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3月31日(土) 激動と 言葉にすれば 空疎だが 我が体には 無数の傷跡

20070331

 平成18年度の最後の一日。私自身のこの1年間を振り返ってみる。
 何とも激しい1年間であった。永田町の仕事もそうであるが、それだけではなく地元事務所を巡っての騒動もあった。その中で色々なことについて迷いつつ考えて、そして少しは信念とすべきものを見出した一年間でもあったと思う。

 正に激動の1年。しかし、こんな言葉で1くくりにしてしまうと、言葉というのは何とも空疎なものだ。ただ空中をワクワクと浮遊しているような印象である。そこで私の体を見る。私の体のアチコチに、目には見えないが痛みを伴う傷がある。そしてそれが、今もうずいている。これが現実だ。1年間様々なものを相手に戦ってきた現実だ。そう考えると、急に、私自身の一年間がリアルなものに感じられ、同時にとても愛おしいものと思えたのであった。

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3月30日(金) 選挙とは 入学試験に よく似てる 能力・気力 運まで必要

20070330

 統一地方選挙の、道府県議会議員選挙の告示日である。愛媛県議会議員選挙も、この日程で行われる。そこで、私も昨晩地元に戻り、朝6時過ぎから必勝祈願祭や、出陣式等、地元候補の各種行事を回り、また選挙事務所に挨拶に行く。

 そこで感じたのは、私が最初、昭和58年に県議選に挑戦した頃とは随分雰囲気が変わってきているということである。出陣の時に集まっている方々は、支持者の皆さんであるが、そこにかつてのような熱気はない。その人たちでさえ、選挙を少し距離を置いて眺めているという雰囲気なのである。

 私は、それがこの時代の特徴ならば、それはそれで仕方がないと思う。いやむしろ、より客観的に、候補の人柄や考え方、またこれまでの実績を評価して頂いたらいいと思う。選挙とは入学試験とよく似ている。その人の全てがここで評価をされるのであるから。

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3月29日(木) 小池さん オリンピックに 走り初め 以来マラソン 42.195年

20070329

 お願いごとがあって、日比谷の大和生命ビルにある小池国際特許事務所に、弁理士の小池晃先生をお訪ねする。

 先生が自分の特許事務所を開設したのは、昭和39年のこと。日本ではこの年、オリンピックが開催され、、新幹線や高速道路が続々作り上げられるダイナミックな上京を目のあたりにして、これから日本は技術で生きてゆく国になると確信してのことであったと言う。

 以来42年余、日本を代表する弁理士事務所を育成されると同時に、自ら弁理士会長や政府の知的財産戦略本部委員等を歴任すると共に、今は知的財産権研究所長に就いておられ、また大学等での講義もしておられる。
 先生の信念は、常に夢を抱き全力で働く…マラソンの42.195㎞ならぬ42.195年の仕事を経て、尚走り続ける小池先生である。現代のスーパーマンである。

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3月28日(水) 誕生前の ロボットサロンに 托す夢 全てを溶かす 超臨界水

I20070328

 この年度末にあたり、新年度から再出発しようとする活動の準備会が開かれた。それは、ロボットサロン。ロボットに強い関心を抱き、その振興発展に努力してゆきたいと考える様々な人が集まって、これから産業界も学界も官界も政治家も、1つの共通土壌の上に立って、ロボット新大陸を築いてゆこうとではないかという会である。

 私がこの会に期待するものは、化学用語で言えば、“この会が、ロボット界の超臨界水になって欲しい”ということである。超臨界水状態とは、水を373.95度、220気圧にすると、液体だか固体だか気体だか分からない状態となって、色々なものを溶かし込み、ラジカルに、反応させる状態が生まれる。こんな場がこれから生まれて欲しいと強く願っている。

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3月27日(火) 美しき 国は心が 作るもの 今見直さん 戦後レジューム

20070327

 清和政策研究会の政策提言集で“日本、美しい国を目指して”の巻頭言を取りまとめるため、森喜朗・名誉会長に対するインタビューを行う。

 そうとは言っても、森名誉会長は、こちらから余り質問をしないでも、このテーマの下で自説を諄々とお話下さるので、インタビュアーとして、こんなに楽なことはない。要点を整理して、1つの文章にまとめれば、それでOKである。

