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6月29日(木) 隣り合う 国家同志で いさかえば 結局共に 不幸せだね

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 昨晩まで、OAK・TREE誌7月号の最終修正と仕上げ作業に追われたため、積み上がっていた事務整理や雑務処理を、この午前中に行う。またOAK・TREE誌8月号の原稿を一部執筆する。
 

 それから、正午に韓国大使館へ。今後の日韓間の問題解決に向けた取り組みを進めるにあたり、一度大使のお考えをお聞かせ頂きたいとお願いをしていたところ、それでは昼食を摂りながらと、ご招待を頂いたのであった。

 この場でご相談させて頂いたのは、一つは、両国の若手国会議員の相互理解促進について、そしてもう1つは、今年秋にソウルで予定している「新世紀文明国際シンポジウム」の件であった。詳細は省かせて頂くが、羅大使はこれらの問題をきちんと受け止めて下さり、適切なアドバイスをして下さった。

 外交というのは、最後は人と人との信頼感だと思う。国と国とが隣接していれば、対立したり衝突したりすることも、色々と生まれてくるだろう。歴史も文化も異なる国同士では、考え方が違うのも、当然のことである。しかし、それでも相互理解の足場の上に立って調整を行うのと、逆に相互不信感の上に立って論じ合うのでは、自らその結論は異なったものとなるだろう。また、国民感情に及ぼす影響も、全く違ったものとなるだろうと思う。

 私は、日本を代表する立場での仕事をするわけであるから、それが韓国の立場や思惑と一致をするわけではない。しかし、主張は異なっても、誠実に対処してゆきたいと思う。可能な限り、相手を理解することに務めたいと思う。羅大使も、そんな気持ちで私に接して下さっていると思う。
 この様な話し合いが、日韓間の問題解決を考える上で、とても大事な話し合いであった気がした次第である。

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6月25日(日) 方谷の ふるさと訪ね 墓参り また論じたよ 先師の思想

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 この前日は、岡山市で、岡山備前方谷会主催の山田方谷先生に関する講演会・シンポジウムであった。約180名の方々が参加をして下さった。講演後の反響も、とても大きなものがあった。

 そして、今日は、山田方谷先生の故郷、備中松山藩、つまり、高梁市での会合である。実はこの高梁市では、一昨年に生誕200年のプレ行事として、シンポジウムを開催した。そして昨年も、“雲中の飛竜・方谷先生の思いをかたちに”と題したフォーラムを開催した。今日で、3度目である。ならば、方谷先生の人生がいかなるものであったかといったことを学ぶ段階ではなく、いよいよ高梁市の市民皆さんが、方谷先生の思いを胸の中に抱き、具体的行動を起こす段階に至ったという気持ちがしたのであった。

 そこで、今回は、多くの人を集めるのではなくて、これから何らかの活動を起こしてゆきたいと考えている指導的な人たちに集まって頂きたいとお願いをした。その結果集まって下さったのが約70名であった。そしてこの人たちに対して、約1時間半、私から、まち作りの為に方谷先生の思想をどう応用すべきかということについて、お話しをさせて頂いた次第である。

 その後、一旦休憩。参加者に考える時間を与えるためであった。その間に、方谷先生の墓前にお参りをし、それから、晩年を過ごされた大佐町に作られた山田方谷記念館を訪問。丁度ここに集まっておられた方谷会の皆さんとも意見交換。その途中には、地域で意欲的に陶芸作品を作っておられる方のところもお訪ねした。
 そして、午後5時にその会合を再開。参加者から発表をして頂くという前触れに恐れをなしたか、今度は参加者約20名。しかし、20名もいれば、十分に町作りは出来る。色々な案を持ち寄って頂いて、運動の基礎を固める。その後、懇親会に少し顔を出して地元へ。

 夜10時半、自宅へ戻る。この日、頭の中は山田方谷先生一色であった。

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6月23日(金) 技術者が もっとやるべき 自己主張 ファッションならば テクノビズだね

