« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

5月31日(水) ガウディーが 100年前に 夢を見て 今も鎚音 サグラダファミリア

531jpg_1

 午前中は幾つかの部会と「ロボット政策推進議員連盟」の準備会。

 6月初旬に、日本のロボット政策を総合的にサポートし推進する議員連盟を立ち上げることに合意する。
 そして、午後12時から地方自治体の財政危機を訴える地方自治大会、ハクション議連でお世話になった亀井善之先生のご葬儀、来客応対等、夕刻からは、日本法制学会での講演会。これは「山田方谷の思想」出版祝いを兼ねた講演会で、ルポール麹町を会場として、約180名もの方々が集まって下さった。

 この日本法制学会の吉田理事長から主催者挨拶の後、二松学舎大学の石川前学長から、山田方谷の人生と漢詩についてのご講演があり、続いてこの後、私から約1時間の講演をさせて頂いた。

 この講演での主張は、先の歴代大蔵・財務金融委員長会合でご披露したガウディのイラ短を示しつつ、これから私たちが日本の財政再建という大業に立ち向かってゆこうとする中で、大切なのは、その設計図(国家構想)と人々との心をまとめる思想(大思想)であるということであった。

 その考え方の下で、山田方谷が示した8つの指針の説明を行い、更にこれからの日本の国が向かうべき方向について論じたのであった。

 この講演内容は、大変好評であった。そして、財務省、金融庁の重要な役職についている方々が、陰に陽にこの財政改革に対する基本的考え方を支持してくだされば、今後大きな動きが生まれてくるかも知れないと思う実感を抱くのに十分な反応であった。

 講演会終了後、この本出版にあたりお世話になった方々と酒杯を傾けつつの懇親会。夜遅くまで、この日本の国の行く末について、活発に論じ合った次第である。

|

5月26日(金) 一冊の 本に込めたる 真情を 総会巡りて 語りたるかな

526jpg

金曜日と言えば、衆議院本会議の定例日。しかし、この日は、本会議が開かれないこととなったので、朝8時から、幾つかの党の部会等に出席した後、羽田空港へ向かい、松山へ一っ飛び。

 実は、この時期が各種団体の総会シーズンであり、この日も、松山市内で、県建設業協会、県生コン協同組合、県トラック協会、県管工事業協同組合、県産業廃棄物協会、そして、県建築士事務所協会と、6つの総会が立て続けに開催されることになっていた。それらを、次々と回りながら挨拶をし、また、各々の業界の問題点や要望をお聞かせ頂いたのであった。

 この日は、建設・土木系の会が多く、これら業界では、今、公共事業費大幅削減の中で苦しんでいる企業も多い。そのせいか、業界代表の挨拶も重く湿りがちであった。そこで私からは、こんな時代こそ、新しい可能性を見い出し、育ててゆかねばならない時なのだと、業界の一層の奮起をお願いした次第である。

 尚、その主張に関連して、少し自己PRが過ぎた点もあったが、私の近著「山田方谷の思想」についても、一言紹介をさせて頂いた。これは必ずしも本の宣伝というだけではなく、幕末期の財政困難の時期を見事な知恵で乗り越えた山田方谷という人物にもっと学び、しっかりとした考え方を持って、目前の困難に力強く立ち向かおうではないかとの呼びかけであった。

 今後、これら業界団体の皆さんと、この本の中に描き出した幾つかの力強い思想を巡って、語り合う場が出来ないものかと思う。

 かつて国鉄総裁を務められた十河信二先生は、「一花開天下春」という言葉を大事にされたという。この一冊の本が一花となり、天下全体に春を呼ぶことを夢見た次第である。

|

5月22日(月) ガウディーが 100年前に 夢を見て 今も鎚音 サグラダファミリア

522jpg

 午前中は、宿舎で各種文章修正や書類整理。

 午後、国会議員会館で、事務所会議や来客応対、議員連盟会合等。そして、ここで少し時間を割いたのが、歴代大蔵委員長・財務金融委員長をお迎えしての懇親会の準備であった。

 この歴代大蔵委員長・財務金融委員長の会合というのは、随分以前から慣行として行われていたものらしく、この委員長職に就くと、その任期中のどこかで、席を構えて先輩方をご招待しなくてはならないと、就任時に聞かされていたものである。しかし、昨年中は、9月の就任後も、年末まで何かと慌ただしく、また今年になって以降も、財務金融委員会に幾つもの重要法案が付託されていて、まずはその処理に追われたため、この5月16日に、最後の法案となる証券取引業法等改正案の衆議院通過を成し遂げてから、この会を開催したという次第である。

 ここへは、小泉総理、森前総理をはじめ、太田・元総務庁長官 、村上・前行革担当大臣、小坂文部科学大臣等に、お越し頂いて、約2時間、議論風発の楽しい時間を過ごさせていただいた。