 その主張は、要するに、日本を美しい国にするということは、それを日本国民が生み出すものなのだから、基本的には日本人の心を美しく整えるために、どんなことをしてゆくかという問題なのだという点にあった。戦後日本が、経済面を豊かにすることばかりに気を奪われ、政治も経済中心の政治をやって来たことの修正を、ここでやらねばならない。それこそが、戦後レジューム(体制)の基本課題ではないかというご意見…私も全く同意見であった。

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3月26日(月) 混迷の 教育界を 救う鍵 そは教師への 人間教育

20070326

 東京・市ヶ谷にある私学会館を訪れる。そして、私立中学高等学校連合会の事務局で、堀越克郎・前会長と尾崎輝雄・事務局長にお会いして懇談。

 そこで意見交換をした最大テーマは、“教師にいかに人間学を教え、立派な教育者を育成してゆくか”ということであった。私はこの点こそが、日本教育界を再生してゆくための最重要課題であると信じているのである。

 堀越先生も、この点に強く賛同して下さった。この問題は言うは易くして、実際には、人の心の問題に入ってゆくわけであるから、中々大変な課題である。その入り口すらも中々見つからない。しかし、情熱は岩をも崩す。今後、一歩でも前進できるよう努力してゆきたいと思う。

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3月25日(日) 若者の 研修会と 同じ日に 能登大地震 日本は動くか?

20070325

 大阪で、第一回大学生人間学研修会。とは言いつつも、会場内は、大学生よりもむしろ大学卒業後の若者と思われる人の姿が多く、また中高年の人も混じっている。今後、大学生を指導する考えを持つ人にも来て頂いて、この会の様子を見て頂こうとの趣向と聞き、納得。テーマは、“平成の志士たちへ”。この平成の時代に、多くの困難を前に、若者はどんな考え方の下に、何を追い求め、何を為さねばならないのかというテーマの下に、テーマ映像、音楽家・岡野弘幹氏の演奏、そして、塩川正十郎先生、鍵山秀三郎先生、そして私の講演を行った。

 この日は、午前中に、能登半島で、震度6強の大地震があった。私はその報を聞きながら、今、惰眠をむさぼる青年の心に大地震を起こし、その覚醒を図ってゆかねばならない時なのだと考えたのであった。

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3月24日(土) 問題の 顕在化せぬ 業界の 会は穏やか されど退屈

20070324

 夕刻より、自動車整備業者の団体である、自動車整備振興会東予支部の政経懇話会が開かれ、一時間弱の講演。今のこの時期は、政府の規制緩和委員会も、車検期間延長等の業界を揺り動かす課題もなくて、会の雰囲気も至って平穏であった。と言いつつ、実際には、大手自動車販売業者が車検の囲い込みをしたり、この業界でも、安値車検の全国ネットが地方まで参入したり、様々な底流は流れているが、これらのことは政治家に語っても仕方がないことだと割り切って考えて頂いているのだろうか。

 私としては、政治家は社会の中にある様々な問題解決のために働くのであり、少しは問題提起があり、少しは激論がある方が良いのにと思いつつ、正直なところ一面ではホッと安堵。

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3月23日(金) 武士道の 心を今に 移植せん 苗変わらねど 手法新たに

20070323

 日本の国に武士道精神を復活させる運動を今後いかに育成してゆくかを巡って、PHPの江口社長にお会いする。江口さんとは松下政経塾の入塾試験で面接官をして頂いて以来、もう四半世紀以上にわたるお付き合いである。とても人情家である反面、クールな一面もある。経営者には、正にそんな基本姿勢が必要であり、信頼して、共にこれからの活動を進めてゆきたいと考えているものである。

 ところで、武士道と言えば、新渡戸稲造博士の本が有名であるが、私たちが行わなくてはならないのは、“現代における武士道の創造” である。特に、今の青少年にいかにこの教えを語り伝えられるか・・・中々の難題であると思う。それだけにまた、やりがいもありそうだ。

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3月22日(木) 公示地価 バブル以来の 上昇と ニュース報じる 声に異和感

