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4月30日(土) 衆院を 震災補正が 通過せり しかれどこれは ただ一里塚

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 この日、東日本大震災による被災者の救済と被災地の復旧・復興への緊急を要する事業を盛り込んだ平成23年度第一次補正予算が、衆議院予算委員会で可決された後、衆院本会議でも全会一致で可決。直ちに参議院に送付され、5月2日に成立の予定。この予算の内訳は、応急仮設住宅の建設、被災遺族への弔慰金、被災者緊急支援など災害救助関係に4,829億円 、がれき処理などに3,519億円 、公共土木施設や農地農業用施設、有料道路、空港など災害対応の公共事業関係に1兆2,019億円 、学校施設や医療、介護、障害者施設、農林業施設、警察消防関係施設など施設の災害復旧費に4,160億円 、災害関連融資措置に6,407億円 、地方交付税交付金に1,200億円 、そのほか震災関係費に8,018億円を計上している。以上の総額は、4兆 153億円である。
 これで、とりあえずの緊急措置に必要な予算は措置されることになるようであるが、これで終わりではない。総額で10兆円を超える予算措置が必要だろうと言われているから、今後、相次いで補正予算を組んでいかねばならないだろう。また、その財源措置もこれからである。いわば、今回の補正予算成立のめどが立ったのは、単なる一里塚であり、これから先に果てしない道のりを歩んで行かねばならないということである。

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4月29日(金) 昭和の日 我は書院の 勉強会 昭和を越えて 道拓かんと

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 若葉書院で、「第一回四国マグマ・アカデミー」。参加者1名。事前に、十分な周知と募集の活動を行わなかったので、この結果である。しかし、「それもまたよし」である。「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」と語られた松下幸之助塾主の思いに心めぐらせた次第。
 4月29日といえば、かつての天皇誕生日。今は、昭和の時代をしのぶ「昭和の日」である。今、この日本の国は、大きな困難の中に立ちすくんでしまっている。その中で、昭和の時代の延長線上にこの国の未来があるわけではないという気がしてならない。
 昭和は、20年の終戦の日までは、戦争の時代。そして20年台は、復興の時代。30年台40年台は、成長の時代。50年台60年台は、調整の時代と、時代区分ができる気がしているが、そこから平成の時代に入り、何かしらずるずるとけじめもなく、調整的な時代が続いている気がしてならない。そろそろダイナミックに新しい時代に立ち向かっていこうとする時代が始まっていいのではないか。そんなに思う時、このマグマ・アカデミーの果たすべき役割は、極めて大きいのだと私は考えている。そのスタートが、とても厳しい環境で切られたというのが、とても良い。大きな啓示を含んだものであった気がしたのであった。

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4月28日(木) 56…か… いつの間にやら いたづらに 年を経にけり そんな気がした

 昨晩は、宿毛市で宿泊。そこで朝から、宿毛市役所や教育委員会を訪ねて、昨日の教育講演をめぐって、意見交換。さらに、宿毛市の各地を回り、この町への理解を深めた。特に、私の妻が早稲田大学出身であり、その学校創立の母と呼ばれる小野梓氏が、この宿毛の出身であることから、そのゆかりの地を訪ね歩く中から、新たな出会いもあった。
 そしてさらに、愛南町の中をキャラバンし、夕刻からは、西予市役所を訪れて、三好市長などとお会いし、今後の西予市内での活動についての意見交換も行った。

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 ところで、この4月28日は、私の誕生日である。この日、私は、56歳になった。振り返って、28歳までの前半生は、学校で学ぶ期間(松下政経塾を含む)、そしてそれ以降の後半生は、政治家としての人生であった。なんだかここまでずいぶん速く時が過ぎてしまったという印象である。ふと、小野小町の歌「花の色はうつりにけりな」を思い出した。私も、いたづらに歳をとってきたなというのが、正直な気持ちである。それだけに、これから残された人生、思いきり活動していきたいし、そうしなければ、人生に悔いを残すかもしれない、そんな気がしたのであった。

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4月27日(水) 災害で 金欠病の 日本では 人育てるに 如くものぞなし