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 午前10時。国会事務所に日本政策投資銀行四国支店長の廣田さんが訪ねて下さる。3月に開催した四国未来ビジョンフォーラムの後、いかに具体的に四国の夢を作り上げてゆくかということについての打合せであった。この場で、早速、その協議を行う会合開催を決める。

 その後、WTO問題を巡って、全国から農業関係者が集まっているWTO関係者集会、そして、正午から、森前首相が日韓議員連盟会長である関係で、今後の日韓問題を巡って、在日韓国大使館の金公使との話し合いを行う場に、私も21世紀委員長として呼ばれ、話し合いに加わる。

 午後は主に事務所で、来客応対や執筆、雑務処理。

 そして、この日夕刻には、日本技術士会総会後のパーティーであった。この「日本技術士会」というのは、高度の技術力と高い人間性を有する人たちが相互に研鑽すると同時に、技術者の地位向上の為に集まっている団体である。いわれは、技術立国日本の礎とも言うべき講演である。それだけに私も、時間が許す限り出席をして、ご挨拶を申し上げることにしている。

 今回、私は、前日にNASAの方から頂いた巣スペースシャトルのネクタイをして、この場に臨んだ。そしてお話をしたのが次のようなことであった。

 “皆さん、技術者はもっと自己主張をして良いと思う。今日、私は、元々宇宙分野の研究者であった誇りを胸に、このスペースシャトルのネクタイをしてきた。一目見るだけで、恐らく私が技術者であり、元々宇宙分野を専門にしていた人間だと分かるだろう。技術者は、自分の専門分野を表現したネクタイでもバッチでもネクタイピンでも良いと思うが、何かを身に付けて、もっと自らの仕事を自己主張しようじゃないか。これを私は、クールビズならぬ、テクノビズと名付けたい。”と。大受けであった。このテクノビズ運動は、今後、是非推進をしてゆきたいと思う。

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6月21日(水) 混迷の 世に問わるるは 大思想 心に立てん 大黒柱

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 財務省内において、課長補佐・係長級の、実務面で中心的な役割を果たしている中堅官僚約40名に対して、「山田方谷の思想」についての講演。これまでも、このテーマでは随分様々な会でお話をしてきたが、この問題の本丸は、やはり財務省。それも、これから財政再建の実務を担う人たちが真剣に考えるべきテーマであるからと、若き財務責任者たちが数多く集まって下さった。

 この会合については、実は、谷垣財務大臣にご提案し、お願い申し上げたことであった。私から、“これからの財政再建問題は、国民的批判の中を信念を持って遂行してゆかなくてはならない課題であるが、それには、強い大きな思想が必要である。その考え方を、本を出版したこの機会に財務省の担当たちに是非理解して頂きたいと思う”と申し上げると、大臣からは、“財務金融委員長としての仕事を行う中で感じてきたことを、率直に財務省の官僚皆さんにお話するのには意味があるし、また当然のことだと思う。是非やって頂きたい”というお返事を頂いて、開催が決まったものである。

 それだけに、今回の話は、格別の覚悟で行わせて頂いた次第であった。財務省の官僚皆さんにとっては、これまで、こんな形で財務金融委員会が乗り込んでくる例はほとんど無かったに違いなく、一体何事かという気持ちで集まって頂いたのだろうと思う。しかし、話が進む内に、この私の主張の重要性を理解して頂いた様子で、強い関心を私の話に向けて頂いた。
 思想というものは、人の心の中を貫く大黒柱である。一度、1時間程度の話を聞いて、それでよく分かったというわけにはいかないだろう。しかし、その時に十分に理解できなくても、一度胸に入れたものは、それが必要になった時に、必ず表に姿を現してくるに違いない。その意味では、大きな意味のある会合であったと思うのである。

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6月16日(金) 半年の 通常国会 閉会なれど 新たな仕事 終わりの始まり

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 150日にわたった通常国会の実質的最終日。ただ会期としては、18日の日曜日が最終日であり、野党は、明日以降も内閣不信任案を提出する可能性は残しておきたいとして、閉会手続きを行う本会議で、一番最後に慣例として行う議長からの閉会挨拶は無かった。