20070322

 国土交通省が、2007年1月1日の公示地価を発表する。住宅地では0.1%、商業地では、2.3%の上昇となり、これはバブル経済期以来、16年振りのプラスなのだそうだ。それを報じるアナウンサーの声は、ようやく日本は暗い時代を脱して、これから明るい希望あふれる時代を迎えたのだと言わんばかりのものであった。

 そこに私は、少なからぬ違和感を覚えたのである。振り返ると、私が生きてきた人生の中で、そのほとんどの期間は、地価上昇が問題視された時代であった。土地が高くて、サラリーマンには家が持てない。ローン支払いが家計を圧迫して大変だ…と。それが、今は逆に地価が上がってそれが希望だと言う。

 まぁ、世間の評価等というのは所詮この程度のもの。同じ事象でも、良い時もあれば、悪い時もある…こんなことに目くじらを立てることではないですね。

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3月21日(水) 頂点を 競うフィギュアの 優劣は 結局ミスの 有無だと分かった

20070321

 テレビをつけると、「フィギュアスケート世界選手権」が開催されていた。そこでは、安藤美姫、浅田真央の2人の活躍ぶりが報じられていた。結局、安藤が金メダル、浅田が銀メダであった。余りに日本人びいきの報じ方に、スポーツの世界では、全く公平とはいかないまでも、もう少し他国選手も紹介し、健闘を称えてあげてもと思ったのは、私だけだろうか。

 それはともかく、興味を抱いたのは、世界最高レベルの競技で最終的に成績を決めるのは、いかにミスを少なくするかという点にあるということであった。数字で評価して、より公正な判定をしようとすれば、致し方のないことかも知れないと思いつつ、何か割り切れないものも胸に残った。

 しかし、考えてみれば、世の中全体がそうである。いかにプラスを獲得するかよりも、いかにマイナスを減らすか…。それが世見一般の評価。こんなところに、現代社会の問題がありはしないだろうか。

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3月20日(火) 世界には テロや戦争 尽きぬなり 和を尊重する 思想なければ

20070320

 1日中色々な会合があったが、その中で特記したいのは、PGAという議員連盟の総会であった。このPGAが何であるかと言えば、Parliament's Global Actionという、世界中の議会人が集い合って、国際的問題を語り合い、更にその問題を行動によって解決してゆこうという議員連盟であった。この度、日本委員会の副会長を依頼され、お引き受けした次第である。

 このPGAでこれまで最大の課題が、国際司法裁判所の問題であった。日本でも、この条約の批准を行い、参加が決定したが、これからは世界平和実現には、思想面への取り組みが必要ではないかと思い、このことを主張した。これは困難な課題だと思う。しかし、私はそこに挑戦をして、世界の平和を実現したいと夢見ているのである。

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3月19日(月) 地方選 前に地元を 回りけり 人々の中に イエスの孤独

20070319

 3月30日(金)に県議会議員選挙の告示日を控え、1日かけて、自民党の県議候補予定者の事務所回りを行う。併せて、平素ご無沙汰をしていて、気にかかっている企業や団単体国体事務所なども飛び込みで訪れる。

 こんな形で地元を回っていると、いかに私が地元の人たちと遊離してきているかがよく分かる。“去る者、日々に疎し”とよく言われるが、人は時々会っていないと、お互いの心の中から段々と消え去ってゆくもののようである。勿論、私が地元回りをしないと言っても、それは、他の仕事に忙教されているからであるが、そんな言い訳も、有権者の心を前にしては、ほとんど何の意味も持たない。多くの人に会って、結局、私の心の中には深く孤独感を覚えた次第であった。十字架にかけられたイエスもここから深い孤独感を貫いたことだろう。

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3月18日(日) 日常の 政治活動 マニフェスト 自己採点の 通信簿なり

20070318

 西予市の消防出初式の後、地元事務所でデスクワークを行う。その中心で最もエネルギーを費やしたのが、4月の1ヶ月間に私が行う政治活動を宣言するマニフェストの作成であった。