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 午後から、宿毛市で、教育講演。年に一度、市内全域の全教師が集い、教育研究会を開催しているのだが、その場での講演を依頼されたのであった。参加者数、約200名。テーマは、「本物の教育・教師・学校」とさせていただいた。
 内容的には、現在の日本社会において、人々が大きく考え違いをしている点があるが、それを認識し、乗り越えてゆくことを通して、本物の教育を実現していけるのではないかというものであった。参加された先生方は、本当に真剣に話を聞いて下さったと思う。この宿毛市は、明治から昭和にかけて、きら星のごとく多くの人材を輩出した土地である。その歴史と伝統が確かにこの町に宿っている気がしたのであった。
 ところで、この宿毛市の中西清二市長とは、かねてから色々と意見交換をしているが、今回も、じっくりと話し合うことができた。そこで申し上げたのが、この3月の大震災によって、国の財政資金が東北地方に集中的に投下されることになれば、必然的に地方自治体財政はますます窮乏することにならざるを得ないだろうということであった。その時に地方自治体が何をなすべきかといえば、やはり人を育てることではないかという点について、市長と意見が一致したのであった。宿毛市は、人の輝く町づくりを目指している。この地から何かが生まれてくる気がしたのであった。

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4月26日(火) 秋葉原 霞ヶ関を 歩いたよ 日本の国は やっぱりおかしい

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 昨晩は、東京で宿泊。そこで、朝から少し東京の様子を観察してみようということで、午前中は、昔からよく訪れていた秋葉原を歩き回った。この秋葉原は、時代の先端の雰囲気を醸し出している土地である。最先端のエレクトロニクス機器が並んでいると同時に、若者文化の町でもある。
 そして、午後には、霞が関、具体的には、文部科学省と財務省を訪れて、古くからの知り合いと意見交換。ここで、日本の国を動かすリーダーたちの気持ちに触れてみたいと考えたのであった。
 そして、午後4時前の新幹線で、四国に戻ってきた。
 一日、歩き回ってみて感じたことは、これらの町に、元気がなく活気に欠けているということであった。何かしら重く沈み込んでいるような雰囲気を感じたのであった。私は、この二つの町は、ある意味で日本の未来を指し示している町だと思う。それらの町に活力がないとするならば、明るい日本の未来を展望することはできないとも言えるのではないか。テレビを通して感じてきた日本は、少しいびつなものであったが、その日本のダイナモとも言うべき場所が、こんなに重苦しいのでは、やっぱりこの国はおかしな方向に向かっていると言わざるを得ない。

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4月25日(月) 本物の 政治家目指す 塾生たちに 吾が赤心を 語り尽くせり

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 この日午後から、神奈川県茅ケ崎市にある松下政経塾で、後輩たちに対する指導。テーマは、これから本物の政治家を目指すならば、その時にどのような基本的な考え方と姿勢が求められるかということであった。
 参加していた塾生は、1年生から3年生まで、合わせて14名。昨日まで、東日本大地震の被災地支援や統一地方選応援などで、塾外活動をしていて、そこから戻ってきたばかりということもあるのかも知れないが、みんなよく引きしまった良い顔つきをしていた。
 この指導は、午後1時から5時まで、4時間に及んだ。この種の話は、講師が一方的に話するだけでは、聞いている側に疑問を残してしまう。そこで、質疑応答や意見交換を交えながら、じっくりと語り合った次第である。
 私が松下政経塾を巣立ったのが、昭和58年の春のこと。したがって、それから数えてもう28年である。あの当時の自分の思いを振り返りながら、塾生たちに自分の赤心を語りかけたのであった。
 なお、この日は、この指導を終えた後、上京。林田さんを中心とした昔の仲間たちと、酒杯を傾けながら、にぎやかに語り合った。いま、時代は確かに動いていると思う。そこに何をなすことができるか、そんなことを考えた一日でもあった。

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4月24日(日) 教育者 安倍能成氏の 人生は 自由をひたすら 求むものなり