 私自身は、今国会中、財務金融委員長として重要法案審議に随分の時間とエネルギーを費やしたが、この日も、朝から委員会を開催。時丁度、日銀・福井総裁の村上ファンドへの出資問題が話題になっているときであり、委員会も一部混乱。理事会も、この対応を巡って、少なからぬ応酬があった。こんな形で最後まで気の休まらない委員会であった。しかも、国会閉会後も、この日銀問題を巡って閉会後も、この日銀総裁問題を巡って、閉会中委員会を開会する方向で、理事懇の開催が決定したので、来週も引き続き、この問題で仕事を続けることとなりそうである。

 しかし、こうは言っても、国会は閉会であり、これから少しは、自分自身の時間を作り出していけそうである。事務所に山積みする書類整理もやらなくはならないし 、“山田方谷の思想”出版後の各地の講演も残っている。日韓議連21世紀委員長としての仕事や新世紀文明会議をいかに進めるかということも考えなくてはならない。更に、教育問題を巡って、可能なら、この時期に一冊の本をまとめてみたいという気持ちもある。自民党総裁選挙も、これから動き出すだろう。

 従って、閉会と言っても、私の体が楽になるわけではない。むしろ活動量から言えば、会期中以上に多忙になるかも知れない。それでも、自分自身が自由に決められる時間が増えることが有難い。これまでやりたくても時間に縛られて出来なかったことを、これから思いっきりやってゆきたいと思う。

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6月14日(水) 政治とは 多次元世界の 旅なるか 異時空間の テレポートだね

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 午前中は、宿舎で、事務処理、執筆、企画作り、行事対応準備等。

 正午より、党本部で四国ブロック協議会。今回は、常時の四国ブロック両院議員会のメンバーに、四国四県の自民党県連幹事長に加わって頂いて、自民党の四国全体の問題を協議し、決定する会合ということにした。そして、9月の自民党総裁選挙を前にして、四国ブロック大会をどんな形で開催するかという事を諮らせて頂き、この界を9月2日にかいさいすることに決定した。
 その後、短時間の本会議があり、再び党本部へ戻る。

 今度は、月刊雑誌「自由民主」の対談であった。対談の相手は石川忠久先生。二松学舎大学の前学長(東京大学名誉教授)、今は湯島聖堂を運営する斯文会の理事長を務めておられる方である。中国の漢詩の分野で、日本を代表される方である。日本政治の場に、古来からの豊かな知恵を、古典を通じて取り入れてゆかなくては、現在の日本社会の混乱を脱却することが出来ないのではないかという観点から、論じ合った次第である。
 それから、次は、青山に作られた新国立美術館の視察。更にその隣接地の政策大学院大学も訪れて、その様子を見せて頂く。

 そこから続いて、日本パーソナルコンピューターソフトウェア協会の総会に行く。この日の総会の講演テーマは、ロボット。長年主張し続けてきたロボットという課題が、コンピューターのソフト分野でようやく真正面から取り上げて頂ける時代になったかと思うと、感無量であった。その思いを、講演会後の懇親会の場でも、マイクの前でお話しさせていただいた次第。

 1日を振り返ると、四国の問題、古典の問題、芸術の問題、長期的政策課題、未来技術のロボット問題等、多岐にわたるテーマを追いかけた1日であったと思う。政治とは、直に多次元世界の旅である。

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6月11日(日) 若き人 人生登る 坂道に 忘るな理想と 足下の一歩

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 この日も東京滞在。午前中宿舎で雑務処理と事務整理を行った後、信濃町へ。アレルギー病に苦しむ人たちと医療関係者が語り合う“日本アレルギー友の会”の会合へ顔を出して、一言ハクション議連のご紹介と取り組みのご説明を行う。

 それから、早稲田へ。この日、早稲田大学の学生が中心となって「大学生人間学研修会」が開催されるので、そこで、お話をするのであった。テーマは“人生を貫く言葉と志の道。”大学生といえば、20歳前後の人生の針路を決めるべき大切な時である。この時期に、人生の指針となる力強い言葉に触れながら、自分の人生に思いを巡らせて欲しいと願ってのテーマ設定であった。

