に力強くこのアレルギー撲滅運動を推進しようと、会則変更を行い、組織替えを行うことも決定した。これから新たなる装いで、活動を進めてゆくことになる。今後共、暖かいご理解とご協力を頂ければ幸いである。

 尚、この日のニュースは、永田寿康議員の偽メール問題一色という感じであった。永田議員が、武部幹事長と自民党を"金で魂を売った”と追求したメールが、実は偽の疑いが高くなったということで、謝罪。民主党内が大揺れに揺れた一日であった。

 私はこの様子をニュース等で見ながら、これも、花粉症と同じで、異物に対する、過剰反応のなせることであると感じた。小さなことを過大に語り、その対立をショーに仕立てて、国民の関心を引こうとする政治のやり方を、そろそろ考え直さなくてはならない時なのではにだとうか。

 私は対立よりも調和が、より大きな実りを生み出すこととなるに違いないと考えている。政治の世界のアレルギー症も、これから治療してゆかねばならないことだなと考えた次第であった。

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2月25日(土) 細くとも 長く続けて 堂々と テクノクラブも 酒が飲めるぞ

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 昨日は、夕刻まで国会で財務金融委員会が開かれていたので、それを終えてからJRにて地元へ。家に帰り着いたのが午前0時。そのまま風呂に入って寝る。

 そこで、今日は朝から、雑務処理。地元事務所に来ていた書類の処理をしたり、新聞に目を通したり、これから1週間の計画づくりをしたりという庶務を処理してから、家を出る。

 まず、午前11時から、新居浜市内にある乗馬クラブでの馬術大会へ顔出し、それから事務所に入って、四国人間論ゼミの準備。人間論ゼミは、午後1時半からの会合であったが、今回は、寒い時期にはヤング・リーフ・ハウスへの道が凍結する恐れがあるため、新居浜市の地元事務所で開催。参加者約10名。テーマは山本七平氏の著書“勤勉の哲学”を基に、現在ニートやフリーター等労働を忌避する傾向が強まる現代社会の問題を論じ合う。

 夕刻6時からは東予テクノクラブの20周年記念式典と懇談会。この“東予テクノクラブ”は、工業地帯としてのこの地域の未来を、技術者が中心となって切り拓いてゆこうじゃないかと、私が主唱して作ったものであった。以来20年。必ずしも顕著な成果を出したとは言い難いが、主に技術者の、社交と情報交換の場として、ここまで多くの方々のご尽力の下で続けられてきた。歴代役員、そして会員の皆さまのご努力に敬意を表したいと思う。

 源座の会長である林さんが、冒頭にご挨拶をされたが、これだけ続いたのには3つの理由があるとして、①当初からクラブの理念がしっかりしていた。②毎月、少人数でも勉強会を続けてきた。③飲み会、食事会等、会員相互の親睦を大事にしてきた等のことを述べられた。私からは、20年の活動を振り返って、東予テクノクラブがどんな歴史を経て来たかを語り、これから先も、“夢出せ!知恵出せ!元気出せ!”の精神で頑張っていただきたいとエールを送った。今後一層のご発展をお祈りする次第である。

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2月16日(木) アメリカの 経済人の ドアノック 扉開くと 新大陸だ

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 午前中は宿舎で本の執筆。正午から清和政策研究会、そして、午後1時から衆議院本会議。

 その後、しばらく事務所で雑用の処理にあたった後、午後3時からは、この4月に出版予定の「山田方谷、財政再建の思想(仮題)」の内容について、出版企画会社と最終の打合せ。大筋は今の形でOKであり、後もう少し提案部分をきちんと打ち出すということで、意見が一致。

 そして、午後5時半から、アメリカ大使公邸で“在日アメリカ商工会議所2006国会ドアノックレセプション”と銘打った会合に出席。在日アメリカ商工会議所が選んだ約30名の国会議員を大使公邸に招き、自由な意見交換をし、お互いの理解を高めると共に、相互信頼感を生み出そうという会合であった。