 教師人間論ゼミ。テーマは、「安倍能成の人生と教育思想」。
 安倍能成(あべ・よししげ)氏は、松山市の生まれ。地元松山中学から第一高等学校に進み、さらに東京帝国大学に学んだ。その後教育界に身を投じ、1940年からは、母校第一高等学校の校長を務めている。戦後は、最後の貴族院議員となり、昭和21年には文部大臣、また、教育刷新委員会委員長として、教育基本法の制定に関与。さらに、憲法改正特別委員会委員長として、新憲法の制定にもかかわっている。いわば、戦後日本の方向を決定する大事な仕事に携わった人ということができるのではないかと思う。

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 この安部氏の思想の中心にあったのは、自由の尊重である。氏の自叙伝には、こんな一文がある。「私が近頃益々はっきりと信ずるのは、人間の人間たる所以が自由にあるということである」と。そして、この自由が人間に備わっているからこそ、そこに道徳というものが存し、また人間活動を通して文化が生み出されてくるのだと主張しているのである。私は、必ずしも十分にその思想を理解しているわけではないだろうが、大きな共感を覚えた。これから先、さらにこの考え方を深めていきたいと考えた次第である。

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4月23日(土) 船出には 螢の光が よく似合う 書(ふみ)読む月日 重ねつつ すぎの戸開けて 今朝は別れゆく

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 OAK・TREE 5月号出稿。今月は、4月5日に結婚。その後、新婚旅行を兼ねた橿原神宮と高野山奥の院への参拝。その旅路でのインフルエンザと、自宅に戻ってからのぎっくり腰など。あれこれとあったため、結局、執筆と編集に取り掛かったのが、ようやく今週になってから。だから、実質的には、この5月号も、4日間余りで作り上げたことになる。なかなか慌しい作業であったが、それでも内容的には、充実したものを作り上げることができた気がしている。
 ところで、出稿といえば、出航を連想する。船出である。そして、船出といえば、桟橋に流れる「蛍の光」を連想する。OAK・TREE誌の出稿は、私の思想や活動内容を表現したものを、世の中に向けて、特に未来の社会に向けて、船出させる意味を持っている。ならばそこに似合うのは、やはり「蛍の光」ということになるのではないか。
 そこで、「蛍の光」の歌詞を読み直してみる。「蛍の光 窓の雪 書読む月日 重ねつつ いつしか年も すぎの戸を 開けてぞ 今朝は 別れゆく」というものである。長い間積み上げてきたものを、誌面に凝縮して、執筆と編集を行い、それがこの日、私の手を離れていく…そんなことを考えると、出稿というのも、何か心寂しいものがある。

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4月22日(金) 歴史とは 十二単(ひとえ)の 装いぞ! 衣取る度 色変わりゆく

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 最高裁第一小法廷は、ノーベル賞作家である大江健三郎氏の著作「沖縄ノート」のなかにある、第二次世界大戦中に日本軍人の隊長らが沖縄住民に集団自決を命じたとの記述が虚偽である、として、旧日本軍隊長などが名誉毀損されたと起こしていた訴訟で、その上告を棄却する決定を出した。これにより、旧日本軍の関与を認めてその請求を退けてきた一審二審の判決が確定した。
 この訴訟の背景には、教科書問題がある。この提訴後、文部科学省は、「自決は日本軍の強制」とした高校教科書の記述に初めて検定意見をつけたことにより、教科書会社が記述を削除する動きに発展した。しかしその後、沖縄県の反発が広がり、文部科学省の諮問機関が、逆に軍の関与を認めたことを受けて、教科書の記述が復活する動きにもなっていた。
 歴史というものは、実にいろいろな面をもっている。それだけに、ほんの少し前の事実確認ですら、なかなか容易でない。それはたとえば、平安時代の女性が、十二単を着ているようなものである。衣の色を問われても、簡単には答えられない。一枚ずつ衣を取る度に、着物の色は変わり、印象も変わっていく。私たちが歴史を見る時も、そのようなものかもしれないなと思った。

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4月21日(木) 原発や 東北線の 話題より スーちゃん死去に 心動けり

 この日も、福島第一原発の問題がいろいろな視点から報じられていた。また、東日本大地震以来、点検や修理のため全線で運行されていなかったJR 東北線が、被災後1カ月と10日を経てようやく全線開通にこぎつけた。