 今、有権者や国民は、政治家が一体何をしているのか分からないという。私の場合、年間5000時間を超える仕事をずっとし続けてきたと自負しているが、確かに、一般の国民皆さんには、何をしてそれだけの働きを行っているのかといったことは分からないだろうと思う。ならば、その仕事内容を宣言し、しかも後でその評価も自分で行い発表することで通して、理解して頂くしかないだろうと思う。これは、丁度選挙時に、自分が当選すれば、またその政党が政権を取れば、そんなことを実現しますというマニフェストがあるが、その日常活動版である。いかがだろうか。賛同者はいないだろうか。

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3月17日(土) 人権は 死せる人にも 及ぶべし 名誉守るが 憲法の心

20070317

 四国人間論ゼミや地元OAK・TREEフォレストの日。その前に午前中には、松山で愛媛県戦没者遺族大会があり、出席し、挨拶を行う。

 そこで述べたことは、今日本政治において憲法改正が1つの大きな課題であるが、ここで論じられる基本的人権というものが、今、生きている人だけではなくて、死んでしまった過去の人や、まだ生まれていない未来の人にも及ぶという考え方が必要なのではないかということであった。国というのは、過去の人なくして、存在し得ない。そして、未来の人なくして希望を持ち得ない、ならば過去に国のために身命を賭けて戦った人たちを国が類彰するのは当然のことであるし、それを未来の人たちに語り伝えるのも当然のことである。

 こんな形でも私たちは憲法というものを考える必要があるのではあるまいか。

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3月16日(金) あの時代 希代の名優 ホリエモン ふと連想したのは ジャンヌダルクだった

20070316

 この日、ライブドア粉飾決算事件に関して、証券取引法違反罪に問われたホリエモンこと堀江貴文容疑者に、懲役2年6ヶ月の実刑判決が東京地裁で言い渡された。本人は、今も無罪主張を続けており、すぐに上告。

 今になって、ホリエモン現象とは一体何だったのだろうかと思う。堀江氏を見ていると、確かに自己主張は明確であるし、表情には人の視線を引き付けるものがある。しかし、私から見れば、少し才気ばった青年というに過ぎない。一度、事件発覚前に1対1で話したこともあったが、ナマイキな上に周囲を警戒して落ち着きのない人だというのが、率直な印象であった。

 所詮、ホリエモン現象とは、あの頃のITブーム、株ブームが作り上げた幻であったのか?
 人々の心がその時々の英雄を作る、ジャンヌ・ダルクもそうだったのかも知れないなと思う。

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3月15日(木) 塩爺は 平成日本の 水戸黄門 庶民世間の 声を語りし

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 午後11時からの清和政策研究会政策委員会に、塩爺こと、塩川正十郎先生にお越し頂いて、ご講演を頂く。テーマは“世間の風評を伝えます”

 現代という時代がどんな時代であり、その時代性の力や人々は何を政治に求め、そして政治家はいかなる問題と姿勢で取り組むべきか、といったとても広い範囲の話をお聞かせ頂いて、参加者も、とても良い話であったと喜んで頂いた。

 塩川先生が話される様子を見ていると、私は、随分昔からテレビで放送され続けている“水戸黄門”を思い出した。庶民を忘れた政治によって苦しむ人たちの声を聞きつつ、その問題解決を知恵と才覚で図っていく・・・そんな強い決意を、その話から感じた次第であった。

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3月14日(水) 思いある 人が集いて 論ずれば 一人の炎が 燎原の火に!

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 一日、様々な会合があったが、その中で特に有意義だったのが、鍵山秀三郎先生を中心として教育問題を語り合う懇談会であった。この会も、最初に開いてからもう既に1年半になろうかと思う。その間、学校教育というのみならず、青少年育成問題を多方面から自由に論じ合い、その話の中から、すごい人サミットや大分県臼杵市の「深田・心の小径」も生み出してきた。今後は、学校教育の問題も、1つのテーマとして考えてゆきたいと思っている。

 この会の特徴は、参加される方々の情熱が素晴らしく、良い提案が出されるとすぐに強い共感の輪が生まれることである。そして、それは可能なことならばすぐに行動に移される、言わば、1人の人が手にする小さな1灯が、この場であっという間に爆原の火となるのである。

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3月13日(火) 前軸が 出ずに着陸 ボンバルディア機 大したものよと 私は拍手!

