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9月30日(土) 秋の夜に その一日を 振り返る 人、様々な 道を歩けり

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 朝、自宅で若干の雑務処理後、新居浜事務所で打ち合わせ。それから私は、松山へ向かった。この日、松山では3つの行事があった。

 その第1は、“きょうされん全国大会”である。障害者の働く共同作業所を運営している人たちとそこで働く従業者が全国から集まる会であり、開会前に障害を持つ方々の歌と音楽の舞台を見せて頂く。そして開会後、会長等から、共同作業所の諸問題を訴える挨拶をお聞きした後退席。

 第2の会は、長年愛光学園で校長をお務めになられた門屋方典先生のお別れ会。私が在学中は、漢文の先生として論語や漢語のご教授を頂いた。追悼の挨拶をお聞きし、ご存命中のVTRを拝見している内に、35年前のことが思い出され、涙を禁じ得なかった。そのお別れ会の後、思い立って、私が在学中の校長であった田中忠夫先生の墓前にも、お参りに行く。(学校近所の丘の上に墓所がある)

 そして、第3の会は、県立美術館で開催されていた平和祈念事業特別基金主催の“平和祈念展”であった。戦争中のことを後世に教え伝えるために巡回展を行っており、この日は丁度、松山市にやってきていたのであった。もう60年以上も昔のこととなってしまったが、かつての戦争の中で、軍人のみならず、一般国民も含めた人たちがどんな思いを胸に、この時期を過ごしてたのであろうかと、人々の心が偲ばれる展示であった。
 それから新居浜へ戻り、主に書類整理。

 夜この1日を振り返る。色々なことを感じ考えさせられた1日であった。人は、色々なことに出会い、感じ、考え、そこから何かを生み出して、それにより社会を動かしてゆくのだと思う。それが何であるかは、その時にすぐに分かるわけではなくて、往々にして暫く経って振り返る中で初めて気がつくものである。

 これからも、多くの、刺激的な出会いのある人生でありたいと思った次第。

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9月27日(水) 顔かたち 異なることも 多けれど よくよく話せば 根ッコは同じ

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 朝、事務所で幾つかの仕事を片付けた後、9時20分発ののぞみで京都へ。この日“第5回日露国際フォーラム2006”が、京都駅近くのキャンパスプラザ京都で開催されることになっていて、私が、その第1分科会「教育」の座長を務めることになっていたのであった。

 昼前に京都着。以前から一度立ち寄って欲しいと言われていた“京すずめ悠遊舎”の事務所を訪問した後、会場へ。そこで懇談しつつ昼食を摂った後、午後1時半から分科会の議論が始まる。参加者は、ロシアから、ロシアの議員や教育者、デザイナー等約10名、日本側からは、京都市の門川教育長を初めとして約30名、合わせて、約40名の会合であった。

 最初にロシア側座長であるヴォルコヴァ・エレーナ女史から基礎講演を頂いた後、私からも簡単な講演を行い、それから参加者の自己紹介、そして問題提起を頂いた。ここまでで約2時間を要する。そしてその後、相互に意見交換。あっという間に、閉会時刻の午後5時となった。全員から発言を頂く形の進行をしたので、随分と時間はかかってしまったが、参加者の満足度は高かったようで、このフォーラムの第1目的が相互交流と理解であったので、一応私の座長としての進行に対して、合格点を頂けたようである。

 それから、少し懇親会まで時間があったので、会場近くの散歩、西本願寺周辺の京都のまちの風情を楽しんだ後、午後7時からレセプション。私は仕事があり、このレセプションの途中で退席して東京へ戻る。

 異なる国の方々の議論にも、この頃は少し慣れてきたが、それにしても時間がかかるものである。最初にお互いを知り合うための自己紹介だけでも、随分時間がかかる。議論をするのも、通訳を入れると、最低2倍以上の時間がかかる。しかし、それでも避けられないのが、国際化時代の議論である。今後、色々な国々の人々と論じ合う事も多くなると思うが、その時に基本原則を自分の中で確立しておく必要性を痛感した次第である。

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9月26日(火) 同期生 総理となれり 我もまた 胸に覚悟の 一本杉だ

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 臨時国会開会日。そして、国会における首班指名の日。いよいよ安倍さんが、総理大臣に選出される日である。

