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4月30日(月) 一日に 書いた原稿 40枚 されど尽くせぬ 我が胸の内

20070430

 昨日上京、今日は、東京での政治活動スケジュールがなかったのでひたすら執筆作業。

 朝食時に箸を持ち、夕方4時まで、昼食時を除いて、ひたすら書きまくった。結果として、この日400字原稿用紙にすれば約40枚くらいを書き上げることが出来た。

 文章を書くということは、私の考えていることの多くの人に向かって表現することであるが、それ以上に大切なことは、私自身の頭の中の整理である。

 モヤモヤとして先の見通しが動かない事柄であっても、自分でペンをもって書き始めると、モヤモヤの言葉のままでは文章にならない。論点を整理しつつ、少しでも先を展望できるように、頭の中の整理をする・・・。それが文章執筆の最も大きな意味をだと考えている。

 このペンを通して日本社会をと整えるので、そして更に世界人類の未来国まで書き出すのだ。それが私の決意である。

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4月29日(日) 国離れ 漂よう御霊の 無念をば 我に受けるが 政治の要諦

20070429

 午前中、新居浜市で戦没者追悼式

 私は、戦後生まれ、とても経済面等では、“もはや戦後は終わった”と宣言された昭和30年の生まれであるから、戦争のことは身近なところでは全く知らない。話に聞いたり、テレビや映画等でその当時の断片情報を得ているだけの人間である。

 しかし、政治家として、戦没者の慰霊は欠かすことの出来ないものだと考えていて、この話の行事には、可能な限り参加することにしている。この戦没者の方々のことを忘れてしまっては、日本という国自身がフクフクと浮遊し始めてしまう気がしてならないからである。 その心を忘れては、日本が日本でなくなる気がするからである。

 それにしても、戦後もう62年。追悼式出席しても、戦没者の親はいない。妻や兄弟の数も段々と減って来た。時の流れを感じざるを得なかった。

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4月28日(土) 夢の種子 播かねば生えぬ 道理なり たとえ育つは 僅かとしても

20070428

 私の52周年の誕生日、サンフランシスコ条約が発効して日本が独立を回復して、55周年ということになる。

 この日は、私のこれからの政治活動に対する強い決意を込めて第1回「夢・百花繚乱キャラバン」を開催。トップが私の生まれ育った沢津地区。第2回が、垣生地区。第3回が、私の選挙区中ただ1つの人が住む島、大島。

 今の時代、夢が無い、希望が無いと不平不満を語る人が多い、しかし、本来夢というのは自分自身が胸の中に書き出してゆくべきものであるから、まず書かなくてもいいから自分たちの夢を語ってゆこうという会である。

 これからどんな形で発展させてゆけるだろうか…こんな活動こそが私の政治活動における夢であったのかも知れない。

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4月27日(金) ふるさとに 次代の風を 吹かせたい 誰かいないか 我が声聞く人

20070427

 午前10時より、ロボット政策推進議員連盟開催の今後の活動方針を議題として、自由な意見交換。 

 その結果、これから月2回の定期開催してロボット新大陸社会建設を、より具体的に、そしてまた建設的に進めてゆくことで合意をした。今後、活動を加速させてゆきながら、日本のロボットが世界の最先端を通り頂いてゆける様、努力をしてゆきたいと思う。

 尚、この日は、当初予定されていた本会議が開かれないことになっているので、昼過ぎのJRで地元へ。地元への建設業者の会合、体育協会の会合。体育協会の懇親会等に出席する。地元にロボット等の時代の先端部の風を吹き込ませることは出来ないだろうか。誰か、そんな私の思いを受け止めてくれる人はいないだろうか。こんな心の叫びを聞いて頂ける方はいないだろう。

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4月26日(木) 素直とは 雨が降る時 傘をさし 体濡らさぬ 自然の姿