20070313

 この日、テレビはもっぱら高知空港における全日空1603便ボンバルディアDHC8―400型機が前輪が出ないままに滑走路に着陸した場面を映し出していた。幸い、機長の判断と操縦技術が優れていて、けが人が一人も出なかったが、飛行機が機首を滑走路にすりつけながら、煙と炎を出しつつ滑走する映像には、多くの人が肝を冷やしたものと思う。

 しかし、考えてみれば、私自身の人生も、このボンバルディア機と同じである。いつも前のめりになって、走り続けているのであるが、危なっかしいことこの上ないと、他の人は見ているのではないか。そう思うと、この映像が我が事のように思え、けが人一人も出さなかったとの報に思わず、大したものよと、心の中で喝采を叫んだのであった。

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3月12日(月) 文化とは 心と知恵の 核融合 美しき国へ 輝け太陽

20070312

 夜、文化庁若手官僚との勉強会。この時代に文化をいかに捉えて、今後の文化行政を展開してゆけばよいかということがテーマであった。

 私からの問題提起は、次のようなものであった。

 “安倍総理が政権目標として掲げている「美しい国づくり」ということにおいて、その主導官庁は文化庁になるべきである。他にこの大きなテーマを包摂できる官庁はない。しかし、文化庁からはその気概がなかなか伝わってはこない。ここで若い皆さんが、本気で総理の掲げる理念をより明確化、具体化する作業を行って、文化庁の存在を世に知らしめてはどうか”と。

 この会はまず第一歩。これから更に勉強会を重ねつつ、こんな考え方をより先へと進めてゆきたいものだと思う。

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3月11日(日) どことなく 覚悟漂う 安倍総理 腹の底からの 声を聞きたし

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 朝9時より、NHK総合テレビで、“総理に聞く”が放送された。安倍政権発足以来、約半年。この段階での総理の基本的な考え方をチェックしておこうと、このテレビを見る。

 一番強い印象は、就任直後には、余りに回りに気配りをしすぎて、総理自身の腰が落ち着かない感じがあったのが、半年の風雪を経てきたせいか、本人の覚悟が定まって、回りの多少のことによっては動じないぞという雰囲気が生まれてきていることであった。私は、トップリーダーは、その覚悟で良いと思う。いかに回りに気を遣っても、倒れる時には倒れるのである。だから、運を天に任せて、人事を尽くせば良い。この上は、本人の腹の底からの声を、もっともっと聞きたいものだと思う。

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3月10日(土) 街路にて 桜の花の 咲き初めし 優柔不断の 我励ますか

20070310

 この日も、余りに仕事が多く残っていたので、東京に残留して、その仕事の処理にあたる。昼に食事に外に出てみると、街路樹の桜の木に、もう花が咲き始めている。暖冬の影響で、今年の桜の花は少し早いだろうとの予想が出されていたが、3月初旬でもう咲き始めたのかと驚いた。

 我が身を振り返る。やらねばならぬこと、どうしてもやりたいことが多々あるが、回りのことを慮って、逡巡することも多い。もう少し待った方が回りの人々の理解を得やすくなるのではないかと考えて、つい行動を控えてしまうのである。そうじゃない。時を待つことばかり考えずに、思い切って一歩踏み出せよと、この桜の花は私に教え諭しているのだろうと思った。

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3月9日(金) 赤ちゃんが 生まれ喜ぶ その暇なく 手をかけ 育てて ようやく出稿

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 OAK・TREE4月号の、第1回目のブック試作版冊子が出来上がる。今年は新年からずっと多忙で、この雑誌の執筆と編集が遅れ、2月号、3月号では、印刷を終えて読者皆さんのお手元に届けられたのが既に月の中旬になっていた。そこで、1念発起して、4月号は、月初めに届くようにと、精力的に執筆を進めた結果、ほぼ2週間の遅れを取り戻した。とは言え、第1回目のBOOKでは、まだ欠けている原稿も多く、また誤字脱字も多くて、かなり手を入れなければ、完成版とならない。これから、少しずつ手を加えて、最終出稿が、1週間半後のことである。

