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7月31日(月) 四国には 四国ならでの 味がある 我に目覚めよ 料理の鉄人

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地元事務所会議の後、高松市へ。この日は、四国の経済団体が一体となって開催する「明日の地域づくりを考える四国会議」のフォーラムの日であった。

 昼食を摂りつつ、このフォーラムの主催者と意見発表者が、今回の会の進行について打ち合わせ。その後、午後1 時半から、フォーラム開会であった。

 まず、四国経済連合会の大西淳会長が、開会挨拶を行った後、各種団体からこれからの四国に対する提言発表。そしてその後、私から約45分の講演であった。

 そこではこんなことを語った。

 「今、日本の国の財政が厳しさを増し加えている中で、まず国からのお金をあてにするという考え方では、四国の発展はなかなか得られない。今、私たちは、四国に住む人たちの中から、夢と知恵と元気を出して、新しい時代を切り拓いてゆくことが必要ではないか。

 例えば、これまでの四国は、他に依存する考え方が強かったがゆえに、自分自身で料理を作り、他の地域の人に食べて頂くというのではなく、他に食材を持ち出すような形であった。それを自分自身が料理を作り、この四国に来て食べて頂く地域にするのだと考えると、四国には410万人の人口しかいないけれど、この四国に隣接する府県には3000万人以上の人たちがいて、この人たちが四国を訪れるようにとなるのだ。

 発想を切り替えよう。そして、自らの責任と努力で明日の四国を作り上げてゆく覚悟を持とう。そうなると、国の側からも、もっと色々なお手伝いが出来るようになるのだ」と。

 会場には、約200名の方々が集まって下さっていたが、会場の雰囲気を見ていると、強い関心を持って聞いて頂けたのではないかと思う。とは言え、長い間の考え方を一気に切り換えることは、なかなか出来ることではなくて、この会を出発点として、これからずいぶん長い時間と莫大なエネルギーを投じて、人々の考え方を動かしてゆかねばならないだろうと思う。

 とりあえず、遠大な旅の第一歩を記した日であった。

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7月25日(火) 人育てるも ロボット育てるも どこか似ている 結局熱意と 継続性だね

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午前10時からの全日教連事務局長・書記長会議で講演。今の教育界が見落としている大事な部分について、私が気になっていることをお話した。特に、教師が自ら人間学を学び、自分自身を人間的に高める努力をしてゆかなければ、教育の諸問題はなかなか解決されないだろうといったことや、教師が社会から尊敬を受ける仕事になるには、教師が退職後も教育者であり続けることが大切だと思うといった、教師皆さんには少し辛口のご意見も申し上げた次第である。

 尚、翌26日は、昨年暮れに小学生誘拐殺人事件が起きた栃木県の今市に出向き、教育現場の皆さんとの意見交換の会合を予定している。こんな形で教育問題への取り組みが、この頃、活発になっていることを感じる。
 この全日教連役員の会合の後、私たちは、ロボット政策推進議員連盟の活動で、東京工業大学へ。ちょうどこの一週間、外部の人に大学の様子をご紹介する意味を込めて、ロボットの展示と講演を行っているとのことであった。

 大学に到着すると、まず大学の責任者との懇談。それから、このロボット分野で大活躍の広瀬茂男教授のロボット実演を交えた講演会。更に、東工大で研究し製作している様々なロボットを展示している会場の見学と、盛り沢山な内容であった。

 この東京工業大学のロボット研究は、随分長い歴史を持っているだけに、取り扱っている研究テーマも幅広く、製作されたロボットも様々なものがあった。それらを見ていると、ロボット人間共生時代も、もう間近ではないかという印象であった。また、この場で働いている学生たちを見ると、目が輝き、活き活きと活動している様子がとても印象的だった。

 教育の問題、これが日本の鍵だと改めて思った1日であった。

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7月22日(土) 体が元気 心が元気 地域社会も元気であれば 人も社会も ピカピカ輝く

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 夕刻5時半より、新居浜市民文化センターの中ホールで、「元気・高齢社会フォーラム」を開催。参加者約350名。終日、この資料準備やパネラー間での意見調整会合等に忙殺される。

