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9月30日(日) 長年の 書類除いて 新空間 これぞ神なら 天地創造!

20070930

 この日は、もっぱら書類整理。

 実は、国会議員会館の私の事務所にある書類の山であるが、1つは窓際に巨大な山がある。その横に私の机があって、その机と部屋の入り口との間に、もう1つ大きな山がある。この書類の山、丁度、川の中州のような状況であったので、私は長く“中之島”と呼んできた。

 この“中之島”を9月末までに消滅させることを目標にして、この暫く時間を見つけては、精力的に書類整理に取り組んできたのであった。これには、今年新年に誓いを立ててから、9ヶ月もかかった。様々な選挙や国会、党内の仕事に追われる中で、少しずつ書類を読んでは捨ててきたのであった。そして、この日、ようやく完了。私の事務所の中之島書類群は予定通りに消滅した。ポッカリと出来上がった空間が妙にまぶしい気がした。天地創造の営みを成し遂げた神の心境はかくなるものかと、スタートは随分違うがそんな気がした。

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9月29日(土) 映画には 頭整理の 力あり 僅か2時間 座ってるだけで

20070929

 仕事山積。しかも、来週末からローマに行かねばならないこともあり、この日も地元に戻らず、東京での仕事。様々な執筆と書類整理、企画作り等。

 その合間に、映画「長江哀歌」を観に行った。経済発展著しい中国において、そのシンボルの1つである巨大ダム「山峡ダム」の建設地を舞台として、様々な社会的問題を描き出した映画である。中国発展の影に生まれている諸問題が重々しく描き出されていて、考えさせられた。

 考えてみると、この暫く、随分、社会問題を取り上げた映画を見てきた。医療問題を取り上げた「シッコ」、原爆問題を描いた「ヒロシマ・ナガサキ」、そして、中国の現状を映像にしたこの「長江哀歌」である。普段は忙しさの中で、中々映画に行く暇もなかったが、総裁選に絡んで、色々な会合が、土、日に開かれるということもあって、東京に残って仕事をする合間に、ふらりと映画館を訪れたということか。いやむしろ、今私の頭を悩ましている問題解決のヒントを求めて、積極的に映画館に足を向けたという方が正確かも知れない。

 映画というもの、僅か2時間の上映時間の間に学ぶことが多いものだと思う。

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9月28日(金) この年も 4分の1を 残すだけ 全力疾走 ふと我に返る

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 午前11時から自民党総務会。それ以外の時間は、来客が何組かあった以外は、デスク・ワーク。つまり、各種執筆、書類整理、手紙やメールへの返事、電話での打ち合わせ等。

 いよいよ来週からは、月曜日に福田総理の所信表明演説、そして、水曜日からは代表質問という日程が予定されていて、国会も正常化。安倍前総理が所信表明演説をしたのが、9月10日のことだから、2週間余の国会審議の停滞。お詫び申し上げると同時に、これからその遅れた分を取り返してゆかなくてはならない。私の立場からも、精一杯の力を尽くしてゆきたいと思う。

 それにしても、平成19年も、もう4分の3が終わろうとしている。“少年老いやすく、学成り難し”という気持ちが胸に起こる。私の人生にしても、もう52才ともなれば、残された時間が気にかかり始める。時間を惜しみつつ、為すべきことに全身全霊を傾けて努めてゆきたいと考える。

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9月27日(木) 新しい 政権動く この好機 これから伸びる 種子を植えよう

20070927

 OAK・TREE10月号の出稿。今号の本文タイトルは、“政治は国民のもの。そして未来の子供たちのもの”というものであった。自民党総裁選の中であれこれと考え続けていたことをとりまとめて、執筆をした。その中には、福田総理に手渡した“自民党再生宣言・小野私案”も入れておいた。この一文が、これからの自民党にとっての一つの指針となることを心から願いたいと思う。

 それからこの日は、日本の科学技術を高齢者等のケアにもっと活用をしてゆこうと、これからの提出を考えている「テクノ・ケア法案」のことについても、相談をさせて頂く。この点にも、これから少し力を注いでゆきたいと考えている。

 新しい政権が動き始める時は、多くの人が、その政権が何を目指し、どう動いてゆくのかという点に強い関心を抱く。清新の気持ちが生まれるこのチャンスに、私も幾つかの未来に成長する種子を植えてゆきたいと考えているのである。

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9月26日(水) 混迷の 世に求めらる 新指針 その礎は 人材育成

20070926

 自民党中央政治大学院の企画作成。福田政権が船出する中で、党の役職も、ほぼこれまで通りに務める目途が立ったので、その方針を取りまとめたのであった。

 私は、今回の選挙戦中、福田総理が最も強く主張されたのは、地方再生の問題であったと考えている。自由競争の気風が強まる一方で、財政再建の必要性から地方財政が圧迫され、有力企業が無く、地場産業の弱いところでは、息絶え絶えといった状況が生まれている。夕張のように、既に破綻した地方自治体も生まれてきている。

 そこで、中央政治大学院の1つのシンボル的活動として、そのような絶壁を前に、打つ手を失って立ちすくむ地域に、活路を切り拓くリーダーを育成するというコースを、今回設けることにした。これから、色々な方々にご相談しつつ、緊急に計画をまとめ上げて、実行に移したいと思う。

 混迷の時代は、時代の先を指し示し、汗を流す人を育てることこそ、最も大切な仕事であるというのが、私の信念である。

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9月25日(火) 衆参が 別の正義を 語る時 誰がやるのか 大岡裁き

20070925

 衆参両院で本会議が開かれて、内閣総理大臣の指名が行われる。衆議院は福田康夫自民党総裁が、そして参議院では、小沢一郎民主党代表が指名され、両院間でその調整を行う会合が持たれたが、合意できず、その結果、衆議院での指名が優先され、福田康夫氏が第91代内閣総理大臣に指名された。

 これからの国会は、衆議院は、自・公が主導権を握って動かす形であり、一方、参議院は、民主党を中心として野党側が主導権を持つ形となる。対決法案等では、両陣営が綱引きをすることになる。意地を張り合えば、国会が壊れてしまう。

 私はふと、有名な大岡裁きを思い出した。1人の子どもに2人の親が現れて、各々が自分が親だと言い張る。そこで、大岡忠相・越前守が、その子を両方から引っ張り合い、奪い取った方が真の親だと言って、引っ張らせる。子供は痛くて泣く。それを見て手を離した方が、真の親だと裁定する…そんな話である。

 これからの国会で、誰がこの調停役、大岡越前守の役を演じることになるのだろう。今後の日本政治の見所である。

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9月24日(月) 沈着な 総理と共に これからは 少しゆっくり 歩いてゆこう

20070924

 この日も休日。もう総裁選挙も終わったので、終日、宿舎と議員会館でデスクワーク。その間に、党主要役員を決定する臨時総務会が開かれたので、そこに出席。

 振り返ると、7月末の参議院議員選挙以降、何かと慌ただしい日程が続いてきた。それは、時間的な意味だけでなく、むしろ心の中で、何かに追い立てられている気持ちであった。私自身が、何かこの状況の中で為すべき使命があるのではないかといった気持ちになっていたのである。 

 今回、総裁選を戦う中で、その思いが少し整理されてきたような気がする。

 福田総裁は、色々なことに気配りをしつつ、じっくりと国の方向を見定めて、決断を行うタイプの政治家である。従って、これからは政治も少し落ち着きを取り戻し、国民の心にも、じっくりと政治を見ていこうという気持ちが生まれてくることになるだろうと思う。その中で、私が何を為すべきか、つまり、この国のために、どんな形で貢献してゆけばよいのか。私もこれからじっくりと考え抜いてゆきたいと考える。

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9月23日(日) 天命が 下る時には その心志 苦しめるもの… 活躍願う

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 自民党総裁選の投票日。清和研の臨時総会、そして、他のグループと一緒に福田候補を送り出す会合を経て、午後2時から、党本部で選挙。

 結果は、地方票を含めて、福田候補330票、麻生候補197票となり、福田候補が6割強の票を経て、第22代自民党総裁に選出された。

 福田総裁は、その後、演壇で総裁としての決意を語った。

 これから先の政治は、困難を極めることだろう。“耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ”という姿勢が求められることも多いだろう。しかし、本人の立候補の考えは、そういう困難な時だからこそ、自分がやらねばならないのだというものであった。その初心と決意を胸に、頑張って頂きたいと思う。多くの意見や知恵を大きく受け止めて、新しい時代を切り拓いてゆこうと努める中においてこそ、これからの時代の日本政治が生まれてくるのだと思う。

 ご活躍を心から願った次第である。

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9月22日(土) 選挙終え 我が足向かうは 映画館 原爆受けし 人・人・人…

20070922

 自民党総裁選挙の最後の演説会は、夕刻に、東京・有楽町の街頭で、行われた。とは言え、両候補共に、相手に対する敵意をムキ出しにしたものではなく、ただひたすら、その場に集まった人たちとテレビカメラを通した先にいる国民に向かって、自分自身の政見と人柄をアピールするという、極めて紳士的な演説会であった。

 いよいよ明日が投票日。ここまでずっと福田候補が優勢で、選挙戦が進んできているので、勝利は間違いないはずである。私も、もうやるべきこともなく、ただ明日を待つばかりである。

 そんな風に思った時、ふと、映画を見に行こうと思った。それは、岩波ホールで上映されている、「ヒロシマ・ナガサキ」というタイトルの、原爆問題を被害者が語る言葉を中心に取り上げた、ドキュメンタリー映画であった。少し前にこの映画評を見て、機会があるなら、この映画を通して被爆者の心に少しでも近づいてみたいと考えていた。あるいは、実は参議院選に敗れた自分の心をこの映画の中で見つめてみたかったのかも知れなかった。

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9月21日(金) 国民と 共に動くが 政治なり 民の心と 響き合うなり

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 全国の自民党青年局役員と学生部が集まって、自民党総裁選挙の公開討論会が開催される。とは言っても、候補が1人ずつ登場し、自分の考えを簡単に語り、その後会場に参加した人たちと質疑応答を行う形であり、候補同士が討論をするものではなかった。

この会では、臨機応変の応答ぶりが面白かった。

 そして、夕刻には、私たちの年期の支援者が、福田候補を囲んで懇談する会。私は、昨日起案した「自民党再生宣言」の案文を、福田候補に手渡し、自由民主党は国民を離れると、必ず様々な問題が生まれてくる。国民と共に歩む自由民主党を築くという決意を持って進んで欲しいとお願いを申し上げた。

 政治は生き物だとよく言われる。ほんの2ヶ月前の参議院議員選挙の日まで、ここまで厳しい状況が生み出されてくるとは、多くの人が思わなかっただろう。それと同時に、この状況にいつの間にか適応して、政治の世界が動き始めている姿に政治の世界のたくましさを感じる。

 政治は、国民意識の象徴である。国民と共に動いてゆくものだ。

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9月20日(木) この選挙 終えても変わらぬ 厳しさに 我ただ大地に 根降ろさんとす

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 自民党総裁選の真只中であるが、総じて静かである。

 この日も、福田康夫陣営の選対会議が開催され、参加をしたが、それ以外には、特段の会合があるわけではなかった。昔の総裁選と言えば、派閥単位で生命懸けの戦いをしていたというから、隔世の感ありである。

 そこで、今後に求められる自民党の基本的な考え方を整理して、「自由民主党再生宣言」という一文を起案した。この暫くの政界混迷を目のあたりにして、今一度、立党の精神に立ち返り、国民政党、責任政党、保守政党として、この時代性の中にバイタルなエネルギーを取り戻そうという趣旨の一文であった。

 恐らくこの総裁選を終えても、日本政治において、参議院における与野党逆転の状況が変化するわけではなく、迷走を止めることは出来ないだろう。そんな時だからこそ逆に、しっかりと大地に根を張るような落ち着いた取り組みが必要なのだと思う。

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9月19日(水) 目の前の ことには人が 集まれり ならば私は 未来のことする

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 自民党総裁選挙は、福田候補が圧倒的に有利な戦いを進めている。勝ち馬には、放っておいても人が集まるもので、あえて陣営の事務所に行って、何かをしなくてはならないということでもないので、私は、むしろ今後の自民党のあり方、日本政治の向かうべき方向に思いを巡らせることに取り組む。

 私は、これまで暫くの自由民主党は、“改革”という言葉を余りに安易に使い過ぎてきた気がしてならない。勿論時代がこれだけ大きく動いているのだから、改革はしなくてはならない。しかし、この改革が、長い時間の後に、この国をどんな姿にしてゆくのか、そして、国民の意識をどう変えてゆくのかといった、目の前で評価し難いことには、あえて目を閉ざしてきた部分があったのではないかと思うのである。つまり、今の時代の国民の声はよく聞いても、未来からの国民の声を十分に聞いていなかったのではないかと思う。

 その結果、やはりこの改革はおかしいというムードが流れて、この夏の参議院議員選挙で自民党は大敗。だから、私は、目の前の嵐の先を見つめ、新しい時代の道を切り拓く仕事に専念することにしようと決意をしたのである。

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9月18日(火) 混迷の 時代に吾が 為すべきは 縛りを避けて 自在であること

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 自民党中央政治大学院を、今後どのように運営してゆくかについて、事務局の皆さんと話し合い。実は、8月末から9月初旬にかけて、内閣改造、そして、自民党内人事が行われたが、その中で、私は、この中央政治大学院の学院長を希望し、そのポストに就任をしたのだった。

 私の考え方は、乱世になれば、既成権力構造の中におけるポストは、変化に対して拘束力が強過ぎて、時代が求める時務に対して、却って為すべき事が出来なくなるというものである。よく話すのだが、明治維新前、江戸幕府の最後の筆頭老中の名を知る人はほとんどいないのである。この役職は、今でいえば総理大臣のようなもの。一方、下級役人であった勝海舟や、浪人に近かった坂本龍馬の名は、みんなよく知っている。若く刑死した教育者・吉田松陰の名も知っている。

 私も、真に今為さねばならないことを、出来るだけ自由な環境の下で、力を尽くしてやってゆきたいと思う。その思いの下に就任をしたのが、この役職というわけである。

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9月17日(月) 本当に こんな社会で いいのかい? ムーアの言葉に 心が痛む

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 総裁選2候補は、地方遊説で東京不在。休日であり、永田町も一休みの気分。そこで、私は、もっぱら執筆、散髪、洗濯、書類整理等、身の回りのことを片付ける仕事を行う。

 夕刻からは映画。と行っても、これも娯楽というわけではない。地元の医師から、“今の日本の医療問題を考えるには、是非、マイケル・ムーア監督の作った映画「シッコ」を見に行ってください。必ずですよ”と言われていた責任を果たすために行ったものであった。

 この映画は、アメリカの国で、医療難民と化した人たちの姿が描かれていた。民間医療保険に入っていなかったり、その保険の契約条件に合致してないため、医療を受けられない人たち、病院から追い出された人たちの悲哀が映し出されていた。その後、他の国々で無料で医療サービスを受けている人たちの姿や、キューバ・グアンダナモ基地で、囚人が無料で医療を受けている話等が紹介される。 

 ムーア監督は語る。“本当にこんなに社会でいいのかい?何か間違っていないかい??”と。考えさせられた映画であった。

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9月16日(日) 表面は 違い演出 2人の候補 じっくり見れば 根ッコは1つ

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 朝、JRで上京。この日、午後2時から、自民党総裁選挙に立候補をした福田康夫候補と麻生太郎候補の所見発表会が、党本部8階の大ホールで開催されるからであった。

 2候補の話を聞いていると、今が自由民主党にとっても、日本政治にとっても、危機的な状態であり、それを乗り越えるために全力を尽くして働きたいという基本的な考え方であった。更に政策面も、これまで進めてきた改革路線は継続しつつも、日本社会の様々なところに生まれている歪みがあるので、格差問題をはじめとして、是正すべきところは国民の立場に立って是正してゆくという点も、共通するものであった。

 だから、違いは各々の人柄と人生姿勢であろうか。福田候補が、どちらかと言えば真面目で、多くの人の意見を聞きつつ調整を心がけるタイプなのに対して、麻生候補は、本人も“キャラが立ち過ぎて・・・”と語っているように、自己主張が表に出て、人を引っ張ってゆこうとするタイプということである。

 何にしても、基本路線の対立構図ではない。この総裁選の姿が、自民党にとって吉と出るか凶と出るかは、時を経てみないと分からないと思う。

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9月15日(土) 総裁選 所詮は遠き 国のこと 政治と民の 地割れ広がる?

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 昨日、当面、私の為すべき仕事は終えたので、この日は、朝一番ののぞみで地元へ。午後1時半から四国人間論ゼミ、そして、午後6時から地元のOAK・TREEフォレストが予定されていて、これらを緊急事態だからと中止にするよりも、こんな事態なればこそ、ここでどんな議論が出来るだろうという好奇心を胸に開いたものであった。ただ四国人間論ゼミの準備はとても間に合わず、随分以前に論じたことのある幸田露伴の「努力論」を再び取り上げて語った。色々な意見が出された。しかし、何かしら、永田町で起きていることが、どこか遠い別の世界の出来事という印象で捉えられている様子であったのが気になった。

 私自身は、上野の山の彰義隊と新政府軍が戦っている最中にも学問を止めさせなかった福沢諭吉先生の心意気を抱いていたが、集まった人達は、少し感度が違っていた様子。やっぱり政治は、段々と国民から離れていっているに違いないと感じた。

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9月14日(金) 政界は 一寸先が 闇ですね 身内出馬で 政策作り

20070914

 昨日夕刻に、私たちの仲間である福田康夫代議士が、総裁選への立候補を決意。

 朝から、私たちも、それに対応して動き始める。

 午後9時に、清和政策研究会の幹事会。そこで、政策面の支援を行うことになり、私が、政策委員長代理として、総裁選で訴える大きな政策の柱をまとめることになる。そして、この機会に、出来る限り多くの方々のご意見を吸い上げるべきだと、正午からの清和政策研究会の臨時総会で、その骨子案を配り、政策提言を集める。それらを基にして、更に整理作業を行い、夕刻までに、この整理を終えて、夜、福田候補を交えての意見交換会。この場には、清和政策研究会だけでなく、他の政策集団からも代表が集まり、協議。最終的には、それら意見を参考に、福田候補のところで全体を整理して、公約を作成することとなった。

 突然のことで、余りに慌ただしい作業であったが、私にはとても良い勉強の機会であった。高い場所に立って見渡す中で、これからの日本政治の進路について、私なりに先が見え始めてきた気がしたのであった。

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9月13日(木) 志士たちも 混迷の世に かくあらん 騒動が呼ぶ 決意と覚悟

20070913

 朝からニュースは、安倍総理退陣表明と今後の自民党総裁選の話題で持ちきりである。日本列島全体、この問題一色という印象。

 清和政策研究会も、正午に総会が開かれ、今後の対応を話し合う。また私が所属する総務会も、昨日来何度も開催され、総裁選挙について協議する。また午後3時には、両院議員総会が開催され、全国会議員から意見を聞く場も設けられた。そして、その結果を受けて、総務会で総裁選実施の要項が決定。

 実は、私自身は、この日2つ、私が主体的に関係している会合を持っていた。1つは、武士道協会の発起人会。ここで会則や人事を決める、大事な会合であった。もう1つは、ロボットサロン。今後、ロボットを使った介護について、具体的方針を示す会であった。この重要性に鑑みて、両方の会共に、時間は遅れはしたが、参加。

 後で考えると、嵐の中にいればこそ、思いが参加者に伝わったというところもあったかもしれないと思う。明治維新の志士たちも、こんな気分で駆け回っていたのかも知れないと想像する。

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9月12日(水) 安倍さんを 軸とし刻む 政治の時計 孤独の中に 突如止まりし

20070912

 朝8時から東京OAK・TREEフォレスト。その後、韓国の世相研究所の李先生と「イノベーションジャパン2007」を見に行き、正午から、清和政策研究会の幹事会。今後の国会運営のことを考えると、重い気持ちになりがちではあるが、政治の世界の時計は、少し頼り無げに、時を刻み続ける。

 その時計が急に止まったのが、午後1時前。午後1時から代表質問が始まることになり、本会議場に急いで駆けつけていると、携帯電話が鳴って、“安倍総理が辞意を表明した”との事。そして、本会議は、とりあえず中止。

 午後2時から、総理自身の記者会見が開かれるとの事であり、私も何が何やら訳も分からないまま、テレビでその会見の様子を見守る。要するに、イラク特措法改正案の成立見込みが立たないので、ここで人心一新を図るため、辞職を決意したということのようだ。

 安倍総理の政治時計はここで止まった。時に遅れたり、また逆に進んだりしつつも、約1年間刻み続けた時計は、完全に止まってしまった。それにしても、この最悪のタイミング…。総理は、ここに至り、心の底から相談できる相手もいなくなり、孤独の中でこの決断をしたのか…。

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9月11日(火) 国会は 議論の府なり 大勝の 過信が生んだ 今の混迷

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 前回の総選挙から丸2年になる。この選挙で、自民党は296議席、与党である公明党は31議席と、併せて3分の2を超える327議席を得た。その勢いで、郵政民営化法案を成立させ、その後、安倍政権でも、教育基本法改正案や国民投票法案を成立させた。圧倒的多数という数の力は、議会においては絶対的であり、多くの懸案を片付けることが出来た。

 しかし、私には、幾度にもわたる強行採決には疑問があった。本当に重要な法案で審議を尽くし、また誠意を尽くしたが、残念ながら活路が開けず、国民もここまで至れば仕方がないと理解する中での強行採決は止むを得ない。が、それでもあくまで例外的措置としての対応でなければ、議会は言論の場としての良識を失ってしまうことになる。その結果、参議院での大敗ということにもなったのであろう。

 議会は、最後は力勝負が避けられないとしても、基本は議論の場である。その心を失い、力を過信したことが今の状況を生み出したとすると、余りに華々しい大勝というのも、考え物だと思う。

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9月10日(月) セコンドも とかく気分が 沈みがち 野党打ち込む ブローの連打に

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 臨時国会が開会。同日、安倍首相が衆参両院で所信表明演説。

 7月末の参議院議員選挙で大敗した後、初の国会での演説であったので、どうなのだろうと気懸かりではあったが、色々な困難を乗り越えて、全力投球で進んでゆきたいとの決意が披露され、一安心。しかし、その後、参議院で演説をした時に、声に力が無かったと心配する声が聞こえてきた。また、イラク特措法問題で、安倍総理は、少し前の国際会議で、アメリカのブッシュ大統領はじめ、多くの首脳に法案成立への意欲を語ったが、小沢民主党代表の反対姿勢は固く、展望は少しも見えてはこない。やはり、参議院で与党が過半数を大きく割り込んだ影響は、これから段々とボディーブローを連打されるように効いてくるだろう。

 その対策は何だろう。小沢民主党のボディーブローへの対抗策は何なのだろう。またはこちらから、決定的なストレートパンチやアッパーカットは打てないものだろうか。

 何となく気持ちが沈みがちになる、与党側セコンド席である。

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9月9日(日) 両輪が 揃い初めて 前進す 自己を忘れちゃ 堂々巡り

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 朝、地元を出て、JRで大阪へ。実はこの日、関西大学千里山キャンパスで、(社)日本機械学会による「市民フォーラム」が開催され、その特別講演とパネルディスカッションへの参加をしたのであった。

 このキャンパスの中で、幾つもの分科会が開催されていたようであったが、私が参加したセッションのテーマは、「技術者の地位の向上を目指して」であった。

 そこで私は、まずは社会の動きと人間の心を知る技術者になることが大切だと、幾つかのご提案を行った。参加者かは、もっと直裁的に給与や地位のアップを求める声が出されたが、これらのことは、技術者側が、まず自らが変わり、真に社会や人の問題に対して、解答を的確に与えることの出来る存在だと周りから評価なければ、結局は空回りをしてしまうことになると論じた。そして、具体的には、人間と社会を知る技術者集団として、技術者版ロータリークラブとでもいうべきものを立ち上げてどうだろうかとご提案した次第である。

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9月8日(土) パバロッティ 惜しまれながら 天に逝く 国境越えて 広がる歌声

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 イタリアのテノール歌手、ルチアーノ・パバロッティの死去が、テレビで盛んに報じられている。「四大テノール」の1人として、多くのファンが彼の、伸びやかでつやのある大らかな歌声を愛していた。

 そのことと余り関係は無かったが、私も、この日は音楽と縁のある1日だった。

 夕刻からは、新居浜市船木にある池田池を背景にしてのマンドリン・コンサート。それから、西条市に移動して、今秋、世に出そうとしている音楽CDの打ち合わせ。これは、郷土の偉人の生き様等を歌にしてきたものをまとめて、7曲くらいのアルバムにしてみようというものであった。

 私は、かねてから申し上げているように、歌というものの力を高く評価している。言葉でいくら伝えようとしても伝わらないことが、音楽にすると簡単に伝わることがある。音楽ならば、言葉の通じない外国人の心にだって響きわたる。今の世の中が失っているのは、老若男女全ての人の心に響く音楽だ。そんな風に私は考えている。

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9月7日(金) 何事も 誰かが気付き 決意して 初めて育つ 新事業かな

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 この日のお昼の時間に、地元料理を出す時に使う「重箱風容器」の開発について打ち合わせを行う。容器販売会社の社長さんと料飲組合の組合長さんに来て頂いて、率直な話し合いを行った。

 その結果、両者で前向きに取り組んでみようという話になった次第。

 私がこんなことを提案しているのは、自分たちの中からアイデアを出し、それを育て上げ、地域の共有財産にする取り組みの成功例を、1つずつからでもいいから作りあげてゆきたいと考えたからである。この地域の人は、秋祭りを日本を代表する勇壮な祭りと自負をしている。しかし、現実には、日本各地に必ずしもよく知られているというわけではない。もっと宣伝が必要であろう。そして、まちとしてもっと様々な工夫が必要であろう。潜在的可能性というものは、自然にそれが大きく育つのではなく、育てる人がいて初めて大きく育つものである。今回の取り組みを契機に、そんな運動を作り上げてゆきたいものだと思う。

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9月6日(木) 何故かしら 遠く感じる 山の道 細い道路と 単調さのせい?

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 結局、三好市での2日間に、約20カ所の施設・景勝地等を回った。この道中に色々な発想が生まれたので、それらを、これから整理して、イラ短入りの報告書を作り上げてみたいと思う。

 実は、このキャラバンの後、国道319号を通って、三好市から四国中央市新宮町に自動車で走り抜けた。正直なところ、私自身も、これまで途中までしか通ったことが無かったのだが、実際に走ってみると、三好市役所から新宮の旧村役場まで、1時間弱という距離であった。

 1時間というと、決して時間的には遠い距離ではない。実際の距離は40㎞くらいのものだろう。しかし、心理的には随分遠い気がした。

 何故かと考えてみると、この間、ずっと細い道と単調な森の景観が続いているせいだと思う。今後も道路の改良整備は進めるとして、もう1点、森の単調さを打ち破る工夫が必要である。それには色々な発想があるはずである。

 私からも提案をして、今後、この県境をまたぐ山中の道がもっと魅力的な道になるように努力をしてみたいと思う。

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9月5日(水) 三好市の 魅力高める 魔法薬 344の アイデアマラソン

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 「第1回、四国・夢百花繚乱キャラバン」を徳島県三好市において行う。1泊2日の予定で訪れたが、俵市長をはじめ、多くの方々のご協力を頂いて、精力的に多くの場所を回り、語り、有意義なキャラバンとなった。

 この日の夜は、俵市長をはじめ、三好市の行政関係者との意見交換会。私の方でとりまとめた提案をご報告し、その実現性について、活発に意見交換をした次第である。その最後に、私からご提案したのは、「地域でこれから必要なのは、自らが生み出す“夢・知恵・元気”であり、その足場を具体化するためには、まず市民自らが数多くのアイデアを出すことである。ついては、三好市の名称は344という数字で表現できるから、1人が1年間に344のアイデア発想を出す取り組みをしてはどうか」ということであった。それをイラ短化して、この日市長に手渡したのであった。

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9月4日(火) 表面を 飾る言葉は ファッションショー 私が求むは 心の握手

20070904

 韓日議員連盟の権哲賢幹事長の呼びかけで、この日の朝、朝食を摂りながらの懇談会。テーマは、“東北アジアの平和構築に向けての提案”。私から約30分のお話をして、その後意見交換。韓国側からは、5名の国会議員が参加をして下さる。

 話の内容は、これまで長い間、西洋の価値観を中心に世界が動いてきたけれども、現在の閉塞状況の中で、これからは東洋の価値観に基づいて、このエリアの諸国が力を合わせて新時代を切り拓く取り組みを進めてゆこうじゃないかという提案であった。参加議員の中には、この理念に共鳴される方もおられれば、少し遠大な夢物語と受け止められた方もおられた様である。

 ともあれ、日・韓両国の国会議員が率直に話し合うことは大切なこと。今後の日韓議連の1つの活動指針が見い出せた気がした次第。昼過ぎ、ソウルを発ち、地元へ戻る。

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9月3日(月) 韓国も 日本政治も 何かしら 重力無くして 宇宙遊泳

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 終日、ロッテホテルを会場にして、日韓・韓日議員連盟合同総会。

午前8時から、運営をめぐる幹事会。10時から総会が開かれ、開会行事と両国からのスピーチ。それから、21世紀委員会。未来志向の日韓関係と国会議員同志の相互交流をいかに進めてゆくかを活発に論じ合う。

 昼食後、少し時間があったので、タプゴル公園を訪れる。この公園は、日本からの独立回復を求める学生運動の発火点になった公園である。その運動の記念碑や韓国国宝の十重の石塔等があった。その後、仁寺洞のまちを歩き、ホテルに戻り、21世紀委員会再開。共同宣言文をまとめる。その後、総会を再開し、共同宣言を採択。そして、夜は、文喜相韓日議員連盟会長主催の夕食会。

 一方、この日、日本では、8月末に就任したばかりの遠藤武彦農相が、自らが組合長を務める農業共済組合が国の補助金を不正受給していた問題で辞任。

 実は、この日韓・韓日議連も、韓国側国会議員が12月の大統領選挙を前に慌しく動いていて、会合中も人の出入りが絶えない状況。政治の世界全体が、何かしら落ち着きなく浮遊している印象を抱いたのは、私だけだったろうか。

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9月2日(日) 十年は 一昔前と よく言うが それが実感 ソウルの街並

20070902

 朝、韓国・ソウルへ。金浦空港に午前11時前に到着。そこから少し前に出来上がった地下鉄でソウル市内に向かう。その後、ホテルに荷物を預けて、市内視察へ。地図を片手に、1人で歩く。

 まず、徳寿宮へ。かつての王宮を第26代・高宋が正宮として整備したものである。1897年、大韓帝国成立が公布された場所でもある。その中には、ルネッサンス様式を取り入れた建物もあり、そこで、ハプスブルク家の芸術展を開いていたので、それも観賞。

 その後、地下鉄で東大門へ。この辺り一帯を歩いて周り、韓国の消費動向等を調査。更に、そこから再び地下鉄で戦争記念館へ。ここには以前に一度訪れたことがあったが、改装された後は行っていなかったので、この機会に訪問。展示内容は、随分改善され、平和を希求する精神に貫かれた内容に改められていた。

 その後、ソウルで一番人気がある商店街といわれる明洞地区を歩いて、ホテルへ戻った。

 そして、ホテルで、韓国国会議長主催の歓迎宴。

 こうして自分で歩くと、まちの変貌ぶりがよくわかる。10年でまちは変わる。伸び盛りの時期には、人間と同じで、特にそうだなと思う。

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9月1日(土) 喝~ッ 一瞬に 全て悟れと 禅の道 我が人生の 心の教科書

20070901

 明日から韓国へ行くので、今週末も地元へ戻らず、東京に滞在。書類整理と執筆にあたる。

 その仕事の後、午後3時半に事務所を出て、上野へ。上野にある国立博物館で、“京都五山・禅の文化展”が開催されていて、そこに西条市の寺に祀られている有名な禅師像が展示されていると聞いたので、私自身への禅への関心も合わせて、是非見ておきたいものだと訪れたものであった。展示内容は、流石、国立博物館の企画展であり、とても見応えのあるものであった。

 私の禅への関心は、20才頃に始まる。科学技術の世界に求められる膨大な知識量、そして、1つひとつ細かく詰めながら進んでゆく学問の手法に、気詰まりを感じていた時に、偶々読んだ禅の本が、心の中のもやもやした思いを吹き飛ばしてくれる体験からである。今も、禅の本は座右に置いていて、時折、目を通している。迷えるときの心の教科書である。

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