 それに先だって、常任委員長会議。河野洋平衆議院議長から、この臨時国会の会期について、意見を求められる。
 私の財務金融委員長としての仕事は、事実上、ここで全て終了することとなる。昨年9月にこの職に就いて以来、色々なことがあった。証券取引所のトラブル、財政・税制を巡る様々な問題、ホリエモン・村上ファンドや日銀総裁の問題等々。また、金融取引業法をはじめとして、随分多くの法案も審議した。そして、アフリカ視察、北海道視察、そして、都内の国有財産や証券会社等の視察等。坦々と職務をこなすことを旨として務めてきたが、振り返って多くの山谷を越えてきた事への感慨ひとしおである。

 本会議での首班指名は、予定通り安倍総裁が339票を得て指名された。参議院も同様で、その結果、第90代内閣総理大臣となる。そして、この日の内に組閣され、安倍政権がスタートを切った。

 私自身は、今回、国会も自民党内も、閑職に身を置くことを願い出る。それは、私自身がこれまで余りに慌しく駆け続けてきた中で、一度自分自身を見つめ直したいという気持ちがあったし、また安倍政権が誕生して、多くの国会議員が、ポストを巡ってその争奪戦が行われる中、せめて同期生として自制しておきたいという気持ちもあった。そして何よりも、この激動の時代の中で、慌しさの中に身を置くよりも、じっくりとこの時代の動きを見つめ、そこに大きな国家ビジョンを描き出すことに全身全霊を駆けてゆきたいとの希望があった。無役という訳にはいかないが、拘束の強い仕事は避けさせて頂いて、出来る限り自由に動けるポジションにいたいと思う。

 私と同期、そして同年代の国会議員が、日本の権力のトップに立った。それは、私にも覚悟が求められることである。私は、日本一のビジョンを描く国会議員になろうと思う。それが、今回の私の決意である。

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9月20日(水) 恐竜も 時の流れに 消えてゆく 政権変わるも 進化の過程

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 自民党総裁選挙の日。9月8日に告示されて以来、これまで12日間の運動を経て、この日、自民党国会議員の票404票と、各都道府県連で集められた一般党員票300票を合わせて、704票の投票結果で、第21代自民党総裁が選出されることになる。

 12時半に、赤坂プリンスホテルのロイヤルホールで、安倍陣営最後の集会。そして、午後2時から自民党本部8階のホールで、国会議員投票である。そして、午後3時前には、投票結果が発表され、安倍晋三候補が、第1回投票で464票と66%を超える圧倒的な得票を得て、新総裁に選出された。

 安倍総裁は、その直後の就任挨拶の中で、自分は、戦後生まれ初の自民党総裁に選出されたと述べた後、これから新しい時代を切り開いてゆくために、先人から引き継いだたいまつの炎を燃やし続け、美しい国、日本を作り上げてゆきたいと、力強く決意を語った。

 そして、夕刻には、この選挙戦を支えた安倍晋三応援隊の報告会。

 振り返ると、この総裁選挙は、全体としてとても静かな選挙であった。当初から勝負が見えていたということもあるのだろうが、同時に、自民党自身も体質が変化してきていて、もう昔の様に、国会議員の中でお金が飛び交ったり、毎晩宴会の連続ということもなくなった。自民党総裁と言えども、その総裁がそのまま総理大臣となるわけであり、自民党の身内の問題として片付けられなくなってきているということでもあろう。首相選出を国民による直接投票に委ねてゆこうという首相公選制の議論も消えてしまったわけではない。むしろ今後、更に国民の思いをこの総裁選にいかに広く取り入れてゆくかという議論が進められてゆくだろう。他の国の様に、国のトップを決めるのに、国民全体のお祭り的な要素も取り入れてゆくことになるかも知れない。

 何にしても、この総裁選を経て、小泉時代から安倍時代に政界は移り変わってゆく。これも、日本政治の進化の1つのプロセスなのだうと思う。

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9月16日(土) 時は今 総裁選の 中なれど 胸に宿すは 福澤諭吉

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 自民党総裁選告示以来、一週間余り。この選挙期間中、地元にいて少し動いてみようとも考えていたが、東京で色々な会合もあり、結局、東京で、安倍選対事務所の詰め番をしたり、執筆をしたりの一週間であった、マスコミ報道も、安倍晋三候補が他の2人を引き離して、圧倒的に強いと報じている。永田町での実感も同じで、選対事務所でも本部長をはじめとして引き締めを図るが、楽観ムードを打ち消すには至らない。恐らく7割近い国会議員が、安倍陣営に駆けつけている現状であり、これでは、勝敗がくつがえることはあり得ないと私も思う。

 この日は、地元での日程。朝に東京駅を新幹線で出発して地元へ。しかし先に述べた状況であり、また地元での電話作戦も既に終了しているので、日程は普段の活動と同じである。列車車中では、OAK・TREE10月号の修正と四国人間論ゼミの準備。そして、12時40分に川之江駅に着いた後、新宮のヤングリーフハウスへ。