 この会は、これから日本が世界一の超高齢社会に向かって進んでゆく中で、社会のあり方のみならず、社会を構成する色々な人たちが、どんな考え方を持つべきかという思想の問題、更に、新しい道具を開発することによって、高齢者がより豊かに人生を生きてゆける可能性までも探ってみようという、幅広いテーマを掲げた会であった。光り輝く高齢社会の基本は、“元気さ”にあるのではないかということで、“体の元気・心の元気・そして地域社会の元気”を、フォーラムのサブタイトルに掲げさせて頂いた次第である。

 会の冒頭は、“晩晴の人生・伊庭貞剛”というミュージカルで幕を開いた。ミュージカルと言っても、西条市の音楽家・久門真理子さんと私の2人だけの舞台であった。明治時代、この新居浜の地で、煙害問題や自然破壊問題に立ち向かった伊庭貞剛が、晩年をいかに澄み切った心境で生きたかを伝えようとするミュージカルであった。1 週間前に音合わせを 1 度しかやっていなくて不安ではあったが、何とか無事終了。

 それから、医療・福祉・労働・生活・文化・介護技術等の各々の分野からパネラーが登壇して、これからの高齢社会を活発に論じ合うフォーラム。今も現役の医師として活躍中の日野原重明先生の言葉を呼び水として、より豊かに、そしてより幸せに高齢者が人生を生き抜く高齢社会とはいかなる社会であるかということを、活発に論じ合った。そして、この議論の結論として、10項目の提言をまとめることが出来た。

 今後、この提言を礎に、元気・高齢社会の具体的ビジョンを描き出してゆきたいと思う。詳細は、OAK・TREE誌10月号をお楽しみに。

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7月19日(水) よく聞くよ 日本は人こそ 資源だと そんな鉱脈に 出会った気分

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朝8時から、自民党本部での東京OAK・TREEフォレスト。この頃は、毎月、コンスタントに50名くらいの方々が参加して下さり、色々なご意見を語って下さる。

 その後、党の会合や来訪者の応対等を行い、午後から宿舎に戻り、執筆と会合準備。実は、この日、夕刻から志ある青年が集い、勉強会を重ねている「フォーラム21」の会合であった。この会は、21世紀を担う指導者の育成が焦眉の急であるとの思いの下で、日本財界を代表する方々が世話人となって設立されたものであった。この教育に情熱を傾けておられる梅津昇一氏が専務理事として運営にあたられてきたことから、1999年のフォーラム21・総会において、当時の今井敬・新日鉄会長(当時、経団連会長)より「平成の松下村塾たれ」との思いを込めて、「梅下村塾」と命名されて今日に至っている。日本を代表する企業と官庁から、有力な若手が選抜されて、参加をしているそうである。

 この日の出席者は、約50名。山田方谷のお話を私から申し上げた後、約1 時間の意見交換の時間があったが、さすが選抜された人たちだけのことはあり、質問内容は、急所を狙って鋭く打ち込んでくるものが多かった。可能ならば、もっと長い時間をかけて、広く深く議論し合ってみたいと思ったが、残念ながら時間切れ。
 この会には、情報社会の未来像を論じ合うグループも一緒に参加していたので、次回は是非、日本文化を足場とした情報社会の議論をやろうじゃないかということで別れた。

 日本には、よく言われるように天然資源が豊富にあるわけではない。最後は、人こそが資源というのは、その通りだと思う。今後、先見力あるビジョンを描いて日本社会をリード出来る指導者が育成出来なければ、この日本の国は、沈みゆく船となってしまいかねない。私は、まだこのグループのことはよく分からないが、その未来への扉を開く1つの鍵を手渡された気がしたのであった。

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7月16日(日) 教師にも 心の寄辺の 欲しきかな 共に歩きし 新宮の道

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午前中、自宅で、1 週間の活動の整理と、翌週土曜日に開催予定の「元気・高齢社会フォーラム」の準備等を行う。それから昼食を摂りながら、地元事務所の活動についての打ち合わせ。それから、新宮へ向かう。

 この日は、教職員の全国団体の 1 つである全日本教職員連盟の三好祐司委員長をはじめとする役職者7名が、「志の道」を歩きたいと訪れてこられる。それに、大阪の荒川君、西条市の山本君が加わり、更に四国中央市の鈴木副議長も、そんな方々が来られるのならお迎えをしたいということで、参加して下さった。計10名の小規模な「志の道を歩く会」となった。