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 しかし、私が心動かしたのは、むしろ、キャンディーズの元メンバー・田中好子さんが、午後7時過ぎに乳がんのために死去したというニュースであった。年齢が55歳ということであったから、私とほぼ同じ年齢である。
 テレビでは、キャンディーズ時代のスーちゃんが、コンサートではち切れるような若さを爆発させて踊り歌っている場面や、その後に女優として芸能界に復帰して、さまざまなドラマで主人公や準主人公を演じている場面が紹介されていた。やさしく暖かく包み込むような人柄が感じられて、とても懐かしく思った。しかし、彼女はもういない。
 そうなのだ。すべては移ろいゆくものである。キャンディーズ時代の少女も、55歳といえば、既に初老である。そして、病によって命を終えていく年になっていたということである。この世のありとあらゆるものが、すべてが、時の流れの中に、生れて、大きくなり、最後には消えていく。そんなこの世の厳然としたルールを、この死の報に接して考えざるを得なかったのである。

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4月20日(水) 孔子像 天安門に 置かれしを 移動せりとや 中国の春

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 北京・天安門広場東側にある中国国家博物館前に、今年1月11日に盛大な落成式を行って設置された孔子の巨大な石像が、この日突然撤去されたという。孔子像は、著名な彫刻家の作品であり、高さが9.5m 、重さが17トンに及ぶものだという。この孔子像設置については、インターネット上で、是非についてずいぶんの議論があったのだそうだ。それだけに、政治的な何らかの背景があるのではないかと考えている人が多いようだ。
 そもそも、孔子については、中国の歴史上、高く称揚される時期と弾圧される時期とがあった。近年でも、文化大革命の時期には、孔子は「封建的な道徳を教えた反革命の元祖」として、悪人扱いされ、徹底的に弾圧されたという。しかし、改革開放政策を進めた1980年代以降には、政府が愛国心を強調するために、中国の歴史や伝統・文化などを重視する中で、孔子についても再評価がなされ、とくに近年は、中国文化の優越性を世界に示すシンボルとして、孔子を積極的に取り上げる傾向が強まっていた。
 孔子の子孫である孔健さんに電話で聞いてみると、孔子像は、撤去されたのではなく、すぐ近くの彫刻公園に移されたのだということであった。さて、中国の春は、これからどんな展開を見せることになるのだろうか。

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4月19日(火) 新県議 研修会での 提案は 自由と民主の 土佐立志塾!

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 昼ごろ、急に大阪の土岐さんから電話がかかってきて、仲間と一緒に、今、新宮の「志の道」にやってきているのだとの話。この日は、ちょうど私も、新宮を通過して、高知市に向かう予定であったから、ならばと少し出発時刻を早めて、大阪からの来訪者と若葉書院で会うことにした。メンバーは、大阪の倫理法人会の皆さんで、その話し合いの時間は短時間であったが、十分に心を響かせ合うことができた気がする。
 その後、高知市へ。実は、少し前に行われた高知県議会議員選挙に初当選した自民党所属の新人議員たちを相手に、真の政治家とはいかなるものであるかといった、基本的な政治家としての心構えをお話しすることになっていたのであった。6名の新人議員に加えて、県連の役員が同席する中で、約1時間の話を行った。新人であるだけに、私の話に真剣に耳を傾けていただき、それに応えんと、こちらも思いの限りを尽くしてお話を行った次第である。
 その最後に、提案をしたのが、「土佐立志塾」設立であった。土佐といえば、自由と民権を旗印に国会開設を働きかけた「立志社」が有名である。その歴史と伝統を現代に活かす形で、日本政治に新時代を切り開く活動を始めようではないかと、提案したのであった。

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4月18日(月) 何でまた アメリカ製の ロボットが 原発調査と 首をかしげる?