 集まっていたのは、大学生15名。まず私から、約1時間半にわたって、“志の道”に建立した石碑の言葉を中心とした話をさせて頂き、その後、大学生達のグループディスカッション。自分自身の人生の夢をお互いに語り合いつつ、お互いに人生を見つめ合ってみようという時間であった。それから、1人ひとりが自分の夢とその実現のための取組みについて発表。

 最後に、私からの講評。次の視点を指摘させて頂いた。
①人生、この若い時期に、自分自身を見つめ、遠い先の夢を胸にしっかり抱くことには、とても大きな意味がある。

②そこで大切なのは、自ら文章を書くこと、そして、その思いに基づいて行動を起こすこと。それによってより深い理解が得られてくる。

③同時に、習慣を形作る事が大切。1日に1パーセントの成長をすると、1年で37倍にもなる。何を習慣化するかも、文章できちんと描き出すこと。

④夢を持つことを恐れてはならない。皆さんの描く夢こそが、明日の日本を作る。

 大体こんな事をお話した。若者よ、大志を抱け!この様な話をしながら、クラーク博士の気持ちが、胸に迫ってきた。

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6月10日(土) 方谷と 陽明学に 導かれ 二松学舎の 特別講義

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 この日は土曜日ではあったが、地元には戻らず、東京での仕事。午前中にはOAK・TREEE誌の原稿執筆や事務整理等。

 そして、午後2時に、皇居の西側にある二松学舎大学へ行く。実は、午後2時半から、この二松学舎大学の大教室で、「山田方谷に学ぶ~夢出せ!知恵出せ!元気出せ!」というテーマの講演会が開催されたのであった。これは、この二松学舎大学創立者の三島中州先生が、山田方谷先生の弟子であったご縁で、私の本の出版を記念して、実現して下さった講演会であった。

 聴衆は約150名。通常のこの種の会合では参加者が30名か40名くらいだと大学の方が言っておられたから、余程力を入れて広報・宣伝をしてくださったという事だろう。最初に、山田方谷先生の人生を紹介するビデオが流された後、佐藤学長から、私の紹介を兼ねたご挨拶を頂いて、それから、私の約1時間の講義。そして、その後約40分間、参加者との意見交換もあった。大学でのお話であったせいか、主に、教育分野に関係するご意見が多かった。教育者の方々も、変化する時代の中に、確かな足場を求めているのだという気がした次第であった。

 この講演会後、三島中州研究会の皆さんと懇親会。陽明学を足場に人生を考えようという人たちが集まっているせいか、とても元気の良い方々であった。率直にこの場でもあれこれ語り合う。
 こうしてこの一日、山田方谷先生と陽明学のことを語り考えたのであった。今の日本には、確かに山田方谷先生の思想が求められている!・・・
 そんなことを、改めて痛感!!

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6月9日(金) 日本に ロボット育てる 議連なり 産官学に 串通すなり

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 朝8時から、党本部で幾つかの部会等に参加。

 9時半から、愛媛県議会の徳永・高山・住田県議が、東京のスポーツ関連施設の視察に上京していたので、国会議員同伴でないと中々視察ができないという国立スポーツ科学センターまで一緒に出掛ける。そして、会議室での話し合いの後、私だけ永田町へ戻る。

 実は、12時から“ロボット政策推進議員連盟”の設立総会であった。これは、長い時間をかけて準備をしてきた議連であり、これから約10年間で、このロボット産業の規模を10兆円にまで育てようということを全面に打ち出した議連である。約50名の衆参両院自民党国会議員に入会して頂いた。

 この議連では単に技術面の開発を支援して、新しいロボットを作り上げるというだけでなく、この分野を支える人間育成と社会全体のリテラシーとも言うべきものを涵養する活動、そして、ロボット法等、人間とロボットが共生する中で必要とされるルールを定めたり、社会インフラを整えたりするロボット受容環境整備も、促進してゆこうと考えている。言わば、ロボット時代を展望して、政治の立場から総合的に為すべきことをやってゆこうという議連である。