 言わば、この第1回目BOOKは、赤ちゃん誕生のようなものである。これから育て上げて、印刷に回す時が成人式といった感じであろうか。まだまだ手の焼けるOAK・TREEである。

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3月8日(木) 暖冬じゃ 3月初旬 もう既に 花粉飛散の ピークの様だ

20070308

 暖冬の影響なのか、例年よりも早く、この日辺りが杉花粉飛散のピーク。目はかゆくなるし、クシャミが出始めると止まらない。使い捨てのマスクをして、花粉を出来るだけ吸い込まないようにするが、それだけではやはり症状が出るので、知り合いから薦められた漢方薬を飲み、更にシジュウムなど花粉症を押さえるベニフウキのお茶やドロップ飴を口にする。

 そして、夜、宿舎に戻ると、目と鼻の洗浄。あ、そうそう、宿舎と議員会館には、空気清浄機も既に何年か前から設置済み。

 昨日には、少しは世間に有名になった“ハクション議連”を開催したが、関係者の話を聞いていると抜本的解決にはまだ少々時間が必要である。

 “たかが花粉、されど花粉”である。昔“春よ来い、早く来い”という明るい歌があったが、私的に逆に、“春よ来るな!もうずっと来るな!”と歌いたい気分。

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3月7日(水) 対談の 相手は土佐の いごっそう 大手に負けず 我が道行く人

20070307

 武道議連、清和政策研究会幹事会、ハクション議連等会合が続く。

 夕刻4時からは、日新出版の「月刊トラック」500号記念の対談。この日新出版というのは「月刊トラック」という雑誌を出している出版社であるが、この増田社長の自慢は、日本自動車工業会が大々的に自動車ショーをやっている丁度同じ時に、トラックショーを近隣の別会場で開催して、それに飲み込まれることなくここまでやり抜いていることである。“いくら相手が大手でも、こちらが負けるものかという気慨を持ってやっていれば、何とかやってゆけるものだ”と、この社長の生まれは高知だから、土佐のいごっそうらしい発言である。

 私自身も、政治活動の中で、時に四面楚歌になることがあるが、そんな時にとても勇気づけられる増田社長の生き様・考え方である。

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3月6日(火) 時を越え 空間越えて はるかなる 宇宙に向かう 夢を語れり

20070306

 午前11時から、NASAのグリフィン長官を国会にお迎えして、日本・宇宙議員連盟の会合。今日のイラ短は、その場で描いて長官にプレゼントをしたものである。長官は、これまで世界各地を回って、色々な会合に参加する中で様々なプレゼントをもらったが、こんなプレゼントは初めてだと、とても喜んで下さった。

 それはともかく、グリフィン長官の話は、アメリカの宇宙開発を巡る長期計画の考え方を、私たち日本の国会議員にお話して、国際的協力関係を築く意図を持ったものであった。アメリカは、再び人類を月へ、そして火星へと、壮大な計画を発表している。しかしその一方で、イラク等の戦費が膨らんで、NASAの予算も厳しい状況となり、国際協力抜きに、この計画遂行が困難との事情があるようだ。私たちは、これからこの宇宙に、どんな人類の夢を描いてゆけばよいのだろう。そんなことをあれこれと考えた時間であった。

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3月5日(月) 都市エリア 連携事業の 成果とは 人モノなどの 化学反応

20070305

 午前中は、自宅で仕事。それから昼食を摂りつつ、地元事務所会議。

 午後1時半から、地元ホテルで、平成16年度から進めてきている「都市エリア産学官連携促進事業」の成果発表フォーラムが開催されたので、それに参加。前半部分だけお話をお聞かせ頂いた。

 この事業は、地域内の産業界、研究機関、学校等が連携し合って、地域資源を活かして新しい技術を創造してゆこうとする取り組みである。既に色々な成果も生まれ、特許等も幾つか申請をしているようであった。しかし、何よりも大きな成果が何であったかと言えば、私は、この事業をやらなければ、一緒に出会うこともなかった人や情報、モノ等が、1カ所に集まったことだと思う。エネルギーの高いものが集まれば、自然に化学反応を起こし、そこから新しいものが生まれてくる。こんな場を多く作ることが、イノベーションには大切だと感じた次第である。