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 東京電力は、福島第一原子力発電所二号機の原子炉建屋にアメリカ製の遠隔操作ロボット「パックボット」を投入し、内部の放射線量などの調査を行うと同時に、内部映像を撮影した。
 このロボットは、米国アイロボット社が提供したものだそうだ。マジックハンドで扉を開けながら原子炉建屋内部に入り込み、がれきを避けながら、任務を遂行したということである。
 実は私は、この報道を聞きながら、首をかしげていた。もう十年も前のことになると思うが、東海村の原子燃料製造工場で、臨界事故を起こした後に、日本政府は、ずいぶんお金をかけて原子力災害用のロボットを開発していたからである。あのロボットは、その後どうなっているのだろう。こんな場面にこそ、登場してくるべきロボットであるはずなのに…。また、国内のロボット研究者たちが集まって、レスキューロボットの開発も進めていたはずだ。そんな研究者は、自分の開発したロボットを存分に現場で働かせてみたいはずだ。どうなっているのだろう。日本の制度や組織がうまく受け入れてくれていないのだろうか。私が今永田町にいれば、こんな場面に新しい道を切り開くことができたかもしれないな…と、少しさみしい気持ちになった次第。

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4月17日(日) 何ゆえか 原発めぐる 報道官は 自身無さそな 人ばかりなり

 東京電力は、福島第一原子力発電所の事故収束に向けた工程表を発表。これから第一段階として、約3ケ月をかけて、原子炉を冷却し、環境中の放射線量を着実に減少させることとし、その後、第二段階として、原子炉を冷温停止させ大幅に放射線量を抑える、それにはさらに3ヶ月から6ヶ月ほどかかるという発表内容であった。周辺住民のみならず、国際社会にも多大な影響を与えている今回の事故であるだけに、早期の終息を期待したいと思う。

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 それにしても、常々感じてきたことであるが、今回の事故をめぐって、原子力委員会や東京電力の報道官がテレビに登場して、その説明を行っているのであるが、なぜか、みんな自信が無さそうな表情と口調の人ばかりである。この分野の技術に詳しい専門家が説明するのが一番ふさわしいことだと、実務的に人選が行われたのかもしれないが、それを見ている国民の側が、こんな人たちで本当に大丈夫なのかと、話を聞くたびに不安を募らせている気がしてならない。あまりに自信満々に対策とその成果見込みを語って、国民に大きな期待を抱かせて、それを裏切る結果になっては、かえって逆効果という計算でもあるのだろうか。この点は、今回の事故をめぐって不思議なことの一つである。

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4月16日(土) 震災後 日本経済 凋落を 案ずるならば 原点回帰

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 OAK・TREE フォレスト勉強会の日。今回のテーマは、「今の日本に必要とされる経済政策の考え方」。
 約1ヶ月前に東日本地域を襲った大地震と大津波によって、今、日本経済にもさまざまな問題が生まれてきているが、それをいかに乗り越えていけばいいか、さらに、これを契機として新たな日本経済の姿をいかに作り上げていけばいいかといったことを基本テーマに、参加者と奔放に語り合う勉強会であった。
 その結論というのは、端的に言えば、経済は、その言葉が意味している本来の「経世済民」の原点に立ち返るべきであるということであった。経済活動は、往々にしてその利益や規模を競い合うものとなりがちであるが、本来は、時代を貫いて流れる考え方に基づき、多くの民を助けていくという活動であるはずである。その原点を忘れて、形式的な成果ばかりを追い求めている中から、経済活動は、表面的であり、刹那的な活動となってしまったきらいがある。今回の深刻な事態を目の前にして、いま改めて原点回帰を図っていくべきではないだろうか。そこから、むしろこれからの時代に対応できる日本経済が築き上げられていくに違いないと、私は考えている。

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4月15日(金) 古希となる 近藤さんの こころざし それは天地と 響く生き様

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 この日は、昼過ぎから、西条ロータリークラブでの卓話。私がなぜ、在野の政治家の道を選ぶことになったかという話に始まり、これからの日本政治の展望まで、さまざまな話題についてお話をさせていただいた。その話の奥に流れていたのは、自分の生き様・考え方であった。
 その後、井上隆寿・西条ロータリークラブ会長から、近藤哲夫先生が開催している「古希展・こころざし」と銘打った展覧会に一緒にいかないかと誘われて、その会場に向かった。そしてそこでは、近藤先生に直に解説をしていただきながら、作品を見て回った。というよりも、先生の胸の中から湧き上がり溢れ出てくる熱い思いを聞かせて頂きながら、作品を見て回ったという方が正確だったかもしれない。先生は、自分で何かを意図しながら作品を作っているというよりも、いつも何かに突き動かされるように作品制作をしているのだと語っていた。いわば、天地と響き合う境地で、ひたすらに作品に取り組み、気が付いてみると、こんな作品ができていたのだというのだ。
 今回の美術展のタイトルは「こころざし」であったが、これは、先生の自分自身の生きざまそのものを表現したものであった気がしたのであった。

