1月31日(月) 複雑な 仕組みを作れば 作るほど 分からなくなる 事の本質
民主党元代表・小沢一郎被告が、ついに強制起訴された。自身の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金規正法違反容疑である。その具体的容疑は、政治資金収支報告書の虚偽記載とされるが、真の狙いは、その背後にちらつく公共工事をめぐる贈収賄事件の立件ということであろう。しかし、長い政治経歴を持つ小沢一郎氏が、簡単にその尻尾をつかまれるようなことをしているはずがない。結局、法廷においても、何が真実かあいまいなままに、裁判は推移していくことになるのではないだろうか。
今回の起訴は、検察審査会の議決に基づく強制起訴である。検察が起訴に足る証拠を把握できず、起訴を見送ったことに対し、市民感覚はそれを許さないと、検察審査会において、強制起訴すべきと判断したものである。政治家をこの制度に基づいて起訴したのは、今回が初めてである。
しかし、この制度による起訴においても、裁判所の判断基準が変わるわけではない。検察が裁判を維持できないと判断した案件が、指定弁護士たちによって、果たして有罪に持ち込めるのであろうか。制度には、必ず欠点があるが、それを補おうと新たな制度を作ると、複雑になって、かえって本質がよく分からなくなることがある。今度の裁判も、そうなる危惧があると思う。
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