20070426

 PHP東京本社で、武士道協会設立を巡る打ち合わせ。方針を確認し合い今後のスケジュールについて協議する。

 その話し合いの中で、武士道検定のホームページを立ち上げる議論もあったが、そこで、私から、イラ短による表現を提案すると、とても良い反応であった。やはりホームページを企画し、運営する人にとっては、この簡明で伝道力の強い表現法は、とても魅力的なものだろうと思う。その時に書いて示したのが、今日のイラ短である。松下幸之助塾主がよく語っていた「素直」についてこの場で書いてみたものである。

 このテーマである「素直」ということを文章で表現しようとすると、なかなか大変だが、イラ短ならこんな風にも書くことが出来る。いよいよイラ短も、長い年月を経て、これから大ブレークという予感がする。

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4月25日(水) 遂げるべき ことがあるなら まず宣言だ 私もそうして メタボリック脱出

20070425

 午前中、衆議院院内診療室で年1回の健康診断。

 まず身長と体重を測った結果、体重が89.6㎏であった。昨年、90㎏を切ることを目標に掲げて努力を重ねてきたが、目標達成!

 また、今回から“メタボリックシンドローム”という言葉が流行したせいか、腹囲も測定項目に入ったらしい。この数値は99㎝、基準値が85㎝と言われていながら、まだまだ努力が必要であるが、それでも100㎝を切ったので満足。

 この達成は、何と言っても、回りの人にこの目標を宣言したことが大きい。この診察室にも、この職員の好意で、イラスト付きで目標を書いたものを掲示して頂いていく。

 成し述べることがあるのなら、目標を掲示すべし、夢語るべしである。

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4月24日(火) 宇宙へと 夢追い求めた 期間より 政治生活 長くなりけり

20070424

 4月から5月にかけてのゴールデンウィークを前にして、国会内も慌ただしい。自民党の政策審議会で、今後に国会提出をを予定している多くの法案が審議された。また、本会議も開かれる。

 夜は、ヨーロッパの宇宙関係企業が大同団結して作り上げたアリアン・スペース社のレセプション。様々な宇宙関係者と懇談。

 私が宇宙ロケットの研究者を目指して人生を歩んでいたのが、24才まで。それから先が、松下政経塾時代を含めて、政治の世界の人生既に政治人生が私の人生の半分以上を占めることになってしまった。そして、”余生という言葉で人生を考えねばならない年齢である。正に“青年老いやすく学なり難し”という言葉をしみじみと感じた次第。

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4月23日(月) 美しい 国家を作る 心棒は 文化庁だと 私は思う

20070423

 朝、上京。この日も、睡眠不足で、列車車中で眠りながらの移動。

 夕刻、文化庁長官に新しく就任された青木保氏が、私の議員会館事務所を訪ねて下さる。少し前に、民間人から文化庁長官に就かれた方である。

 早速、かねてからの私の所論である“美しい国づくり”における文化庁の役割について、私の考え方をお話させて頂く。つまり、安倍内閣が掲げるこの政権目標に向かって諸政策を統合し方向づける中心軸となる省庁は、この文化庁なのではないかという考え方である。

 青木長官は、この趣旨を深くご理解下さり、検討を約束して下さった。これから何らかの動きが生まれてくることになるだろう。物と金を中心に動いてきたこれまでの日本政治・行政が、今目の前で少しずつ動き始めている気がする。

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4月22日(日) 遠き夢 語るその日に 目の前の 現実の中で 自転車操業

20070422

 宇摩史談会30周年記念行事の1つとして、私が招かれて講演を行う。テーマは、“山田方谷の思想と財政再建”。約80名が参加。

 この宇摩地域は、尾藤二洲先生、近藤篤山先生という、日本の儒学に大きな足跡を残した偉大な先人を輩出した土地である。それだけに、儒学に対して強い関心を持つ人が多く、熱心に話を聞いて頂いた。また、後で評価を聞いてみると、とても好評であったようだ。これから、この山田方谷の思想をどう現実問題に展開するかが課題である。
 この日の夜は、新居浜市議会議員選挙の開票。保守系の当選者の事務所に回り、お祝のご挨拶をする。家に戻ると、午前2時。
 振り返れば、遠き夢を語る方が、目の前の現実の中を駆け回った1日であった。

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4月21日(土) 医療とは 民の命を 守るもの その崩壊は 日本の崩壊

20070421

 宇摩医師会の100周年記念行事と新しい医師会館完成式典を兼ねた会合が開催され、それに出席。ここには、地域内の医師皆さんが多く集まっておられた。

 そこで、この会では、出来る限り会場内を歩いて、医師の問題意識や悩みを聞かせて頂くことにした。

 今、日本の医療は崩壊しかかっているとよく言われる。産科、小児科を中心として、地方病院では、医師不足から休業・閉鎖に追い込まれる病院や診療所がある。過重労働により、体をおかしくしてしてしまう医師がいる。看護師も不足して、運営に支障をきたす医療機関もある。診療報酬減少により、これでは経営が困難との悲鳴も上がってきている。

 医療問題は、国民の生命を守る大切な問題。私も、これからこの分野に力を尽くしてゆこうと改めて決意をした次第である。

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4月20日(金) 世の中に 生きて成長 するものは 社会に使命を 果たすものだね

20070420

 夕刻地元に戻り、東予テクノクラブ総会に出席。

 この東予テクノクラブは、20年余りの歴史を刻む異業種交流グループである。この長い年月の風雪の中に、よくもここまで耐えて続いてきたと思う。

 しかし、その一方で、このグループが生み出してきた成果はとなると、残念ながら見るべきものは少ない。そのせいか、発足時メンバーで今残っている人も恐らく2名のみであり、会員の充実も、遅々として進んでいない。

 そろそろ、具体的に動かなくてはならない時だ。この世に存在するものは、ある社会的使命を果たしてこそ存立し得るというのが、私の信念。

 小さなことからでも、その使命を果たしてゆけばこそ、生きてゆける、成長してゆけるということだ。私も、これから少し動いてみることにしよう。

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4月19日(木) 膨大な エネルギー宿す 道標 これぞ最大 最高の仕事

20070419

 OAK・TREE5月号の出稿予定日。東京事務所の田丸秘書の奮闘により、出稿できる形にまで原稿が整えられる。しかし、それに目を通していると、随分あちこちに誤字脱字が残っていたり、また私の気に入らない文章表現もあった。
 
 そこで、この日の出稿を断念。更に校正と推敲を重ねることとした。過密スケジュールの合間を縫っての作業であるから、恐らく出稿は来週初めとなるだろう。印刷が遅れても、より良い誌面を作り届けることが大事だ。

 私は、政治家になって以来、このOAK・TREE誌には、膨大な時間とエネルギーを費やしてきた。何故そこまでの情熱を注ぐのかとよく聞かれた。

 答えは簡単である。

 激動の時代、混迷の社会の政治では、国民に信頼される足る道標を示すことが、最大最高の仕事であると、私が信じているからである。他に二言なしである。

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4月18日(水) 正義とは 動物園に よく似てる 何と色んな 正義があるなぁ

20070418

 またまた大変な事件。アメリカのバージニア工科大学で、銃撃事件。33名もの大学生が銃で撃たれ死亡した。

既に犯人も特定されたが、犯人は、この大学の韓国国籍の学生。テレビでは、この背景が何だったのかと賑やかに論じている。

 実はこの日、午後3時から「新世紀文明国会議員懇談会」を開催。拓殖大学学長の渡辺利夫先生にお越し頂いて、お話をして頂く。テーマは、「最近の東アジア情勢について」。東アジアの諸問題の背景等について語られた。

 森・元総理がこの懇談会の会長であるが、この東アジア問題について、色々な疑問を語られ、渡辺先生と活発に論じ合われたのが面白かった。

 銃撃事件と新世紀文明問題。この両者が、私には、何かしらの糸で結びついている気がしてならなかった。正義を巡る考え方の違いが対立を生み、そのマグマが貯まると、多くの人を巻き込んだ爆発を起こす。

 この種の問題が、連日報じられている。一体どう解決してゆけばよいのだろうかと考える。

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4月17日(火) 一日に 2つ大きな 立ちくらみ 引っ越し荷物と 行政暴力

20070417

 これまで住んでいた麻布十番の仮議員宿舎から赤坂の議員宿舎への引っ越しの日。

 当初予想通り、この暫く余りに多忙な日が続き、荷作りが間に合わなかったが、引っ越し業者の方に手伝って頂いて、何とか荷物を動かす事だけは出来た。しかし、新しい宿舎の部屋の中は、段ボール箱の山であり、それを見ていると立ちくらみを起こしそうになる。

 この日の夕刻から、テレビが賑やかになった。長崎市長選挙に立候補している、伊藤一長候補が、暴力団幹部によって狙撃され重体(その後翌日死亡)となったのである。引っ越し荷物を整理しつつ、その様子をテレビで見ていたが、これにも立ちくらみを起こしそうになった。

 世の中は、もう今までの取り組みでは根深い問題を解決できなくなりつつあるのではないか。余りに大きな荷物に対して、また余りに大きな課題に対して自らの能力の乏しさを痛感して、2つの立ちくらみを経験した1日であった。

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4月16日(月) 新しい 道具は社会を 変えてゆく しかし全てを 決めることなし

20070416

 昼、新居浜を出て、お昼に新大阪駅で、ロボット関係者と面会。現在開発中のリハビリ用ロボットを見せて頂き、今後の対応を協議。

 その後、上京。夕刻から、“マルチメディアFORUM”という勉強会の18期生の皆さんを相手にしての講演と意見交換。今、このフォーラムでは、これからの情報戦略を取りまとめている最中とのことであり、私たちが向かうべき情報社会の基本的考え方について、お話をさせて頂く。

 この2つの会で気がついたことは、今、私たちは、“ロボット・情報機器・ネットワーク”といった新しい強力な道具を手にして、これからどんな社会を築いてゆくかということが強く問われているということであった。この未来社会の姿は、道具の性質をよりよく活かそうとすると、一定の方向性は持つが、一方、具体的な社会像がどんな形になるかという点には、人間側の意志も大きく働く。そんな面からの研究・検討が必要だ。

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4月15日(日) 地方には 国を治める(治邦) 鍵がある 思考減退(痴呆) させてはならぬ

20070415

 統一地方選挙公示日。私の選挙区内では、新居浜市議会議員選挙の出陣の日であり、朝から保守系候補の事務所回りを行う。

 その後、四国中央市の切山地区で、平家遺跡保存会の総会。この切山地区は、前からご紹介しているが、戸数にして30戸弱。住民数も70人に満たない小さな部落であるが、地域おこしで頑張っている。その前向きの姿勢と不屈の闘志、そして、住民同士の円満な雰囲気が好きで、よく立ち寄らせて頂いている。そして、総会議事の中でいくつかの提案も行った。

 夜は、地元OAK・TREEフォレスト、約60名参加。地方活性化戦略について語った。

 振り返ると、一日のスケジュールが地方の問題で埋まった日であった。地方(チホウ)は「治邦」、つまり「国がよく治まること」に通じる。誰ですか?「チホウ痴呆」の字もあると言っているのは!

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4月14日(土) 両足が 無くとも 自力で生きてゆく 夢と知恵とが 残っているから

20070414

 午前10時半から「志の道を歩く会」。そして、午後1時から「四国人間論ゼミ」。これら行事も、今では年中行事となり、それ自体は特筆すべきことではない。しかし、この日は、特別なお客様が参加して下さった。

 それは、列車にひかれ両足を失った義足のマラソンランナー・島袋勉さんである。山口県岩国市からご参加頂いたグループの一員として、駆けつけて下さったのである。「志の道」も一緒に歩き、更に「四国人間論ゼミ」では、せっかくの機会でもあり、島袋さんに自分の体験をお話して頂いた。島袋さんは、どんな苦境にあっても、人は考え方と努力次第で、その困難を乗り越えてゆくことが出来る。だから、「夢を諦めてはならない!」と、力強くお話をして下さった。

 参加者も、この話にはとても強い感動を覚えた様子で、良い勉強会であったと喜んで下さった。島袋さん、ありがとうございました。

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4月13日(金) 公正と 同じ言葉を 使えども 立場違えば 意味も異なる?

20070413

 朝8時から、石油等資源・エネルギー調査会。この暫く、ガソリンスタンドと元売りとの間での不公正取引問題が取り上げられて、活発に議論されている。

 この両者の関係は、これまでの長い歴史の中で、元売り側が圧倒的に強い力を持つ一方、ガソリンスタンド側は弱い立場に立たされてきた。しかし最近、ガソリンスタンドの倒産や閉鎖が相次ぐ、一方で元売り各社が膨大な利益を上げていることから、ここで従来からの不公正な慣行を改めたいとのガソリンスタンド側の気持ちが噴き出してきたのである。

 私も、現状の商慣行は、客観的に見ておかしいと思う。そして、石油業だけでなく、他の分野でも、同じような商慣行が、弱者を苦しめている。ここで公正な取引に一歩でも近づけるように、私も力を尽くしてゆきたいと決意を新たにした次第である。

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4月12日(木) 温家宝首相迎えし 国会の

20070411

 中国の温家宝首相が、昨日来日。今日は、午前10時から、衆議院本会議場での国会演説であった。長い間冷え切った関係であった日中関係に向かって、温首相がいかなるメッセージを日本の国会議員と日本国民に送ってくるのか、注目度が高かったせいか、議場は満席であった。

 温首相は、“今回の訪日は、日中間の氷を溶かす旅である”と語った。そして、現実的に事に対処する政治家らしく、日中間の懸案に対しては、現実に即した対応を進める決意を語った。ただかつての戦争に対する問題に関してだけは、一線を絶対に譲らない決意も示したのであった。

 果たして、これからの日中関係は、氷を溶かす春の訪れとなるのだろうか。

 これには日本側の問題もあるが、私にはむしろ、中国側の問題だと思えてならない。さて、皆さんのご意見はいかがだろうか。

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4月11日(水) 街頭で 演説すれど 無関心 逆膳すれば それも当然

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 朝8時から、東京OAK・TREEフォレスト朝食勉強会。その後、東京駅に向かい、駅と丸の内にある文部科学省の間の歩道部分で、「ゆちげ街頭演説会」を行う。昨年12月、有楽町マリオンで開催して以来のことであった。

 今回は、事前に後援者への連絡をしなかったので、駆けつけてくれたのが、山本豊先生ただ1人。通勤途中の方々に向かって、携帯マイクで語り掛けるのだが、気ぜわしい時間帯のことでもあり、ほとんど無視される。しかし、これも当然のこと。国会議員と言っても、私は東京の人に名を知られている訳じゃないし、この朝の時間帯では、ゆっくりと政治家の話を聞こうという気持ちにもなるまい。逆の立場で考えれば、当然のことである。

 ふと、昔、「膳」という字が地元の酒造会社に逆さにかかっていたのを思い出した。
 ”相手の方向に膳を向けて物事を考えなさい”という教訓であった。ナルホドと思う。

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4月10日(火) 空蝉の 世に我が妻の 遺品かな 荷物まとめる 我が手止まれり

20070410

 諸行事の合間を見つけての宿舎の荷造り。整理をしていると、昔の原稿や私が取りまとめたレポートなどが出て来る。そうすると、つい手を休めて、目を通すことになる。また、亡き妻が使っていたノートや小物なども、資料の間や箱の底から出て来る。次々に思い出が込み上げてくる。

 妻が亡くなったのが、初当選の1年後のことであった。一緒に東京で過ごしたのは、僅か9ヶ月。地元で入院すると決めて愛媛に戻ったのが、5月の連休後のことであった。その後はどんどんと病状が悪化して、闘病の甲斐なく、8月に死亡。もうその時から教えて、13年の月日が経ったが、あの頃のことが、今もなつかしい。

 人は、死に対して、全く無力である。私が、名誉だとか地位だとかいったことに本気になれないのは、この妻の死ということが頭の中にあるからだろう。現世のことは、何か空しいと思う。

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4月9日(月) 春休み 終える前夜の 気持ちかな 宿舎移転に 時間が足りぬ

20070409

 朝のJRで上京。昨晩は帰宅が遅かったので、睡眠不足。頭の中は春霞みたいである。列車車中で睡眠をとりながら移動。そして、東京駅に着いてから、麻布十番にある宿舎に向かう。実は、マスコミで話題になっている“赤坂議員宿舎”への引っ越しを来週に控えて、引っ越し業者の事前調査が夕刻に行われることになっているため、それまでに少しでも整理をと、荷造りを始めたのであった。

 しかし、国会議員生活も早や14年。生活用品は、1人暮らしであるから大したことはないが、本と書類の量が半端ではない。一週間後の引っ越しまでに、時間を見つけて整理すると言っても、これではとても無理!毎日、仕事に追われ、余裕の無い仕事をしていることを心から恨めしく思う。

 町には、新年度を迎え喜々とした子供達の姿が見えるが、私の方は、春休みが終わる直前の宿題に追われる子供の姿だ。

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4月8日(日) 県議選 結果出たのが 零時過ぎ いくら何でも こりゃ遅すぎる

20070408

 統一地方選挙の前半日程の投票日。私の地元では、愛媛県議会議員選挙の投票が行われる。

 夜8時に投票終了。それから投票箱が集められて、開票作業となるが、中々結果が出ない。新居浜選挙区での結果がハッキリしたのは、午後11時頃。更に、西条選挙区では、午前0時近くになってのことであった。

 もう10年くらい前のことであろうか。有権者の投票する権利を守り、投票率を向上させるという大義名分の下で、この投票時間の延長が決められたが、結果的に言えば、選挙関係者の負担増大させ、その休日を自由に過ごす権利を奪っただけのことであったかも知れないと思う。権利という言葉には、必ず裏と表の、二面があると思う。この投票時間の問題には、これから再検討が必要であると思う。

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4月7日(土) 水流れ 田畑潤す 人流れ その動脈が 時代動かす

200704007

 午前11時から、新居浜市吉岡泉土地改良区で、水神祭が行われる。
 この水神祭というのは、昭和初期、恒常的な水不足で稲作等に苦心惨憺していた地域に、生命懸けで水を引いてきた地元の代議士・小野寅吉翁の、地域への献身に感謝の誠を捧げる行事であった。

 私にご挨拶の機会があったので、小野寅吉先生に至るまでに、この地域の中で尾藤二洲先生、近藤篤山先生、遠藤石山先生という儒学の道脈が、水の流れの如く力強く流れていたことをお話し、改めて、人物と思想を学ぶことの重要性を述べた次第であった。人も時の流れの中を、流れ伝わってゆくものである。

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4月6日(金) マスコミや 有名人が 喋ったら いつしかウソも 本当になる?

20070406

 アメリカの極地研究所の所長をしておられた赤祖父俊一さんが、私の部屋をお訪ね下さる。用件は、1つは、この極地研では手作りロケットの製作とその飛翔実験をしているので、日本の学生等で関心のある人がおられれば、そんな人を紹介して欲しいということであった。そしてもう1つは、今現在の地球温暖化問題を巡る議論が、客観的事実に基づかないことが声高に論じられ、誤ったことが既成事実化しつつあることに対し議論を正さなくてはならないというお話であった。よくよくお聞きさせて頂くと、確かに、今の議論は科学的証明と言うには不十分なものである。

 私たちは、マスコミ等で大きく取り上げられ、多くの権威ある人がそれを正しいと論じると、すぐにそれを信用してしまう傾向があるが、そうじゃない。自分の頭できちんと考えなくてはならないということだ。

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4月5日(木) ザンビアは 心に響く 国だった 何かお役に 立ちたいと思う

20070405

 色々な会合が開かれた日であった。

 その中で特に印象深かったのは、アフリカ南部の国・ザンビアの駐日大使が、私の部屋をお訪ね下さったことであった。

 このザンビアは、約1年半前に、財務金融委員会の海外視察で訪れた国であった。アフリカの国々の例にもれず,貧しい国であったが、以前世界文明フォーラムで知り合ったカウンダ初代大統領のご自宅を訪れ、一緒に歌を歌うなど、心に触れるとても印象的な訪問であった。

 大使は、ザンビアへの日本企業進出を望んでいた。そこで、私の人脈の中で力になれそうな人と一緒に懇談会を開催させて頂くことをこの場で約束した次第である。友好関係は、相手への奉仕と信頼から始まる。微力ではあるが、是非、何かの力になりたいと思う。

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4月4日(水) ゼロならば いつまでもゼロ 種播けば 小さなヒントに 大きな実り

20070404

 朝7時23分新居浜駅発のJRで上京。その車中で色々ことを企画したり、執筆したり、読書したりする。

 特にこの日は、山間地域のアイデアを描き出す作業に力を尽くす。これは、今年3月、四国中央市の山間地域である嶺南地域を訪れた際に、地域起こしは、住民自身がまず自分たちの夢を描き出すことから始めなくてはならないと私が語ったことに対して、私も一定の責任を果たさねばと考えて、100のアイデアを絞り出すことにしたものであった。

 残念ながらこの日は、20のアイデアしか出なかったが、これからも時間を見つけては、色々な絵を描いてゆきたいと思う。何もしなければ、いつまでもゼロであるが、夢を描き、それを誰かが拾い上げてくれれば、1が10にも100にもなる。だから、将来に大化けする可能性がある。まずここが、動き始める第一歩…。

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4月3日(火) 容れ物が 折角大きく なったなら 夢もでっかく 元気も大きく

20070203

 午前中、西条市西消防署落成式典。夕刻より、西条市商工会議合併式典。更にその夜は、ある県議会議員候補の決起大会。その間は、思いつくままに、企業や団体の訪問。

 こうして1日外回りをした。この日のことで特記しておきたいことは、商工会議所の合併式典である。西条商工会議所と東予市商工会議所が1つになって、新生・西条商工会議所となった。

 この式典で挨拶に立たせて頂いたので、こんなことを申し上げた。

 “別々の2つが1つになるということは、全体の容れ物が大きくなるということだ。この大きな容れ物の中に、今までよりも大きな夢を描こうじゃないか。より多くの知恵を集めて、より良い知恵を生み出してゆこうじゃないか。そして響き合う心の数も多くなるのだから、もっともっと大きく響き合う元気を出してゆこうじゃないか”と。

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4月2日(月) 思いある 青年迎え 地平線 越えて夢見る 新年度かな

20070402

 大阪出身の荒川貴雄君が、私の新居浜事務所に初出勤。公設第2秘書として、新しい可能性を切り拓いてくれることを期待したい。

 午前11時から、事務所会議。これからの事務所運営の考え方を私から話をして、相互に意見交換。事務所の新しい体制が動き始める。

 荒川君は、今年の3月末に大学を卒業したばかりであるが、私の唱える“人間の森文明社会建設”に強く共鳴をして、この事務所で働くことを自ら志願してきた人である。私の本やOAK・TREE誌を通して、私の考え方や活動ぶりを理解して入って来たわけであるから、私の思想の継承者の1人として、徹底的に鍛えてみようと思う。私自身も、地元における政治活動は、ここが勝負時という気持ちで力を尽くす決意である。この新年度は、是非これまでの地平線をはるか先にまで越えて進んでゆきたいと夢見た次第。

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4月1日(日) 1人を 以って始まる 新時代 たかが黒米 されど黒米

20070401

 夜、新居浜市にあるユアーズという会場で、“黒米酒お披露目会”という名がつけられた150名くらいの方々が集まる会が開かれる。藤田洋子さんという、とてもエネルギッシュな女性が、古代米である黒米に着目して、それを新居浜の土産品にしようと、色々な方々に声をかけて、運動を育ててこられたものである。酒の他にも、漬け物、練り製品、お菓子等、黒米を材料に使った様々な試作品がこの場に出されていて、これまでの熱心な取り組みが伺われた。

 私は、この取り組みの中から、この地域に色々なノウハウが培われてくることを期待している。原料の黒米栽培に始まり、その加工法、商品化、そしてその流通までの知恵を得ることで、他の産品に対しても、色々な可能性がここから広がるはずである。国は1人を以て起こると言われるが、正に、1人の人を中心に地域が動き始めている印象である。

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