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4月14日(木) 被災地の 復興目指す 取り組みに 夢描けるか 五百旗頭会議

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 この日、「東日本大震災復興構想会議」の初会合が開催された。メンバーは、被災した岩手、宮城、福島の県知事や有識者など15名。会議に先立って、菅首相からは、「ただ元に戻す復旧ではなくて、新たな国づくりの指針を提示するような創造的な復興ビジョンを示してほしい」との要請が出されたということである。
 この会議の議長は、五百旗頭(いおきべ)防衛大学校長。私は、何年か前に、中国で開催された文明問題をめぐる会議で、彼と席を共にし、いろいろな議論を行ったことがあるが、とてもバランス感覚のいい、良識的な人であると思う。今回の構想会議では、五百旗頭議長は、基本方針として、次の5点を提示したという。①超党派の、国と国民のための会議、②被災地主体を基本とし、国としての全体計画を作る、③単なる復興でなく、創造的復興を期す、④全国民的な支援と負担が不可欠、⑤明日の日本への希望となる青写真を描く。(以上)
 いわば、今回の災害を、マイナスのものとして捉えるのではなく、むしろ新しい日本の国をつくるための契機として捉えて、国民の皆さんに、夢と希望を与える活動を進めていきたいという決意を示されたということだ。この会議が、大きな実りを生み出すものとなるよう、心から祈りたいと思う。

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4月13日(水) 3万の 生命が瞬時に 奪われし 国に輝く 一つの生命

 前日に、関東甲信越地方の病院に入院していた10歳以上15歳未満の男児が、改正臓器移植法に基づく脳死と診断され、この日、日本各地の病院で臓器移植を待っていた多くの患者に、その少年の臓器が摘出され移植された。その臓器提供の決断は、少年の家族が行ったということであるが、家族の弁によれば、次のように少年の気持ちを汲み取った結果であったようだ。
 「息子は、将来は世の役に立つ大きな仕事をしたいと周囲に言っていた。(脳死状態になって、もう回復が見込めない状況において)臓器提供があれば命をつなぐことのできる人たちのために彼の身体を役立てることが、いま彼の願いに沿うことだと考えた」と。

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 脳死が本当に人の死に当たるのかどうかという点は、臓器移植法制定時にもずいぶん議論があった。特に今回のように、本人の意思が明確に示されていない状況下で、その臓器が提供されることについては、いろいろな議論があるだろう。しかし、家族が本人の気持ちを斟酌して、人の役に立つために、その生物的な命を終えるという決断をしたことの意味を深く受け止めたいと思う。震災と津波で、おそらく3万人もの命が奪われたこの国にあって、改めて一人の命の尊さということを考えさせられた話であった。

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4月12日(火) 原発の 事故のランクが 最高位 技術日本の 面目もなし

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 原子力安全・保安院は、東京電力福島第一原発事故の深刻度を国際評価尺度(INES)の暫定評価で、最悪の「レべル7」に引き上げたと発表した。これは、史上最悪の原子力事故とされる旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と同レベルということである。その評価の根拠は、原子炉から放出された放射性物質の推定量である。これを保安院では37万 テラベクレルと、原子力安全会では63万 テラベクレルと推定しており、数万テラベクレルの放出でレベル7という評価になることから、この最悪の評価としたということである。
 実は、当初は、アメリカのスリーマイルアイランド事故時のレベル5と発表をしていたから、国際社会からは、改めて、日本の原子力関係者に対して、不信の目を向けられているところがあるようである。
 それにしても、技術日本も、これではかたなしである。高い技術力を誇り、高い安全性を実現していると考えられてきた日本の象徴的な存在の一つである原子力発電所において、こんなみっともない事故を引き起こしてしまった影響は、これから様々な分野に波及していくことであろう。厳しく深刻にこの事態を受け止めねばならないと思う。

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4月11日(月) 突然の ギックリ腰に 苦しめり あぁこの地球も 同じ病だ

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 前日、突然、ギックリ腰になる。痛みがひどくて、少し動くのにも往生である。終日、自宅で書類整理などしながら、養生する。「腰」という字は、肉体の要という意味で、腰はとても大事な部分だとよく語られる。普段は、その重要性が少しも意識されることはないが、そこに少しの痛みが生まれると、こんなに不自由なものなのかと、その意味がよく理解される。時には、こんな痛みを抱えて、体の大切さを実感することも必要なことなのだろう。経験者に聞いてみると、完全によくなるまでに一週間余り必要だろうということである。私は幸い、自由の身でもあり、観念して、体を休めて、治療に専念することにした。
 ところで、考えてみれば、先に起きた東日本大震災も、地球のギックリ腰のようなものである。地殻にかかり続けているストレスが、ある時に一気に動いて、大地震と大津波を生み出した。これはいわば、地球の腰(地盤)がずれて、痛みを生み出しているようなものである。あぁ、地球も、今、ギックリ腰になって、痛みに苦しんでいるんだなと思うと、今回の地震の実相が見えてきた気がしたのである。被災地は余震に苦しみ続けているが、まだしばらくは、この痛みが続くことになるということだろうか。

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4月10日(日) 信長や 秀吉登場 前座での 花形役者よ 三好長慶

 四国人間論ゼミの日。今回のテーマは、「戦国時代の武将・三好長慶」というものであった。
 実は、このテーマを選定したのは、俵徹太郎・三好市長からの提案があったからであった。三好市という地名は、鎌倉時代に、三好一族がこの地域を支配していたことに由来するものである。その三好氏が最盛期を迎えたのが、三好長慶の時代であった。つまり、彼は、室町時代の末期、畿内と四国の九カ国を統治する最高実力者であったのである。

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 しかし、長慶は、当時、場合によれば「三好幕府」を築くまでの実力を有しながら、最終的には、当時の足利将軍に屈服する形で、落日の時を迎えるのである。そしてその後に、みんながよく知っている織田信長や武田信玄、上杉謙信などが登場し、ダイナミックに新しい時代を切り開いていくのである。そして、次の豊田秀吉の時代に、全国統一を成し遂げて、それが徳川幕府に結びついていくのである。
 つまり、三好長慶は、激しく時代が動く前段階における花形役者であったのである。この時代は、日本史の中で必ずしも多くの人が関心を持つ時代ではないが、現代の混迷の世に多くの教訓を与えてくれる時代であったと私は考えるので、この四国出身の英雄を再評価することにも、これから取り組んでみたいと考えた次第である。

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4月9日(土) 被災者の 補償問題 澎湃と 巻き起こるなり 金は無いのに

 テレビを見ていると、鹿野農林水産大臣が、被災地を訪れ、被災者と懇談する中で、補償問題について語ったと報じられていた。被災者たちも、当面の災害に対する緊急対応を終えて、これからの生活再建に関心が向き始めているということであろう。特に今回の災害は、単なる自然災害というのみならず、福島第一原発の放射能漏れ事故に代表される人災的要素も色濃く内包しているだけに、この補償問題が次なる政治的な大課題になってくるのではなかろうか。

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  しかし、これは難題である。あまりに被害範囲が広範に及び過ぎている。しかも、住民の退避期間が相当に長期化しそうであるし、また、食品などに関しては、風評被害の範囲が、かなり広い範囲にわたりそうである。さらに、政権を担う民主党に対しては、権利主張を当然視する風潮が広がっているし、権利を声高に叫べば、政権側の譲歩を勝ち取ることができるといった考え方も強まっているようだ。
 東京電力にも、日本政府にも、無制限にその要求に応じるだけの資金はない。ならば、どこでどう折り合いをつけていくことになるのだろうか。これから先が思いやられてならない。