 午後1時半から四国人間論ゼミ。今回は「広瀬淡窓・咸宜園の教育」がテーマ。広瀬淡窓は、大分は日田の人であり、江戸時代末期に、日本で最も多くの弟子たちを教育したといわれる咸宜園を主宰した人である。いかなる教育理論と教育手法でこの教育を行ったがという点に、強い関心を抱き、論じた。

 それから夜は、地元のOAK・TREEフォレストである。テーマは、自民党総裁選挙中ということもあり、“日本政治の行方~自民党総裁選後の政治課題~”とした。西条ひうち会館での会合であったが、参加人数も少なく、机を口の字型として、お互いに自由に語り合う形の会とした。

 明治維新の頃、福沢諭吉が、上野の山で官軍と幕軍が戦いをしている最中にも教育を行っていたことを、参加頂いたた方々に話をしながらふと思い出していた。

 私の人生が、この日、福沢諭吉と重なり合った気がしたのであった。

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9月9日(土) 若者は 内なる炎で 輝ける 一体誰が 火消しなせるか

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 この日は、自民党総裁選挙に関して、街頭演説を行う。それと同時に、私にとっては、昨年の総選挙が9月11日のことで、もうすぐこの任期も丸一年となるタイミングであった。そこで、5期目の国政において、この1年間、衆議院で財務金融委員長を勤めたこと等の報告も、この街頭演説で行った次第である。

 その街頭演説に先立ってこの日、高校生になった娘の運動会が行われており、この中で行われる応援合戦が、中々大したものだから、是非見に来て欲しいという話であったので、その様子を見に、高校へ行く。何とも親バカと言われればその通りであるが、小さい頃から十分に子どものことを構ってやれなかったことに対する、罪滅ぼしの気持ちもある。
 高校を訪れてみると、上下の学年を貫いて4つのチーム編成が行われ、それらが競い合う形で競技が行われていた。幅5メートル、横10メートルもあるような巨大な応援のパネルも、生徒たちが自主的に描いてグランドの周囲に立てられていた。

 そして、いよいよ応援合戦であるが、これは、この学校で伝統的に随分力を入れて行われてきたものであるらしく、4つのチームが、各々に力を尽くして演じていた。ここに至るまでに、相当の練習を積み重ねてきたことが一目で分かるくらい、見事に整った、そして力の入った演技であった。その演技を見ながら、最近、青年の問題がよくマスコミ上でも取り上げられて、このままでは、日本の国の将来はどうなるのだと語られることが多いが、若者たちは、自らがやる気を出して懸命に取り組むならば、これほどまでに見事に事を成し遂げることが出来るものかと、つい涙がこぼれるまでの感動を覚えた次第である。

 今、若者たちに、このやる気を喪失させているものは一体何だろうか。自らが成長し、そして健やかに美しく自らを表現出来る者たちに、日本社会は、十分に成長する意欲を与えることが出来なくなってしまっているのではないだろうか。深く広く考えねばならない課題がここにあることを感じた次第である。

 この若者たちの姿を見ながら、私自身も常に全力で生きられる人生を生き抜いてゆきたいものだと思う。

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9月8日(金) 国・地方 間に高き 山聳ゆ さらば貫け 青の洞門

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 自民党総裁選挙の告示日。安倍陣営としては、まず午前10時半から、自民党本部で再チャレンジ議連の決起大会。立候補手続きを終えたばかりの安倍候補が少し遅れてやってきて、決意を語る。そしてその後、赤坂プリンスホテルで安倍晋三応援隊による決起大会。私は、この会は冒頭だけ顔を出してすぐ退出、羽田空港へ。実は、この総裁選日程が決まる前に、この日の午後、今治市議会議員の皆さんに対して、これからの地方自治を巡るお話をすることに決まっていたからであった。それが、今治市議会で午後3時開会であった。

 この今治市議会議員の皆さんに対する会合は、寺井議長の肝入りで開かれたものであった。7月8日に今治市で“山田方谷の思想”出版を記念して頂く形で、OAK・TREEフォレストを開催した時に、“もう少し深く具体的な話を聞いてみたかった”というお話であったので、ならばと、この会をセットしたものである。今治市議会の定数33名に対して、24名もの市議会議員が集まって下さった。