 何故ドアノックレセプションと呼ぶかと言えば、在日アメリカ商工会議所のメンバーが、事前に国会議員のところを訪ね、ドアをノックして懇談を行うと同時に、この会への招待を行うというところからつけられた名前であるらしい。それはともかく、この会合に出席をしているメンバーは、日本での仕事の経験の長い人が多く、日本語の達者な人が多いのに驚いた。そして、事前に一定の面識を持って参加しているので、話し相手を見つけるのが楽だし、またこの場では相互に紹介しあうのも慣例となっているらしかった。

 日本の在外大使館も、こんな形でレセプションを行えれば、もっと効果的な会を開くことが出来るだろうと感じた次第であった。

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2月15日(水) 中央と 四国を結ぶ 架け橋を 築きて次代は 先頭ランナー

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 午前11時半から四国ブロック両院議員会の開催

 今回は、党本部と四国四県の自民党県連との協力関係をいかに築き上げ、どんな形で今後の活動を展開してゆくかということが議題であったので、四国四県から自民党県連の幹事長またその代理の方に、党本部までお越し頂いた。

 実は、昨年の総選挙で、83名と大きく議席を得た一年生議員がすぐに派閥に入会してしまっては、これまでの自民党と何も変わらないということになりかねないと、武部幹事長から、地区ブロックの両院議員会の活動を活性化して、派閥に変わる受け皿を作るように指示が出されたのであった。この四国ブロック両院議員会も、県連の皆さんと一緒に「四国ブロック協議会」を立ち上げると同時に、年に1回は、四国ブロック党員大会を開催せねばならなくなった。そこで、各県連から色々なご意見を出して頂いて、その上でその取りまとめを行った次第である。

 尚、その他にも、3月中旬に開催する第1回四国未来ビジョンフォーラム開催についての説明と協力依頼、また、四国内諸団体からの陳情処理の問題、女性誌「りぶる」拡販問題等が議題となり、活発に論じ合った次第である。

 開いてみると、このブロックでの活動については、四国ブロックの自民党内で先陣を切っているようだ。他のブロックでは、まだ具体的にどうすれば良いかも分からず、暗中模索の状態だという。時丁度、2月末までには、地方制度調査会が、これからの地方自治の枠組みを巡って最大の課題である「道州制」について答中を出すことになっている。この時代の風を受けながら、これまでとかく後進地と見られてきた四国が、時代の先陣を切る時を迎えた気がしたのであった。

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2月13日(月) 四国には 熱き心の 火種あり 時代の風に 燃え上がるかも…

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 この日は、東京の予定は、夜に会合が1つあるだけだったので、朝から琴平と高松を周り、色々な方々にお会いして、3月12日に予定されている“第1回四国未来ビジョンフォーラム”の下打ち合わせを行う。

 朝8時過ぎに自宅を出て、まず向かったのが琴平、金比羅山で有名なまちである。ここにある琴平グランドホテルの近兼専務が、若手代表として、四国の未来の夢を語ってくださることになっているので、このホテルで9時半から意見交換を行う。主に観光の視点で、色々な問題指摘と共に、幾つかの提案を頂く。

 そこから次には、高松市に移動、最初に訪問したのが四国経済産業局。塚本局長と意見を交わす。色々な問題意識をお聞かせ頂く。それから、昼食を摂りながら、香川県議会の塚本議長と話し合い。実は、塚本局長は、私と親戚になるので、以前から親しくさせて頂いている方である。

 午後は、自民党香川県連で、幹事長と事務局長にフォーラムの考え方をお話し、それから、日本政策投資銀行四国支店に廣田支店長を訪問。廣田支店長は中々のアイデアマンらしく、数多くのご提案を頂く。更にそれから、四国経済団体連合会を訪ね、大西会長と懇談。そして最後にJR四国へ行き、梅原会長と意見交換。

 以上の訪問を終え、そこから急いで、高松空港に向かい、飛行機に飛び乗り上京。夜は、清和研のメンバーとの懇談会であった。

 各々に短い時間の話し合いではあったが、パネラーをして下さる各々の方が、胸に熱い思いを抱いておられることが分かり、今回のフォーラムの成功を確信した。

 手間のかかる作業がまだ多くあるが今、流している汗が必ず報われるに違いない。そして、このフォーラムが、四国に新しい時代の風を吹かせるに違いない。そんな気がした。

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2月8日(水) 一日に 為せし諸々 振り返るなら 未来日本の 箱詰め弁当