 そしてその後、ヤング・リーフ・ハウスで「吉田松陰の教育論」をテーマとする四国人間論ゼミ。

 参加して頂いた方々には、各々に深く感じるものがあった様子で、とても喜んで頂いた。

 尚、三好委員長からは、教育者版の「志の道」を作ってみたいとのご提案も頂いた。それは、今、全国各地の教育現場では、色々な問題に悩み苦しんでいる教師が多くなってきているからであった。これに対しては、教師自身が広く深く人間学を学び、その中でしっかりと自分自身の足場を築くことなくして、この混迷の時代に子どもたちを導いてゆくことは出来ないということではないだろうか。

 この提案に対し、私からは、この3月に京都で開催した「日本を変えたすごい人サミット」をこの企画に組み合わせ、教育者のすごい人を広く論じ合いながら、深く心に残る言葉をみんなで探してゆこうじゃないかという提案をしておいた。今後、どんな展開を見せることとなるか、楽しみである。

 この日は、その後、新宮地域を鈴木さんのご案内で回り、色々な人と意見交換。

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7月15日(土) ロボットと 技術士会の お見合いは まあ取りあえず 合格点だね

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 この土曜日も、在京日程。

 午後1 時から、新宿の工学院大学で、日本技術士会主催による「現代日本を救うロボット技術」をテーマとした研修会があり、そのシンポジウムで、コーディネーターを務める。出席者は約200名。

 最初に工学院大学学長の三浦宏文先生から、自分が取り組んでこられたロボット研究の紹介と、今後のロボット開発の向かうべき方向に関しての講演が行われた。それから、総合科学技術会議議員・柘植綾夫氏、経済産業省産業機械課長・高橋泰三氏、NEDO理事・佐々木宜彦氏と私から、各々約30分のスピーチを行った。そして、その後、以上のメンバーが全て壇上に並んでのディスカッションである。

 私からは、論点をロボット技術・製品開発の視点、ロボットを用いた教育とロボット受容意識涵養の視点、そして、ロボット法等の社会側の受け入れ環境整備の視点という3つの柱に整理して、議論を進めさせて頂いた。そして、会場も含めての活発な議論の結果として、1 1 のとりまとめを行った次第である。(詳細はOAK・TREE8月号・18ページに掲載)

 恐らく、今回の議論の取りまとめが、これからのロボット育成への日本の総力を挙げた取り組みにとって、1つの礎となるだろうと思う。初動期のこの時期の仕事は、将来の方向づけが最も大事な仕事であると思う。それだけに、考えて考えて考え抜いて、出来る限り漏れのない全体像を描き出す努力をしてゆかなくてはならないと思う。

 今は、自分自身で可能な限り日本中を駆け巡って、あちこちに火をつけて回ると同時に、産・官・学の間に多く峻える壁を1 つひとつ突き崩して、相互に自由に交流し、新しい発想や動きを生み出してゆけるように、力を尽くすことである。

 “火柱が強ければ、青草だって燃え上がる”とは、土光敏夫氏の言葉であるが、今は私が火種と自認して、努力してゆきたいと思う。

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7月12日(水)~14日(金) 今もなお 景気低迷 北海道を クマなく回って シカと見てきた

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 この3日間、衆議院財務金融委員会の国内視察。対象地域には、北海道東部地域を選択した。

 その理由は、今、日本経済は好転をして、戦後最長の景気拡大が続いているなどということが語られている中で、未だ低迷を続けているのが、この地域だからであった。この地域の中心産業は、広大な大地で作物を作る農業と、北海の魚介類や海草を採り、加工する水産業である。加えて、土木建設業が大きなウェイトを占めている。ところが、最近、この地域では、農業・水産業は不振、土木建設業は、公共事業費の削減の中で、仕事量の減少に苦しんでいる状況である。その経済実態を確かめたいというのが目的の1つであった。

 そして同時に、昨年には知床半島が世界自然遺産に指定をされて、脚光を浴びているが、この地域のもう1つの柱である観光業が、今後どんな展開を見せてゆくのかということも大きな関心事であった。従って、観光の視点からも、いくつかの施設を見て回った。

 更にもう一点目的を加えるとすれば、地方自治体の財政問題である。少し前に夕張市が巨額の赤字を抱え、財政再建団体の申請を行う決定をした。同じように借金に苦しむ地方自治体が北海道には多く、その実態と対策を学ぶことも大きな関心事であった。