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3月4日(日) 我思う 自然は無為に 秩序あり されど人世は 何故さならざる

20070304

 新居浜市の消防観閲式。それから松山へ走り、自衛隊の入隊・入校激励会。その後、県立図書館で“美しい石鎚の自然展”をやっていたので、そこも覗いてみた。この日の行事を後で振り返り、何とも面白い対照だと思った。

 自然は、昔から、何ら意図することもなく、様々な動植物が自ら存在し、しかも、相互に見事に秩序を形成している。気候変化等に対しても、自らその変化に対応する新しい調和の姿を作り上げてゆく。一方、人間社会はというと、火事や自然災害に対して消防組織が無くてはならず、他国との争いに備えて自衛隊が無ければ、いつ侵略されてしまうか分からない。何故人間社会は、こんなことになってしまっているのだろう。この答えは簡単に見つかりそうにもないが、一考すべきものがある気がした次第。

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3月3日(土) 生物に 学校例えりゃ エビかカニ 殻が無ければ 我が身保てず

20070303

 本会議後、宿舎に戻り、1時間くらい仮眠の後、羽田空港へ。

 岩国市で、ロータリークラブが教育問題を巡るシンポジウムを開催するにあたり、基調講演者兼パネリストとして来て欲しいとの依頼を頂いたものであった。

 私は、今や教育は、学校の力だけで為し得るものとは考えていない。情報社会の中で、子ども達は、学校だけが人生に必要な知識や生き方を教えてくれる場とは考えていない。また、社会全体の価値観が多様化し、更にそれが勝手主義となって、学校だけの力では子どもの世界の秩序を整えることもかなわない時代となってきている。社会側にも、学校をきちんと支える意識が生まれないと、学校の力だけでは教育に背骨を通せない状況である。エビ・カニといった甲殻類のように、社会側が学校の回りに甲殻を形成して、教育の形を作らねばならない時代なのだろうか。

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3月2日(金) 意味もなく 過ぎる時間の 空しさよ 国会議場に 飛ぶシラケドリ

20070302

 平成19年度予算案の本会議採決の日。公報上は午後5時に開会がセットされていたが、その時刻が過ぎても、中々開かれない。結局、開会は午後10時過ぎ。そこでまずは、金子予算委員長解任決議案の審議。民主党の枝野幸男氏が、その趣旨弁明と言いつつ、本題と全く関係のない話を延々と行う。その時間は、1時間20分を越えていたようだ。そこで、翌3日への延会手続きをした後、更に佐藤総務委員長の解任決議案の審議。そしてようやく予算案採決。全ての終了が、午前4時前のことであった。

 私は、日本の国や国民のために重要な審議ならば、3日でも4日でも徹夜で真剣に議論をすればいいと思う。しかし、ただテレビカメラに向かって、ここまで野党は抵抗したのだとポーズを示す為だけに使われた、無駄な時間。本会議場の中を空しい風が吹き抜けてゆき、そこをシラケ鳥が軽蔑するかのように飛んでいたのであった。

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3月1日(木) 日本で 宇宙遊泳 ジョーダンさん 次なる惑星 ヒューストンなり

20070301

 この日の夜、長い間NASAの日本事務所長を務めておられたジョーダンさんが日本を離れられることになり、その壮行会が、アメリカ公使ジョセフ・ドノバンさんの家で行われ出席。

 ジョーダンさんは、とても日本を愛してくれた方である。一度ご自宅へお邪魔したことがあるが、和太鼓や日本家具等、部屋中を日本の骨董品を集めておられた。恐らく、ジョーダンさんは、この部屋に、自分が生まれ育ったアメリカと異なる空間を作り上げて、そこで宇宙遊泳を楽しんでおられたのではないかと思う。

 しかし、そのジョーダンさんも、いよいよ地上(アメリカ)に帰還する時が来た。帰還地はヒューストン宇宙センターだそうだ。昔、私が子ども時代にこんなクイズがあった。“ある宇宙船が地上に落下した。それはどこか?”…答は“ヒュー…ストン”。

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