 最初に、山田方谷の思想についてお話し、そこからの教訓として、8つの地方自治への示唆を述べさせて頂いた。それから、総務省が来年度に向けて取り組みを考えている政策について、簡単に触れた後で、意見交換。問題の幅広さに対して、若干時間不足の印象ではあったが、この会合を通して国と地方の間に峻える山の間に洞窟を掘って、双方の理解と協力を築くことの大切さであり、少しは、国政と地方自治間の間での風通しが良くなったのではないかと思った。

 今は、国も地方も激動の時代である。その大きな変化の激流に対して、政治の対応が一番遅れているというのが、率直な印象である。これは随分昔、“第3の波”の著者トフラー夫妻に質問した時に、トフラー夫妻から答えて頂いたのも、同じ趣旨であった。政治は、落ち穂拾いも必要だが、同時に種蒔きもしなくてはならない。そんなことを改めて考えた一日であった。

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9月4日(月) 加戸知事は 嵐の中の 柳かな 枝漂えど 根ッコ動かじ

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 午前中は、自宅で、原稿執筆、雑務処理、書類整理等。

 午後は、事務所での打ち合わせ、色々な会合企画作成等。

そして、夕刻6時からは、自民党新居浜支部主催の時局講演会が、リーガロイヤルホテル新居浜で開催された。自民党愛媛第3選挙区支部も共催で開いた会合であり、私も、この支部長として出席して、ご挨拶をする。
 この日の講師は、加戸守行・愛媛県知事。

 今、地方財政がとても厳しい状況にあり、愛媛県としても、各種歳出のカットに務めているというところから話し始める。県職員の給与カットまで行わざるを得なかった窮状を訴えると共に、そうは言いつつも、これから新しい愛媛作りのために、“愛と心のネットワーク”作りを更に進めてゆくつもりだと、今後の決意と抱負を語られた。いつもながら、にこやかな表情で物腰は静かであるが、主張内容を聞いていると、言いにくいことを随分ハッキリと語られる。

 その話をお聞きしながら、私は、柳の木のイメージを頭に思い浮かべていた。激動の時代、その嵐の中で、頑固なだけでは枝が折れるし、幹も倒れる。しかし、信念が無ければ、根無し草であり、風に流されてどこへ流れ着くかも分からない。加戸知事は、大地に強く根を張りつつも、枝は、その時々の風にはあえて逆らわない、柳の木の様な人だと感じた次第である。

 確かに今のような時代、人は、生き方が強く問われる時代である。昨日と今日が異なり、また明日も違うわけであるから、常に多くの判断が求められる。その判断を生み出す原点には、利害や人間関係もあるだろうが、やはり最後に決断を導くのは、その人間の持つ思想なのだろうと思う。真に強く生きるためには、「人間学」が大切だ。こんなことを改めて強く感じたのであった。

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9月2日(土) 総裁選 三羽烏の 鳴き較べ よくよく聞けば 三重唱だね

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 朝、地域青年主催のラジオ体操と河川敷清掃活動に参加。その後、地元事務所へ。実は、この日、松山市で、自民党四国ブロック大会が開催されることになり、私の陣営からの参加者が先にバスで出発するというので、そのお見送りである。私自身は、それから一度自宅へ戻り、幾つかの仕事を片付けた後、追いかけて、松山へ向かう。

 ブロック大会は、午後1時半開会であった。参加者は、四国各地からの自民党員の皆さんであった。塩崎・実行委員長、大野・四国ブロック会長の挨拶の後、9月8日告示の自民党総裁選に立候補を予定している安倍官房長官、麻生外務大臣、谷垣財務大臣の3氏が次々に壇上に立って、総裁選に出馬する決意と自らの政見を述べた。それから、白石真澄さんがコーディネーターを務める形で、3候補予定者のパネルディスカッション。経済問題・外交問題・教育問題等、色々な課題について、議論が行われ、その政策内容だけでなく、人柄や識見等も、一般自民党員の前に示される会合となった。

 その会場の様子を見ながら、総裁選も、昔から見ると随分変わったなと思った。昔は、各々の候補者が、各地で自前の大会を開き、そこに、応援団の系列国会議員が多数壇上に集まって力を誇示するような選挙であった。今回は、自民党が主催し、各候補を平等に扱い、党員各々が自ら候補者を見て支持を決定するという形である。これなら確かにお金もかからないし、確執や怨念が後まで強く残るということにもなりにくいだろう。もう一言言うならば、国会議員自身も、メンツにかけて人集めをしなくてはということもなく、とても楽である。各候補予定者の話も、争いというよりも、一つの合唱曲を聞いているようであった。

 政治は時代と共にある。時代が変われば政治も変わる。これからの時代の日本のリーダーを選び出す選挙が、国民を共に、これからの日本のことを考え合う選挙であって欲しいと願う。

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