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 朝8時より、恒例の東京OAK・TREEフォレスト。テーマは、“人口減少時代を迎えた日本社会。”この人口減少の流れは、子どもを産むことを奨励する政策をいくら推進しても、中々止めることの出来ない大きなトレンドである。ならば、その中でいかにこの変化を日本にとって好ましいものにしてゆくべきかという視点で論じた次第である。参加者約50名。

 そして、12時からは、日本・宇宙議員連盟。新年度を迎えたので、昨年度の活動・会計報告を行い、その承認を得る会合であったが、JAXAが少し前に開催した産業界や学会との連携シンポジウムの様子や、2月18日に打ち上げが予定されているHⅡA9号機の準備状況等も報告して頂く。尚、この場へは、名古屋市のビジネスデザイン研究所が作ったハローキティロボットも参加。愛嬌をふりまいていた。宇宙議連の今年のテーマは、宇宙技術・宇宙活動の社会との連携ということになりそうである。

 更に午後5時過ぎからは、内閣府の松田・科学技術政策担当大臣のところへ、ロボフェスタ関係者と共に訪問する。目的は、ロボット教育がいかに子ども達の科学技術への関心を高めるかということを大臣に聞いて頂き、これから第3次科学技術基本計画の内容を詰めていく作業の中で参考にして頂こうというものであった。
 松田大臣は、この話に強い関心を抱かれたようで、早速に、このロボット教育の動きを具体的で効果的なものとするための動きを始めるよう、担当者に指示を出された。これからこの問題は、急展開で動き始めることになりそうである。とても有意義な話し合いであった。

 以上、この日1日の主なトピックを紹介したが、人口減少社会、宇宙への進出、ロボット技術、とこう並べると、各々別々の動きがたまたまこの1日に集中したというだけのことであったが、何かしら、未来の日本社会への暗示が込められている気がしてきた“日本の未来ビジョンの縮図、この一日にあり”と言うと、言い過ぎになるであろうか。

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2月3日(金) 京都にて 日本を変えた すごい人 身替わり集いて 熱く語らん

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 この日は、午後2時過ぎまで、宿舎・事務所で執筆、雑務処理等を行い、午後2時03分発ののぞみで京都に向かう。

 実は、3月19日(日)に、京都東山にある霊山歴史館を会場として、“第1回全国先覚者顕彰者顕彰サミット”を開催することになり、その実行委員会を開催するため、京都に向かったのである。実行委員会の会場も、当日サミットを開催する霊山歴史館。京都市教育委員会の方々やNPO、青年育成運動をしている方、そして霊山歴史館の事務局長さん等、7名が実行委員として集まる。
 
 午後5時から実行委員会を開始。このサミットを開くに至る経緯や考え方、進行スケジュール等はすんなりと承認される。この議論の中で、一番問題になったのが、会の名称であった。
 
 この会では、若い人に、先覚者の生き様・考え方をいかに伝えてゆくか、そして若い人が自分の胸の中に尊敬する人を抱きながら生きる社会にしてゆくかというのが最大の目的であった。とすると、“先覚者顕彰”などと言っては、若い人たちが最初から敬遠してしまう。何か言い言葉はないかと言っている内に出てきたのが、“すごい人”という表現であった。みんなが、それは良いということになって、結局決まったタイトルが“第1回時代を変えたすごい人サミット”というものであった。確かにこのタイトルにすると、若い人へのアピールも強いし、何となく壮大な響きあい、今後の発展の可能性も大きくなりそうだ。こんなことを議論し、当日までの段取りを整えて、実行委員会終了。とても面白い会になりそうである。
 
 それから、大阪の川人さんを中心とする若人たちのグループがそこにやって来て、若い人たちがこの混迷の時代をどう生きるべきかということをテーマとしての講演会。約1時間半にわたり、「志の道」の思いを中心としてお話をする。
 
 それから、京都駅発20:35ののぞみで地元へ。自宅着0時過ぎ。

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