 丁度、もう一週間もすれば、通常国会が閉会となるので、全国各地を歩き回り、色々なロボットに関係する人々や組織を訪れ様々なものに横串を通す仕事もしてゆきたいと考えている。

 この日は、その後、本会議や、日本医師会総合研究所の石原先生との話し合い。その他、来客応対や事務整理・雑務処理等を行う。

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6月6日(火) パレスチナ バーレーン大使と 語る夢 未来はきっと 良い国になる

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朝から、党本部で災害対策特別委員会等、各種会合。その後、宿舎で執筆や雑務処理を行い、再び党本部で部会等。

 午後は、代議士会、本会議の後、国会議員会館に2人の賓客をお迎えした。1人はパレスチナ駐日代表部のワリード・アリ・アシム大使であり、もう1人は、バーレーン王国のハリール・ハッサン大使であった。この訪問は、少し前に、パレスチナ代表部が主催する晩餐会があったときに、両大使から一度ゆっくりと話をしたいという申し出があり、快諾した結果、実現したものであった。ものであった次第。この日、この2人が、時間をずらして次々に議員会館をお訪ね下さったという訳である。

 パレスチナ大使ご来訪の用件は、今休眠状態となっている日本・パレスチナ友好議員連盟を今後どう立て直してゆけばいいだろうかというご相談であった。そこで、昨年の総選挙で落選されたが、これまで中心的に活動してこられた先輩議員と相談して何らかの道筋を付けてゆくことをお約束した次第である。

 バーレーン大使の方は、大使が日本の新エネルギー分野と教育分野に強い関心を持っておられ、具体的にどんな形でこの分野の両国間交流が可能になるだろうかというご相談であった。この点も、今後関係者と話し合いの場を持たせて頂くお約束をした次第である。

 国際関係というのは、とても微妙なものがある。小さなキッカケにすぎなかったものが、国際環境の変化の中で、急激に巨大な結びつきになることもある。だから、日本の国益上も軽く扱ってはならないと考える。私も決して時間に余裕があるわけではないが、日本の将来を考えると、小さなことに対しても、誠心誠意お応えをしておくことが大切だと考えているものである。

 この日は、この後、財務金融委員会理事全員が集まり、夕食を交えての懇親会。アフリカ料理店で、忌憚のない意見交換を行なう。

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6月5日(月) 地上には 息苦しきこと 多き故 宇宙に向かい 夢の箱舟

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 金沢市で国際宇宙会議の開会式が行われ、それに出席する。そして、その開会行事の1つとして開かれた第25回大会記念シンポジウムのパネラーを務める。このシンポジウムのコーディネーターは、JAXA宇宙教育センター所長の的川先生、そして、他のパネラーは,向井宇宙飛行士、秋葉東大名誉教授、立川JAXA理事長であった。

 私からは、私たちが宇宙を目指す意味は、この地球上において、色々な面で閉塞感が高まり、夢が持ちにくくなっている今、宇宙が夢の箱船の役割を果たすということなのだと語りかけた。この“夢の箱船”というのは、旧約聖書の“ノアの箱船”からの連想である。かつてこの地上に大洪水が起きた時に、神に認められた善良なるノア夫婦と色々な動物の1つがいずつがこの船に乗ることが許され、そのおかげで命助かり、水が退いた時に、これらノアの箱船に乗っていた動物たちが、再び地上に広がり、新しい社会を作ったという話に基づくものである。 

 つまり、私たちは、宇宙の箱船の世界に、この地上の夢を全て集めて乗せて、それを再び地上に戻すことによって、新しい夢に満ちる地球社会を作ってゆくのだという発想を持ってはどうだろうと語りかけたのであった。そして、私のスローガンである“夢出せ!知恵出せ!元気出せ!”の考えで、更にこの宇宙開発を推進しようと呼びかけた次第である。

 尚、金沢を訪れたのは久し振りであり、前日の4日(日)の内に金沢入りし、興味を持感じていた様々な施設を回った。後でカウントしてみると、20カ所余りを次々に回り、そこで色々な着想を得た。とても刺激的な金沢での2日間であったと思う。

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