 尚、この会議の冒頭に、主催者である私から一言先輩方にご挨拶をさせて頂いたが、そこでは、かつてスペインを旅したときに訪れたサグラダ・ファミリアという教会の建物のことを取り上げた。この建物が建てられ始めたのが、1892年のことであり、既に一世紀余を経ているにもかかわらず、その建築が今も続いている。これだけの仕事が長期にわたり営々と続けられているのは、その背景に、ガウディのしっかりとした設計図(国家構想)とキリスト教の思想(大思想)があったからであり、これからの日本の財政再建は、これらの考えを重視したものでなくてはならないと述べた次第であった。

|

5月20日(土) 再開の 地元事務所で 打ち合わせ 本格始動の 準備体操

520jpg

 地元滞在日。

 昨日夕刻、東京からJRで地元に戻り、川之江紙商組合総会に顔出し後、四国中央市の幾つかの企業訪問を行った。それから新居浜へ戻り、新居浜管工事業協同組合の総会。普段ご無礼をしている方々と酒杯を傾けつつ意見交換。

 今日は、朝、自宅で週間計画作り等の雑務の後、人間学図書販売ネットワークの立ち上げについてご相談すべく、ある経営者を訪れ、アドバイスを頂く。それから、地元事務所会議。事務所再開後、もう2週間となるので、段々と具体的な事務所活動について話し合う。

 その後、7月22日に予定している“元気・高齢社会フォーラム”のパネラーを務めて頂く方々にお集まり頂いて、この企画内容についてのご理解とご意見を頂く。更に、新居浜地区で、今後ロボットを看板として開発することについて、その企画の打合せ。

 それから、自動車整備振興会東予支部の総会へ顔を出して、ご挨拶。再び事務所へ戻り、色々な企画の起案や書類整理。

 尚、この日は、私の娘の誕生日。娘も16才、高校1年生である。映画“ダヴィンチ・コード”を見たいと言うので、一緒に映画館へ行く。誕生日と言っても、父親として大したことは何も出来ないが、これで少しは心に残るものがあったのかなと思う。

 翌21日の日曜日は、新居浜市内全校区で地域の皆さんが中心となっての運動会(とは言っても、地区の事情で開催しないところもある)。そして、料飲組合総会や吟剣詩舞道大会等もある。それから上京予定。
 この時期が、丁度地元行事の多い時であり、そのせいで目の回る忙しさである。時間的に出席のかなわない会も多いが、出来る限り顔を出し、有権者皆さんの日本政治に対する感触を的確に掴んでおきたいものだと思う。

|

5月14日(日) 未来から 吹き来たるらし 風受けて 動き始めた 風車かな

514_1

 朝8時半より三浦旗少年剣道大会。日本各地より約1000名の少年剣士が集い、優勝旗を目指して、競い合う大会。一言挨拶をとの事であったので、“日本の国とは何か、日本の文化とは何かと言えば、あなた方自身だ。あなた方がいなければ、日本の国も無ければ、日本の文化も消えてしまう。だから、この国を良い国にするということは、日本人がより良い日本人になるということだ。そんな考え方を、是非胸に抱いて欲しい”とお願いをした。

 そこから次には、西条市に伊予千寿苑という特別養護老人ホームが出来て、この日落成式ということであったので、その式典に出席。“これからの日本の高齢社会には、高齢者自身の思想、社会側の受け入れ態勢とシステム、そして、介護ロボット等の新しい技術の3つの側面を総合的に考えながら、新しい高齢社会像を作りだしてゆこう”と訴えた。

 更に松山に行き、“自民党愛媛県連・政経文化パーティー”に出席。この日は、竹中総務大臣が記念講演を行い、その後に交流パーティーであった。このパーティーで、色々な人に出会い、進藤秘書を紹介すると共に、新しい時代の政治活動の夢を語った。

 そこから、再び新居浜へ戻ったわけだが、その道中、色々な方のお宅や会社を訪問し、これからの政治活動の在り方にご理解を頂くと同時に、色々な方々の問題意識や要望をお聞きして回る。

 率直な感想を語れば、今回の事務所閉鎖問題で、多くの方々から厳しいご批判を頂いたが、各地で私の率直な思いをお話し申し上げると、随分ご理解を頂けた気がする。やはり、激動の時代の中で、何があっても不思議ではないという気落ちを抱いている方が多いのだろう。そんなこともあるのかなという表情で、理解を示してくださる方々の姿を見ていると、この地域も、今確かに動き始めているのだという実感を胸に抱いたのであった。

|

5月10日(水) 突然に ギックリ腰を 初体験 腰は確かに 要だと知る

510

 朝8時より、東京OAK・TREEフォレスト。“教育基本法改正とこれからの教育”がテーマであったが、この日は、財務金融委員会の理事会を8時50分に開くことにしていたので、後を教育問題に力を尽くしておられる山本豊先生にお願いをして、中座。衆議院理事会室に駆け込む。

 問題が起きたのは、委員会室のある建物前に着いて、自動車を降りようとした時のこと、少し腰をひねったか、腰の辺りに激痛が走った。しかし、すぐに直るだろうと、痛みをこらえて理事会を終え、更に、委員会において委員長の務めを正午過ぎまで務め、委員長席を降りようとしたら、この時は、痛みが激しくて、全く歩けない。委員会の職員に両脇を支えて頂いて、何とか理事会室へ行った。

