
前日、日本を発って、中国の西安へ。途中の上海で、成田空港出発組と岡山空港出発組が合流して、夜の10時過ぎに西安空港に到着。ホテル着は午後11時過ぎ。
この日は、朝から、長い期間中国の都が置かれていた西安の観光。西安には既に何度も訪れている人と初めてという人がいるので、二手に分かれての観光とした。初訪問組は、おきまりのコースで、秦の始皇帝が作らせた壮大な兵馬俑、三蔵法師がインドから持ち帰った教典を保存するために作られたと言われる大雁塔、そして、シルクロードの起点となった西の大門を回る。
一方、私たちは、西安郊外の皇帝の陵墓を回った。初めに、西の大門を訪れた後、一路西安北西部の乾陵へ向かった。この道程の所要時間は約2時間半。ここは唐の時代の高宗とその皇后で中国初の女性皇帝となった則天武后が一緒に葬られている陵であった。この中はまだ発掘されていないのでどんな風になっているのか分からないが、その参道に立てられた多数の石像などを見ると、その当時の権力の大きさが偲ばれた。
この時、少し小雨が降っていた。それが一層権力のはかなさを感じさせた。いかに大きな権力を有した人であっても、いつか死を迎えることは、どんな人でも同じ。確かに、死して後にこれだけの大墳墓を残したが、それが一体何だと言うのだろう。一生涯を権力闘争の中に明け暮れた則天武后の人生に思いを巡らせると、むしろ哀れささえ感じた次第である。
それから、近隣の永泰公主墓に隣接する食堂で昼食を摂り、中が公開されているこの墓へ。一番奥の棺の部屋に至る坂道となった通路には、色鮮やかな壁画が描かれ、よう々な埋葬品が置かれていた。私は、中国の陵の中に入るのはこれが初めてであったが、小さな墓でこれだけのものならば、大きな墳墓には想像を絶するものが秘蔵されているのだろうと思う。
ここから、次は、最近発掘され始めたばかりの陽陵へ。これは、景皇帝の墓である。陵の周辺が発掘調査されていたが、そこに数多くの埴輪が発見されていて、当時の人々の生活ぶりが感じられた。
中国では、墓の中に歴史が大切に守られていることを感じた。この漢や唐の都であった西安で中国の悠々の歴史に思いを巡らせた一日であった。
この後、夜の便で敦煌に移動。
8月21日(月)
前日、日本を発って、中国の西安へ。途中の上海で、成田空港出発組と岡山空港出発組が合流して、夜の10時過ぎに西安空港に到着。ホテル着は午後11時過ぎ。
この日は、朝から、長い期間中国の都が置かれていた西安の観光。西安には既に何度も訪れている人と初めてという人がいるので、二手に分かれての観光とした。初訪問組は、おきまりのコースで、秦の始皇帝が作らせた壮大な兵馬俑、三蔵法師がインドから持ち帰った教典を保存するために作られたと言われる大雁塔、そして、シルクロードの起点となった西の大門を回る。
一方、私たちは、西安郊外の皇帝の陵墓を回った。初めに、西の大門を訪れた後、一路西安北西部の乾陵へ向かった。この道程の所要時間は約2時間半。ここは唐の時代の高宗とその皇后で中国初の女性皇帝となった則天武后が一緒に葬られている陵であった。この中はまだ発掘されていないのでどんな風になっているのか分からないが、その参道に立てられた多数の石像などを見ると、その当時の権力の大きさが偲ばれた。
この時、少し小雨が降っていた。それが一層権力のはかなさを感じさせた。いかに大きな権力を有した人であっても、いつか死を迎えることは、どんな人でも同じ。確かに、死して後にこれだけの大墳墓を残したが、それが一体何だと言うのだろう。一生涯を権力闘争の中に明け暮れた則天武后の人生に思いを巡らせると、むしろ哀れささえ感じた次第である。
それから、近隣の永泰公主墓に隣接する食堂で昼食を摂り、中が公開されているこの墓へ。一番奥の棺の部屋に至る坂道となった通路には、色鮮やかな壁画が描かれ、よう々な埋葬品が置かれていた。私は、中国の陵の中に入るのはこれが初めてであったが、小さな墓でこれだけのものならば、大きな墳墓には想像を絶するものが秘蔵されているのだろうと思う。
ここから、次は、最近発掘され始めたばかりの陽陵へ。これは、景皇帝の墓である。陵の周辺が発掘調査されていたが、そこに数多くの埴輪が発見されていて、当時の人々の生活ぶりが感じられた。
中国では、墓の中に歴史が大切に守られていることを感じた。この漢や唐の都であった西安で中国の悠々の歴史に思いを巡らせた一日であった。
この後、夜の便で敦煌に移動。