 訪問地を列挙すると、網走刑務所・博物館網走監獄・オホーツク流氷館・小清水原生花園・知床半島(遊覧船・知床五湖)・知床峠(国後島)・丸中しれとこ水産・硫黄山・摩周湖・屈科路湖・釧路湿原と随分多くを回った。
そして、状況説明を受け、懇談を行った相手は、北海道財務局、札幌国税局、函館税関、斜里町、斜里第一漁協、日本銀行釧路支店、釧路市と幅広い対象であった。

 この視察の成果を一言で言えば、とても有意義な視察であったと言えると思う。3日間、バスで広い大地を駆け巡る視察であったが、このような経済的に厳しい状況に留まる地域に対して、国政側から何を為し得るかと広く考え、また語り合った次第であった。やはり、“百聞は一見に如かず”とは真言であると思う。

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7月10日(月) 日本の 未来を示す 情報求め 今日は一日 センサー人間

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 午後一番、千葉工業大学を訪問する。目的は、この4月に新しく作られた“未来ロボテックス学科”の視察と意見交換であった。この初代学科長が、中野栄二教授。昨年春、長い間教鞭を執られた東北大学を定年退官後、千葉工業大学に移られ、1 年間、この学科立ち上げにご尽力されたそうである。ロボフェスタ協会の理事長でもある。

 それだけに、カリキュラム編成からして、新しい取り組みがなされてた。その目玉が、私たちが訪問したロボット製作実習。学生1人ひとりが自分で創意工夫をして、ロボットを製作し、この秋には、コンテストを開いて、そのロボットの性能やアイデア、完成度等を競い合うのだという。 

 この日、その製作実習を見せて頂いた後、この学科の施設を見学して、それからこの学科に関係される全ての教授・助教授・講師が集まって下さっての意見交換会。そこで出てきた発言がとても興味深いものだった。次のような発言であった。

 「このロボット製作授業を始めてから、この実習教室で熱中して製作に取り組む学生が多くなり、授業終了後も教室を閉じないで欲しいという学生や、朝早くから教室の鍵を開けて欲しいという学生が出る様になった」
「その他の授業、例えば数学や技術系の座学においても、授業後に必ず質問に来る学生がいて、先生方は大体授業終了後30分間くらいは、教室を出れなくなった」等。

 自分自身が構想を持ち、意欲を持って取り組むと、授業が一変する。これからのもの作り教育において、このロボット教育が1つの活路を切り開く取り組みであると確信をした次第である。

 夜は、日本経済団体連合会の新世代リーダー懇談会。例によって山田方谷がテーマではあったが、航空・宇宙関係者も多く来られていた。これからの経済の中で、人間学が大切であり、経団連活動の中においても、この人間学への取り組みを進めてはいかがだろうかと提案をした次第である。

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7月7日(金) 方谷の 本が引力 ニュートンの リンゴ引っ張る 不思議な力

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 午前中は、宿舎で書類整理、雑務処理、講演準備等。

 正午に、金融財政事情研究会のある四谷近くの会場に行く。この日は、金融財政事情研究会の昼食講演会であった。出席者は約100名。大手銀行、地方銀行、生保、損保等、多くの金融機関関係者がお集まり下さった。聞くと、この研究会の設立者は、福田赳夫元総理であり、発足は昭和20年代とのことであるから、長い歴史と伝統のある研究会である。

 テーマは、「山田方谷の思想」。現代日本の財政危機をいかに乗り越えるかというテーマの下で、今回は、専門家の皆様の会でもあったので、少し政治論も含めてのお話をさせて頂いた。金融というのは、日本経済の心臓であり、この部分に良識が確立されれば、その影響は極めて広範囲に及ぶと考えられる。これから更に議論を深めてゆきたいとの希望を抱く。

 この会合の後、森喜朗前総理の事務所へ。幾つかの懸案があり、相談をさせて頂く。

 それから、急いで羽田空港へ、この日夕刻6時より、久し振りの松山OAK・TREEフォレストである。椿神社の会館で開催したが、約50名の方々が集まって下さる。この会のテーマも、「山田方谷の思想」。

 翌8日も、今度は、今治市でこの会合を開催する。こちらの参加者は100名を超える予定。一冊のきちんとした本を世に送り出すと、色々なところに波及するようだ。少し苦労をしても、本を出版することには大なる意義があるということである。

 今後も、時間が許せば、色々なテーマについて、本を書き残してゆきたいと思う。今の時代は、考え方が混乱して、それが社会の混迷に結びついていると思う。それだけに、きちんとした考え方を世に示すことが私の最大の仕事であるに違いないと、改めて考えた次第である。

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7月3日(月) 地方には 内なる力が 宝なり 金に頼るな 他人に頼るな

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 朝8時半から、地元事務所会議。そして、9時からチチゲンの会。このチチゲンの会というのは、特許や商標等の知的財産権をもっと活かして、地域を元気にしてゆこうとの趣旨の会であり、この目的の下、地域経済関係者を中心に約20名が参加。新居浜にサテライト・オフィスを開いておられる小池国際特許事務所の小池晃所長から、まず最近の知的財産権を巡る動向についてご説明があり、続いて私からも、これからの展開について発言を行った。それから、意見交換。出席者各々の問題意識や希望が語られ、活発な話し合いとなる。

 それから、次に観音寺市に向かって自動車を走らせる。この日、第52回四国中央サミットが開催されたが、私が今、自民党四国地方開発委員長を務めている立場から、意見を述べさせて頂くための参加であった。四国中央地域の今後を巡って、幾つかのお話をさせて頂いた後、6市町の首長から、色々なご意見が述べられ、それらにお答えさせて頂く形で議論が行われた。こんな形の議論は、このサミットでは初めてとのことであったが、とても有意義であったとの評価を頂いた。

 更に次は高松市へ。今年の3月に“第1回四国未来ビジョンフォーラム”を高松市で開催したが、そのフォローをいかに行うかということについて、参加パネラー皆さんにお集まり頂いての意見交換会であった。この種のフォーラムは、往々にして意見の言いっ放しで終わってしまうことが多いのだが、今回は、時丁度四国州へ向けての動きが起きている時でもあり、具体的運動を育成しつつ、目標達成を図ってゆこうと、皆さんの思いが一致したものであった。今回の話し合いは、私からの提案が唐突なものであったせいか、少し噛み合いがよくなかったが、それでも皆さんの気持ち、考え方を確認し合う上に、大きな意味があったと思う。

 この後、高松空港から飛行機で上京。地域問題について、多くのことを論じ合った1日であった。

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7月1日(土) サハリンに 今も残れる 韓国の民 戦さの傷が まだ残れるか

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午前中は、宿舎で雑務処理や依頼原稿の執筆・修正作業等。

 正午前に、東京・平河町にある海運クラブへ行く。この日、ワールド・トンポー・ネットワークが主催する
“未来志向の日韓関係を考える”というシンポジウムが開催され、私もそのパネラーを務めたのであった。

 このワールド・トンポー・ネットワークというのは、日本と韓国の間で友好交流を促進してゆこうとするNPO団体であり、特に、第2次世界大戦の後にサハリンに残留を余儀なくされた韓国人の子弟を対象に韓国や日本への留学を推進する活動を展開している。私にパネラーの依頼が来たのも、以前に文部科学副大臣を務めたことがあり、この留学推進について意見を語って欲しいとの意味であったようだ。

 この日の議論は、韓国釜山にある東西大学校日本センター所長の張済国先生とワールド・トンポー・ネットワークの金明子代表からまず基調報告の意味合いを持つ講演があった後、張先生がコーディネーターとなり、韓国側国会議員、権哲賢先生・金炯柱先生、日本側国会議員、鳩山由紀夫先生と私が論じ合う形であった。
 ただ時間的に、全体として2時間半と短かったので、必ずしも十分な議論をし尽くすことは出来なかった気がする。

 私からは、問題を解決しつつ進んでゆくには、基本に“夢と知恵と元気”が必要であり、両国国会議員が努力して、両国民が共に夢を持ち、知恵を生み出し、元気を響かせ合ってゆけるような政治を進めようではないかと語りかけたのであった。

 正直なところ、このサハリン問題は、今、必ずしも大きな政治課題と捉えられていないところがあり、両国共通の課題として議論の俎上に乗っていないところがある。しかし、将来の世代を共同で育成することが出来れば、それが契機となって、両国の理解が深まったり、教育を巡る協力が広がる事もあるだろう。
 私もこれを契機に、この問題への関心を深めてみたいと思う。

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