 無事理事会は終えたが、与野党理事、特に与党筆頭理事の渡辺喜美代議士が、“これはギックリ腰に間違いない。自分も経験者だが、ここで無理をしては体を痛めてしまう。すぐに病院に行くべきだ”と病院の手配までして頂いたので、この忠告に従い、病院に駆け込み、診断をして頂く。そこでレントゲン撮影をすると、骨には異常はなく、これは静養する以外に治療法はないと、コルセットを巻き、薬をもらい、一度衆議院に戻る。この頃になると、もう先程の激しい痛みはなくなったので、この午後、与党理事に代理を務めて頂いていた委員長席に戻る。そして、予定議事を務め上げた。

 これが、私のギックリ腰初体験である。今回、腰に痛みがあると、全く歩けなくなるということがよく分かった。腰の字を解体すると“肉体の要”という意味になると昔聞いたことがあったが、その通りだと思った。そして、この日は、痛みに苦しむ人のことに広く思いを巡らせた1日でもあった。

 それにしても、健康であることは本当に有難いものであると感じた次第。

|

5月6日(土) 久々に 街宣カーの マイク持つ 地域に新風 送る風神

506_1

 朝8時半から、ラジオ体操の集い。これは、妻鳥さんと井手さんという四国人間論ゼミの常連参加の2人が、地域の青年育成のために始めたもので、最初にラジオ体操を一緒にやってから、井手さんが人生の所感を語ることとしている。毎月第1土曜日に開催。とは言え、4月に始めたばかりで、この日が2度目、15名くらいの若い人たちが参加していた。

 それから事務所へ行き、事務所の者と共に、街宣車で選挙区内に繰り出した。2日後に、新体制で地元事務所を再開するのに先立って、新しい政治を皆さんに訴えようとの趣旨であった。新居浜市の国道11号線沿いで第一声を上げて、そこから、四国中央市で4カ所、西条市で4カ所街頭演説を行った。別子山を除く旧市町村で1カ所ずつ行った形である。

 ここで訴えたことは、以下の3つの柱であった。
①昨年の秋の選挙後、衆議院の財務金融委員長に就任して、国の財政再建に力を尽くして取り組んでいる。この度、「山田方谷の思想」という本を出版したが、この本に書き著した考え方で、今後も力を尽くしてゆきたいと思う

②また、自民党四国地方開発委員長にも就いて、四国全体の発展にも力を尽くしている。道州制移行への動きの中で、地域に新しい可能性を切り拓きたい

③昨年の選挙では、“新しい日本を作ろう、新しい自民党を作ろう、止めるな改革!”をスローガンとして戦った。それを具体化するために、これから地元事務所を新たな形とする。そして、新時代にふさわしい政治活動を展開したいと考える。

 この街宣を終えて、夜は、地域の中で新しいことに挑戦している方々に集まって頂いての会を開催。ここでも、私の地域社会に対する率直な思いを語りかけた次第である。

|

5月3日(水) 世の中は ゴールデンウィークと言うけれど 一日の暇も ハードな登山

503_1

 終日、子どもと共に過ごす。

具体的に言うと、朝、自宅を出て、石鎚山へ向かう。この石鎚山は標高1982メートル、西日本一の高峰と言われていて、山岳信仰の地でもある。とは言っても、山の中腹にある成就というところまではロープウェイがあって、そこの標高が大体1300メートルであるから、大体標高差にして700メートルを、自分の足で登ったということである。

 若い頃と言っても、私が中学生・高校生の頃、この山に何度か登ったことがあった。その頃は、私もとても元気で、登り坂も走る様に登った記憶があったので、まあそんなに苦労もなくこの程度の山なら登れるだろうと甘く考えたのが、大間違いであった。大体、山頂までの中間地点と言ってよいであろうが、試し鎖と言って、山頂への鎖に挑戦する前に試験的に登り降りする鎖があるが、そこを登って降りた辺りから、体が悲鳴を上げ始めた。そこから先が坂道も厳しくなるのだが、階段を10段くらい登る度に一休みしつつ、最後はフラフラになりながら、何とか山頂に辿り着いた次第である。

 一方、この春に高 1 になったばかりの娘はと言えば、余裕たっぷりで、ニコニコ笑いながら、先に進んでは父親が登ってくるのを待っている。この山では、全く父娘の優劣逆転であった。結局、登山に要した時間は、成就から約3時間半。遥か昔は、2時間くらいで登っていた気がするから、募る年齢には勝てないということか。加えて、ふと気づくと、若い頃から較べて今は20㎏余り太っている。20㎏余りの荷物を背負って登山しているのと同じだから、厳しいのも当たり前か。

 その後、突っ張る足で下山。それから国道194号線を少し高知に入ったところにある“木の香温泉”で体をほぐした後、夕食は新居浜で食べる。
 テレビでは9日間の長期休暇などといっているが、私にとっては、この日1日だけの休みであった。しかし、クタクタ。仕事をしているよりも、ずっと疲れた休日であった。

|

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »