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10月31日(水) 世の中は 一面だけじゃ 語れない なのに… 決めつける人 多いね この頃!

20071031

 この日も終日、会合のハシゴ。その間をぬって、四国中央市陳情団の陳情に同行する。

 夜は、1年半前に“山田方谷の思想”を世に出した時の協力メンバーたちと懇談会。このメンバーは、世の中を広く、色々な面から見ている方たちであり、語れば語るほど深く味が出てくるという感じである。この日も、遅くまで楽しく語り合った。

 私も仕事の性格上、随分多くの方々と話し合う機会があるが、この頃気になってならないのが、世の中に決めつけすぎる話が多くなっているのではないかということである。テレビがこんなふうに報じていたから、また、自分の経験に照らし合わせば、こんな結論になるから、といったことで、これ以外に物事の見方、考え方はないのだと言わんばかりの人が明らかに増えている気がしてならない。何故なのだろう。

 世の中というのは、そんなに単純で簡単なものではなく、同じものでも、環境が異なれば、表に現れてくる姿も違うはずなのに…と思う。

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10月30日(火) 心には 心合わせて 丸くなる 法で裁くは 居心地悪し

20071030

 愛媛県人権対策協議会の皆さんが上京。議員会館の会議室で中央集会が開催されたので、それに参加し、挨拶を行う。今回の大会の中心課題は、“人権の街づくり対策基本法、並びに人権救済法の早期制定を求める“ということであった。

 私は、人間社会は、人権尊重の上に成り立つものであると考えている。どのような人であれ、その人権は最大限尊重する生き方をしてゆきたいと心に誓っている。しかし問題は、それを法において規定するという点にある。人権が侵害されたか否か、その点に客観的な根拠に基づくきちんとした判断ができる問題は良いのだが、心の問題として、自分の心が傷つけられたと感じたから、法によってそれを裁けということになると、問題は簡単ではない。主観的な受け止め方によって、犯罪になるということには、大きな疑問が残る。法体系そのものを壊しかねない。

 私は、心の問題は心の問題として取り扱うべきではないかと考えている。そして、その実践者でありたいと考えている。

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10月29日(月) 放送の 向こうに誰が いるのだろう どんな心で 聞いてるのだろう……

20071029

 夜、関東地方一円を放送エリアとするFM局、JーWAVEの「JAM THE WORLD」という番組に出演。私は、普段はマスコミの番組に出ても、参加者の自己主張ばかりの軽薄な討論にはとても耐えられないと、お断りをしているのであるが、今回は、極めて真面目な番組であり、しかも清和政策研究会のことが話題であり、他の人では中々語れないということで幹部から要請を受けたものだから、お受けをしたものであった。

 スタジオは、六本木ヒルズの森タワーの中にあった。ラジオ局だから、狭いスタジオであったが、キャスターが、元新聞社の政治部キャップであったらしく、政治をよく理解している方で、とても話しやすかった。

 15分か20分くらいでの出演時間あるから、そんなに深く広く論じられた訳ではなかったが、出演には一定の意味があったのではないかと思った。

 それにしても、このような話は、一体どんな人が聞くのだろう。その人たちは、どんな心の姿勢で聞いているのだろう…。ラジオの向こういる人のことが、少し気にかかったのであった。

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10月28日(日) トラックショー ここに1人の 男あり 覚悟持つ人 日本を動かす

20071028

 午前中、新居浜市で「心身障害者団体連合会による運動会」の開会式があり、そこに出席後、上京。

 少し前から交流させて頂いている月刊トラックの増田社長が主催する、“東京トラックショー”の親睦会で挨拶をして欲しいとの事で、その会場に駆けつける。

 以前も、このイラ短コーナーで紹介させて頂いたことがあるが、このトラックショーは、東京モーターショー開催中に、トラック部門だけを別会場を使って開催しているイベントである。これは、増田社会の人間関係と信頼感で続けられていると言っても過言ではないだろう。それだけに、この懇親会も、とても暖かい、雰囲気の和やかなものであった。サックスの演奏の後に、私の挨拶であったので、「夢追い人の応援歌」までも歌わせて頂いた。

 この頃は、組織の力が強まる印象のある時代であるが、1人の力もあなどれないと考える。1人の人間が、真に情熱を込め、強い決意をもって事に処すれば、社会は動く。そんな気がした次第である。

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10月27日(土) 農業は 市場にゆだねる べきものか? 論じて至る 究極の問い

20071027

 夕刻から、新居浜市農業委員会の皆さんと農業を巡る懇談会。

 農業者から色々な意見を聞きつつ、地域の農業政策・農地政策のあり方を検討している方々だけに、大きな視野の中で農業問題を捉えておられ、お話をお聞きして、とても参考になった。

 今、農業は、国際化と自由化の流れの中で、相当なご苦労をしておられる様子がよく分かった。特にコメ市場解放の圧力の下で、段階的に自由化が進められてきた結果、米価格が安くなって、とても中小規模では経営できない状況になっていると悲痛な声である。また、古い制度が時代に適応出来ずに残っている点があり、それが様々な問題を生み出しているという指摘もあった。

 基本問題は、農業政策・食糧政策というものが、どれくらい市場経済になじむものかという点に十分な検討がなされないまま、外国の圧力を言い訳に、市場解放を進めている姿にあるのではあるまいか。この基本問題をもっと検討してゆかなくてはと思った次第。

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10月26日(金) 名月に 旧き時代を なつかしむ 衛星かぐやを 思うふりして

20071026

 満月である。時丁度、日本の月周回衛星「かぐや」が見事に予定軌道に投入され、その話題も、多くテレビ等で紹介をされている。

 私は、月を見て、ふと「かぐや姫」のことを思った。月世界からやって来て、地球社会でお姫様として大切に育てられたけれども、昔いた月世界からの使者に連れられて、戻ってゆくという話である。

 今の永田町には、この気分に似たものが流れている。昔は良かったと昔を懐かしみ、元の世界に戻りたいという声が、どこからともなく聞こえてくる。私の心の中にも、確かにその昔を懐かしむ気持ちがある。今、政治は何かにつけて対立ばかり。そして、法に従ってといいつつ、余りに機械的・表面的に事が処理され過ぎていて、情趣が乏しい。昔は政治はもっと人間的な営みであった…。

 月を眺めて、古を懐かしむ。今、かぐやはどんなに飛行しているのだろうと思いを巡らすふりをしながら。

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10月25日(木) 時は秋 巡る季節の はかなさに 科学技術の ただひたむきさ

20071025

 秋と言えば、よく“食欲の秋”だとか、“スポーツの秋”、“読書の秋”などと言われる。時に“学問の秋”と言われることもある。そのせいだろうか、研究発表会も、色々と開催されている。

 今日は、日本原子力機構の研究報告会である。時間の都合で、冒頭の部分だけしか参加できず、研究機構の活動状況を聞かせて頂いただけであったが、会場全体に、例年以上の熱気がこもっている気がした。

 やはり、原油価格が1バレル100ドルを睨んだ動きになっている環境の下で、これまでになく原子力発電に対する期待感が高まっているせいであろうか。また、ウラン燃料資源を約60倍にも活用することの出来る核燃料サイクルの実用化への要請も強まってきているのであろうか。

 少し前まで、反原発運動に押され気味で、気勢の上がりにくかった分野が、今は状況が逆転をしている。研究にも山あり谷ありである。社会状況に、過度に一喜一憂せず、着実に進むことが大切だと思う。

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10月24日(水) 脳こそが 認識器官 それならば 自分で自分を 認識できるか?

20071024

 終日、様々な会合や来客応対。

 その中で特に印象深かったのが、理化学研究所の脳科学総合研究センターが10周年を迎えたことを記念して開催されたシンポジウム後の懇親パーティーであった。

 このセンター設立にあたっては、私自身も、当時、科学技術部会長代理を務めていた頃のことでもあり、強い関心を抱いていた。人間の脳の働きが解明されることを通して、コンピューターの人工知能の進歩や、より人間に近いロボットの実現が夢見られた。また、脳の病で亡くなる方を少しでも減ずることが出来ればという願いもあった。

 その時以来10年。脳研究を通して、様々なことが解明され、人間への理解も深まってきている。しかし、究極、私たちは、何を知ることになるのだろう。自分自身のことも、世界のことも、認識をするのが脳。それを知ると、私たちは何を知ることになるのだろう。根本的な疑問である。

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10月23日(火) 大臣が 初舞台踏む 委員会 同期委員が 添える花束

20071023

 環境委員会で質問。私が質問席に立つのは、随分久し振りのことである。これは自民党内の慣例として、若手国会議員に質問のチャンスを出来るだけ回してゆくようにとの配慮でそうなっているのである。

 というのも、与党国会議員の場合、政府の政策づくりの段階から、党の部会等で関与することが多く、もう既にその段階で自らの意向が織り込まれた形で政策になっているのだからと、質問時間は、野党側に多く与えられる形になりがちである。しかも、与党議員は、衆議院で3分の2以上。自民党の1年生議員だけでも80名強もいる。その人たちに、出来るだけ多くのチャンスを与えようということで、年期が上の人は、特別の事情がない限り、質問席には立たないのである。

 しかし、今回は、私が立たせて頂いた。それは、同期で私が親しくしている鴨下一郎代議士が環境大臣に就任して、今日が委員会での初答弁の日であったからである。その思い出の答弁を、同期生として花を添えさせて頂いた次第である。

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10月22日(月) 人生に 一病あるは 恵みかな 弱さ示しつ 我生きんとす

20071022

 午後一番、イエローハット本社に、鍵山秀三郎先生をお訪ねする。そして、これから取り組むべき課題について、ご相談をさせて頂く。例によって、色々なこをと語り合う。

 その中で、この日、一番印象深く残ったのは、私が、“安倍政権が参院選に敗れ、行き詰まり、辞職せざるを得なくなったのは、2年前の総選挙で与党が大勝し、力ずくの国会運営をし過ぎたせいだと思う”と語った時に、鍵山先生が言われた一言。“それは一病息災ということですね”と。

 人でも組織でも国家でも、余りに巨大な力を身につけると、その力で全ての問題を解決できると過信して、ついやり過ぎてしまうことがある。しかし、自分に1つ病があると、それを用心して取り組む結果、却って良い結果が導かれるというのである。

 この点は、本当に心しなくてはならないことであると思う。

 人間、弱点のない人などはいない。何かしら弱い面を持っているのを、覆い隠しながら生きている人がほとんどだろう。私はその弱さを逆に堂々と他の人に示しながら生きてゆこうと思う。

 その方が真の人生になる気がするからだ。

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10月21日(日) 残された 時間が妙に 気にかかる 身近な人の 死を前にして

20071021

 叔母の葬儀。午前中に葬儀を終え、焼き場へ。そこから戻って、会食。ここで、一連の仏事等が終わったので、少し他の用事を片付けてからJRで上京。

 車中で色々なことに思いを巡らせる。身近な人の死というのは、色々なことを考えさせられるものである。特に、世の無常に胸が痛む。

 考えてみれば、私も、もう52歳。若いなどと言っていられる年齢ではない。回りの人の人生をみていると、力一杯に体を動かして、先端部で働けるのも、もう10年余りではないかと思う。同級生の訃報も、まだ少しだが聞こえてくるようになってきた。

 残りの人生が、1日1日短くなってきていることを実感する。

 この時間をどう使っていけばいいのだろう。もう形式的なことや表面的評価などに身をゆだねている余裕はない。実質的なこと、それも後世に確かに残してゆきたいと願うことに、更に力を注いでゆかねばならないと思う。列車の窓から眺める闇が、妙に深く重く感じられた次第である。

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10月20日(土) 人はみな 人各々の 道を生き 人各々の 尊き輝き

20071020

 昨日、環境委員会を終えて、すぐに地元へ戻る。

 突然、母の妹である叔母が亡くなったからであった。

 小さい頃に大きな病気をしたらしく、生涯何かと病気がちで、余り外へ出掛けることのない叔母であった。しかし、とても気が強く、利発な上に、手先が器用で、若い頃から、よく服を作れたり、毛糸のセーターを編んだりしていた。料理も上手くて、家の中の仕事をよくこなしてくれていた。苦痛の多い人生であったと思うけれど、いつもは全くそんなそぶりを見せず、常に明るく振るまおうとしていた。

 小さい頃からの病身からすると、もうとっくに無い命と、自分で割り切っていたところがあった気がする。だから、親戚や近所の人が集まっての通夜の席でも、ほとんど湿っぽいところは無かった。

 かつて小泉総理が年金未納問題で“人生色々”と語って物議を醸したことがあったが、本当にそうだと思う。人生は、人各々なのである。1つの推奨モデルなどといったものがあるはずがない。人各々の人生、各々の輝きを求める人生である。

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10月19日(金) 国政と 国民結ぶ 架け橋が やけにか細く 大丈夫かな

20071019

 国会は、相変わらず混迷状況。対立ばかりが強調されて、中々審議が進まない。その状況について、カルショックの「超人大陸」用に描いたイラ短が、この作品である。

 私は、今の日本政治を見ていると、国民と政治家の間に「3ずの川」が流れている気がしてならない。「3ず」とは、“見えず、聞こえず、言えず”である。永田町の真の姿は、必ずしも国民にきちんと見えてはいない。この両者の間には、マスコミという細く曲がりくねった橋がかかっているだけである。また、政治家の声も、国民には届いてはいない。そして、国民に向かって、必ずしも政治家は、的確にメッセージを語れていないのである。そして、この逆もまた真なりである。国民のことが政治家によく伝わっているわけではない。この状況の中で、お互いが誤解し合っていて、結局、曖昧に問題をやり過ごしてしまっている。

 今回のこの混乱の中で、私は、民主主義とは一体何か。そして、どう機能させるべきものなのかという基本問題についても、よく考えてみたいと思った。

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10月18日(木) 人こそが 社会における 礎だ 地域格差は 人材格差

20071018

 お昼過ぎ、伊吹幹事長に面会。かねてから検討を進めてきた中央政治大学院の「地方再生リーダー育成塾」について、総裁の福田康夫総理に報告する前に、幹事長にご相談をさせて頂いたものであった。

 今、日本の地方を見回してみると、確かに疲弊してしまっている地域が多い。しかし、この問題は一律に論ずるべきものではなく、同様の社会環境にあると考えられる地域にも、問題の深刻さには濃淡がある。その差の原因を調べると、その土地に、新しい事業に取り組み、しかも地域住民に強い求心力を働かせることの出来るリーダーがいるかいないかという点が分かれ目であるようだ。つまり、地域間格差とは、人材力格差と言ってもいいだろう。

 そこで、その地域にUターン、Iターン等により、人材を送り込む仕掛けを作りたいというのが、この塾の狙いである。

 来年1月開講予定。精力的に準備を進めたいと思う。

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10月17日(水) バルグーティ 平和が夢と 言うならば 世界に拓かん 心の調和

20071017

 朝の東京OAK・TREEフォレストの後、10時半から「日本・パレスチナ友好議連」。

 この日は、パレスチナ立法評議会議員のムスタファ・バルグーティ氏が来日中であり、議連で、パレスチナの現状をお話したいとの要請に基づいて開催をしたものである。中々の雄弁家であり、パレスチナの問題を色々な面からお話を頂いた。その時に、バルグーティさんにお渡しをしたのが、今回のイラ短である。

 そして、午後2時からは、ザンビア大使ゴッドフリー・シマシク氏との懇談会。愛媛県からザンビアの問題に熱心に取り組んでおられる松下文治氏が上京されたこの機会に、ザンビアへの産業支援問題を語り合おうと設けたものであった。この大使も、熱情のあふれるお話ぶりであり、途中で質問するのも遠慮したくなる雰囲気であった。

 日本は、色々な問題を抱えているとはいいながらも、平和で豊かな生活である。パレスチナの争い、ザンビアの貧困とエイズ問題等に対して、この日本が一体どんな援助を行うことが出来るのか、私なりに真剣に考えてゆきたいと思う。

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10月16日(火) 大嵐 情報革命 その後に 我ら拓かん 調和文明

20071016

 夜、総務省の情報通信分野の若手中堅官僚たちと勉強会。

 情報技術がどんどんと進歩し、それが社会全体に影響を及ぼし正に情報革命ともいうべき大変化を生み出しつつある今、一度、社会全体の視野でこの情報社会問題を論じ合ってみようというのが、私からの提案であった。つまり、総務省としても、新しい情報技術に基づく機器を普及させたり、ネットワークを高度化したりというだけでなく、人々の思想面にどんなアプローチをするか、総合的な社会ビジョンをいかに描くかといった点にもこの情報社会の議論を広げてゆき、最終的には、調和を尊重する日本文明・文化を、この情報時代の1つの中心的文明観として世界に紹介してゆくところまでやってみようという壮大な提案をさせて頂いた。

 この新しい文明社会を築くことを通して、この日本の国が世界の平和と人々の幸福を実現したいという果てない夢である。

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10月15日(月) 環境の 議論に似合わぬ 対立構図 国会審議の モデルならんか

20071015

 昼の時間に、環境委員会の与党理事懇談会。参議院で与野党が逆転している状況下で、いかに委員会運営を進めてゆくかということを協議。

 今国会中は、渋谷におけるスパのガス爆発への対策として、「温泉法改正案」が政府から提案されるだけとのことであり、環境委員会の負担は比較的軽いということである。しかし一方、来年日本で開催されるサミットにおいて、地球温暖化問題が主要議題の1つになることを考えれば、環境委員会として、この問題に十分な議論を行っておく必要があるだろうと思う。そもそも環境問題は、与野党で争い合う問題ではなく、むしろ広く知恵を集める場と考えて委員会運営を進めてゆけばいいというのが、私の考えである。

 地球人類全体としても、この地球環境問題は、これまでの争いを超えて各国が協力して取り組むべき課題と言われる。ならば、この国会でも対立を超える知恵を生み出る委員会にならないものかと思う。

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10月14日(日) 我が頭脳 書類整理が トレーニング 今や年増の 暴走族かな

20071014

 自民党総裁選挙、欧州宇宙会議出席等で、週末に長く地元に戻ることが叶わず、久し振りに地元へ戻ったので、新聞、手紙、書類等が山積み。それらを片付けることに、終日専念。そして、夕刻のJRで上京。

 私にとって、書類整理とは、単に必要な書類と不必要な書類を分けて、不必要なものを処分するという作業ではない。不必要なものを処分するのは当然としても、必要な情報については、自分の頭に移してから処分するという意味合いを持っている。従って、その内容に十分な理解が必要とされ、丹念に読んでいると、随分時間がかかる。しかも政治家のところに届けられる書類というのは、量も多く、分野も雑多である。当然、速読の要素と頭の瞬時の切り替えが求められるが、これらは、頭にとって、とても良いトレーニングである。

 人の記憶力は、20才前後をピークに衰えると言うが、頭の回転はそうではないようだ。書類整理という名のトレーニングを毎回行っていれば、まだまだ速くなりそうな気がしているこの頃である。

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10月13日(土) 政治家は 総合デパート よろず屋で 推理・SF 作家でもあり

20071013

 松山市で、昼は、県宅建協会の役員皆さんと、そして、夜は、県商工関係3団体役員皆さんとの意見交換会。その間に少し時間があったので、松山市内の方と面会したり、松山市の考古館と県立美術館を訪れ、松山市の遺跡について学び、ロシア芸術を鑑賞。様々な情報を取り入れた1日であった。

 政治家とは、たった1人で総合デパートのような仕事をする職業だと思う。数多くの有権者、国民、また業界等の抱える問題に対して、この問題の本質を理解しつつ、様々な解答を導き出してゆかなくてはならない。また、推理小説作家かSF作家のような仕事でもある。政治に持ち込まれる問題は、目の前にある材料だけを組み立てても、答えの出ない問題が多い。大いに想像力を働かせて、未来の人たちのことまで思いを巡らせて、新しい発想を生み出さねばならないことも多いのである。

 そのためには、多くの情報を持っていることが必要である。そして、それら情報を自在に活用しつつ、問題解決に取り組まねばならない。そのための情報収集である。程に、雑多な情報は、その仕事の礎である。

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10月12日(金) 地域間 格差も結局 人材格差 桎梏はずれた 人を育てん

20071012

 昼の時間に、四国開発を巡る会合。少し前に、四国地方開発委員長の役職を、高知県の中谷元・元防衛庁長官に譲ったが、それでも、私にとって、四国の問題解決はライフワークの1つ。

 最初に、四国経済界からの代表者4名が、次々に今後の取り組みへの考え方と国への要望を語られたが、昨年のこの会で、私が、四国はもっと自立心を持って取り組まねばならないと厳しいお話をしたことが、少しはインパクトを与えたようで、今回は、しきりに“四国の自立”というキーワードが語られた。そこで、私からも発言を求めて、こんなことをお話をした。

 “地域を発展させる鍵は、人である。今、地域格差ということがよく語られるが、これも究極は、人材力格差ともいうべきもの。これから自由民主党では、地域にUターンしようという人を対象に、「地方再生リーダー育成塾」をスタートしようとしている。四国でも、こんなUターン人材受け入れも含めて、これから人の育成に力を入れていこうじゃないか”と。

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10月11日(木) 時差ボケに ついつい寝坊 帰国の日 閣僚たちの 苦労を思う

20071011

 時差が7時間(夏時間)あるところから戻ってくると、やはり時差ボケが残る。目覚まし時計をセットせずに寝ると、目を覚ましたのが午前10時頃。まだ頭が少し重いが、ここで余り寝ると、却って時差ボケも長く続くので、思い切って起き上がる。そして、宇宙会議のレポートを執筆。正午から、清和研総会に出席し、それからは、日常の仕事。

 しかし、総理大臣はじめ関係の皆さん、平日は国会対応があって中々外国の会議に出席が叶わず、よく週末になると、外国へ出掛けているが、月曜日の朝に帰国して、そのまま委員会での答弁をしたりしている。各々に時差ボケが生じないように何らかの工夫をしているのだとは思うが、それにしても大変な激務だと思う。昔は、外務大臣を務めると、海外出張が多くて、生命を縮めるとよく言われたが、今はどうなのだろう。

 私の身に照らし合わせて、ご苦労様と申し上げたい気持ちになった。

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10月10日(水) かたつむり 角の上での 争いは 宇宙に行けば ちっとも見えぬ

20071010

 出発時刻が送れたせいで、成田着が午前9時頃予定だったのが、午後2時頃になる。お陰で、この日到着後に駆けつけるはずだった2つの会合はキャンセル。そこで一度宿舎に戻り、荷物を整理した上で、議員会館の事務所へ。

 そこで描いたのが、このイラ短。

 ヨーロッパに行くと、日本の存在感が著しく低下している印象であった。その日本の国の国会の動きなど、外国からすれば、そして宇宙からの目で見れば、正にカタツムリの角上の争いである。そんな馬鹿馬鹿しいことでお互いに争い合うのではなく、日本の政治家は、この国際時代、宇宙時代に、もっと大きな気宇壮大な視点から日本の国を論じ、世界を論じる国会であって欲しいと思った。

 暫く日本で、しかも永田町で生活をすると、再びこの内向き気風に染まるのかも知れないと思うと、国会議員は、時々は、意識して他国からの目を持つ必要があると思った。

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10月9日(火) 洞爺湖の サミット話題に 提案す 宇宙の連帯 どうやこの案

20071009

 引き続いての宇宙会議。第3セッション会合に、当初は予定に無かったが、私のスピーチの時間をとって頂いて、発言を行った。その要点は、欧州諸国国会議員皆さんが、地球環境問題の解決に、宇宙からのアプローチを幅広く検討していることを受け止めて、来年の北海道洞爺湖サミットにおいて、首脳が協議するテーマの1つに、この問題を入れるように、各国で運動を進めようという提案であった。

 遠来の客に対して、この会合の参加者はとても暖かい拍手を送って下さった。私も、これで、国会会期中にもかかわらず、この会議に駆けつけた甲斐があったというものだ。

 飛行機便の関係で、最後のとりまとめセッションには出席が叶わず、ローマのフィウミチーノ国際空港へ。しかし、飛行機が直前になって、出発時刻延期。結局5時間くらい遅れて飛び立った。

 最後は少しつまずいたが、全体的に有意義であった、ローマでの3日間であった。

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10月8日(月) 欧州で 感じし日本の 影薄き 我努めしは 男芸者か!

20071008

 イタリア国会下院議事堂の会議場を会場に、欧州諸国議会議員宇宙会議が開催される。開催国が議長を務めるのが恒例らしく、今回は、イタリア下院のダニエル・カペッツォーニ議員が議長。そして、イタリアの宇宙関係者や国会議員が、スピーチとディスカッションを次々と行う。

 その中で気がついたのが、日本の存在感の薄さであった。

 ヨーロッパの会合だから、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)に関する発言が多いのは当然として、それに続くのが、アメリカとロシア。これは、両国共宇宙大国であり、そうだろうと思う。しかし、その次によく出てくる国が、中国とインドなのである。日本の話題は皆無といって良い。

 これはまずい。宇宙開発は、これから益々国際間協力を強めねばならない時代である。その時、宇宙に関心を持つ国会議員の中で、日本の存在が全く意識されていないということでは困る。そこで翌日の日程中に、私からの発言の機会を求め、また、この日の夜の懇親会では、つたない英語ではあったが、私なりに精一杯のアピールをした。ああ大変!

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10月7日(日) ローマ着き 時差調整の1日を ただひたすらに 歩く3万歩

20071007

 今回の会議は、月曜、火曜の2日間であるが、私は直行の飛行機便の関係で、土曜日の昼頃に日本を出発、現地時刻で、その夜にローマ着であった。

 そこで、この日は1日フリー。翌日からの会議に備え、時差ボケを直すためにも、朝一番からローマの街に出て、終日、街の中を歩き回った。主なところだけでも、トレビの泉に始まり、サンタンジェロ城、パルテノン、サンピエトロ寺院、ゲーテ記念館等。随分数多くの遺跡・名所を、徒歩と地下鉄で回った。お陰で、ローマの中心部の土地勘は大体出来たように思う。それと同時に、自分で歩き回ったことによって、この街への愛着も随分高まった。

 ガイドに案内してもらうと、街の見るべき場所を次々に効率よく見せて頂けるが、何となく表面だけをなでているような印象である。やはり、自分の足で確かめつつ、時に迷いながら歩いた方が、街の実相がよく分かる。

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10月6日(土) 機上にて 何も出来ない 身とあらば 時を尽くして 映画のハシゴ

20071006

 欧州諸国議員宇宙会議に、日本・宇宙議連を代表して参加するため、成田空港からローマにノンストップ機で向かう。片道の飛行距離はちょうど1万㎞。飛行時間は約13時間である。

 機上の人となれば、トイレに行く時くらいしか動けない。また、時差を調整するためには、ここで寝てしまうと、到着地のホテルで眠れなくなって、時差ボケが出てしまう。そこで、無理して起きたままでいる。しかし、機内は、眠る人のために、食事を終えると真っ暗になる。仕事を集中して行なえる環境ではない。

 そこで私は、国際便の飛行機に乗ると、可能な限り映画を見ることにしている。今回も、片道で昔の名画「カサブランカ」から、最近の映画まで4本の映画を見た。いくら映画好きでも、これだけ続けて見ると、もう嫌になるだろう。

 体もクタクタ、頭もクラクラ…これで、到着した後、よく眠れることになりそうだ。

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10月5日(金) パレスチナ 救援機関の 事務局長 北風よりも 太陽が良い

20071005

 パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の事務局長であるカレン・アブセイド氏が、議員会館を訪ねて下さる。日本側は、私が御法川代議士と一緒に応得をさせて頂く。

 このアブセイド氏、1941年生まれの女性。つまり、66才になろうかと思うが、とても若々しい。経歴を見ると、アフリカやパレスチナで、ずっとこれまで難民救済の仕事をしてこられたということである。アフリカの人と結婚されていたが、その方は少し前にお亡くなりになっておられる。

 それにしても…この事務局長さん、笑顔がとても美しい。この人生経歴からすると、とんでもないご苦労を経て来ているはずだが、そんな気配は少しもない。そんな見事な笑顔であった。それも作られた笑顔ではなく、心の底からの太陽のような笑顔。人間とは、多くの苦労を経るうちに、逆に捉われ心が無くなって、こんな顔になってくるのだろうか。

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10月4日(木) 国会で 総理が語る 情報量は デジタル写真 一枚に如かず

20071004

 この日も、本会議での代表質問。

 いつもの如く、議論の言葉が噛み合っていない。

 野党にしてみれば、この質問戦を通して、政府側に自らの非を認めさせたり、また野党側の提案に賛同させることを狙って、言葉を投げかけている。しかし、政府側は、おいそれと自らの非を認めるはずはなく、また、野党提案にも簡単には乗れない。そこで、福田総理がいくら言葉を尽くして答弁をしても、野党側は、自分たちの望む答弁でないから、説明不十分だと言い張るのである。

 ふと考える。この議場でやり取りされる情報量は、一体どのくらいのものなのだろうかと。1人が1分間に語る文字数は、多くて400字である。ならば、3時間の間ずっとハイテンポで語ったとしても、7万2000字にしかならない。日本語は1文字16ビットだから、115万2000ビット、つまり、約1メガビットである。この情報量は、この頃のデジタルカメラの写真1枚分のデータにもならない。

 情報社会における議論は、果たして、この言論でのやりとりだけで十分なのだろうかと、ふと考えさせられた次第である。

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10月3日(水) 現代の 国家の興廃 主戦場 強く遍き 技術の粋にあり

20071003

 福田総理、初の代表質問への答弁。世評では、この福田内閣の特徴は“安定感”とされているが、総理の答弁を聞いていても、そつなくこなし、確かに、本会議場全体も、落ち着いた雰囲気に変わった。

 夕刻より、理化学研究所が主催する“次世代スーパーコンピューティングシンポジウム2007”に出掛ける。これまで世界の最先端を走ってきたスーパーコンピューター“地球シミュレーター”が、年と共に古くなってきたので、次世代のものを開発し、再び世界のトップに立とうとする、野心的プロジェクトである。

 この話を聞きながら、昔、渡部昇一先生からお聞きした話を思い出した。“世界の歴史を振り返ると、最も強力で普遍性のある道具を持った国が、必ず闘いに勝利する。第2次世界大戦でその決め手は、軍艦でなく飛行機だった。情報社会ではLSIである”という話である。ならば、これからは、このスーパーコンピューターが、先端技術分野における競争の勝敗を決する道具となり、国の盛衰を左右するものとなるのかも知れないと思った。

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10月2日(火) 国会は 男女の仲と 良く似てる 嫌よ嫌よも 好きの内かも?

20071002

 昨日より、本格的に国会の議論が再開。与野党の代表者がテレビに登場して、今後の政治について論じている姿が、ニュースの中で報じられている。

 それを聞いていると、与党側は、ひたすら野党の協力を求めて、与野党間協議を呼びかけている。一方野党側は、秘密会の形で協議する場は参加せず、問題があるなら国会議場で論じ合えば良いと、何ともつれない反応。
 その姿を見ていると、熱心にプロポーズする男性に対して、プロポーズを受ける女性が、嫌よ嫌よと断っている姿によく似ていると思った。恋の世界では、“嫌よ嫌よも好きの内”と言って、心と言葉が違うことが多いものだとよく言われる。

 まぁ、政治は生きものである。今日の気持ちと明日の気持ちが変わることもある。そんな気持ちになって、一度や二度断られても、常に熱くプロポーズし続けることが、事態の打開に結びつくこともあるに違いないと思う。

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10月1日(月) 新総理 落ち穂拾いも 大事だと 共生掲げて 頭を垂れる

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 福田総裁就任後、初の本会議が開かれる。この本会議で、総理は所信表明演説。参議院で与野党逆転という厳しい状況だけに、野党と協議しつつ国政を進めてゆきたいと低姿勢。

 考えてみれば、ほんの一ヶ月前までは、ほとんど誰も、この時期に福田総理が誕生するとは考えていなかった。恐らく、総理自身がそうだと思う。従って、今日の所信表明演説も、野党は新鮮味が乏しいと、例によっての批判オンパレードであったが、それは当たり前。前任者と争ったわけでもなく、これまでの政権の取り組みを継承しつつ、ただ格差の拡大等、問題点への修正を行うというのが、福田政権出発時の基本姿勢。

 言わば、前政権の落ち穂拾いからのスタートである。そういえば、ミレーの有名な落ち穂拾いの絵では、女性達が、“実る程 頭を垂れる 稲穂かな”という感じで、頭を低くして、落ち穂を拾っている。ふと、この絵にに福田総理を重ね合わせた次第である。

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