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4月8日(金) 余震とて この規模ならば 大地震 復興事業が またも足止め

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 昨晩午後11時半すぎ、東日本大震災後最大の余震が被災地を襲った。最大震度が震度6強であったらしい。この影響で、今日も、ずいぶん広範な地域が停電となり、また公共交通機関も、大きく乱れたと報じられていた。
 それにしても、今回は、異常なまでに、強い余震が多く起きている。人によっては、その震源地がだんだんと南方に移動していて、いずれの日にか、東海地震が引き起こされるのではないかと論じている人もいるようである。私たちは、地殻内部のことは、見ることもできず、また、十分に調べることもできない。だから、あくまで推測の域を出る予測というのを行うことはできない。それだけに、大きな余震が起こるたびに、さらなる不安におびえている人たちがいることに、せめて思いを寄せたいと思う次第である。
 地震といえば、今からちょうど10年前の3月24日 、安芸灘を震源地とするマグニチュード6.7の芸予地震が起きたが、その時の最大震度は、広島県東広島市などでの震度6弱であった。しかし、その時に、各地に大きな被害を引き起こしたのは、記憶に新しい。ならば、今東北地方で起きている余震というのは、それ自身が大地震である。そんな目で、見ていかねばならないのだと思った。

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4月7日(木) 財源の 見通しもなく 積み上がる 復興予算 どう手綱引く??

 政府と民主党は、7日に幹部会を開き、東日本大震災の対策を盛り込んだ第一次補正予算案について、4兆円規模とする方針を決定した。これは当初、3兆円規模で調整を行っていたのであるが、がれき撤去や仮設住宅建設を急いでほしいという地元からの要望に対応して、積み上げることになったものである。そして、この4兆円規模で対応ができないとなれば、さらにこれに上積みをする余地を残しているようである。

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 一方で気になるのは、その補正予算を組むための財源をどうするかということである。政府・民主党では、11年度予算に計上していた基礎年金の国庫負担分2.5兆円 や子供手当上積み分2,000億円 、また公共事業費削減で3,000億円 、政府開発援助を削減で1,000億円 などを中心に、その手当てを行い、新たに国債発行は行わないという方針のようである。しかし、この第一次補正だけで震災津波からの復旧を行うにはとても足りない。一説では、10兆円を超える規模の財政負担が必要と語られている。財源の手当てなしに、出費の方だけがどんどんと肥大化している。その肥大化をく制御する手綱を一体誰がどのように取ることになるのだろうか?

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4月6日(水) 高野山 奥の院にて 大師に向かい 誓いなせるは 同行二人

 引き続いて、この日は、奈良と和歌山のドライブ。まず、御所市の水平社博物館を訪ねて、差別と闘った人たちの人生に思いをめぐらせた。それから明日香へ。ここでは、良子が母親と一緒に訪ねたことがあるという「甘樫丘」を訪れ、標高148mの展望台に登り、春色みちる飛鳥の里をしばらく眺めた次第。

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 そこから向かったのが、高野山であった。両家ともに弘法大師・空海を宗祖とする真言宗徒であったので、今も大師が暮らしておられると伝えられる、奥の院裏の御廟を訪れ、その前で約30分くらい静かな時間を過ごした。この時間は、貴重な時間であった。そこでの瞑想の中で、妻と2人で、これから「同行二人」の旅を始めるということのイメージをしっかりと抱き合うことができたような気がする。
 高野山でしばしの時間を過してから、その日の宿泊場所である、和歌山マリーナシティーへ。
 実は、この日は、私にとっては、なかなか厳しい一日であった。というのも、昨晩よりインフルエンザの発熱があり、38°を超える高熱の中で、あちこちと旅したからである。しかしこれもいい思い出。妻には、心からの看病をしてもらい、新家庭出発の時点から、もう頭が上がらなくなってしまったようだ。

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4月5日(火) 日本の 国の礎 橿原宮に 妻と2人で 誓う清明

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 結婚の日。先に書いたことだが、妻となる良子が、この3月末に長い間勤めていた職場を退職したので、ならばこれからのことをどうしようかと話し合った結果、このままあまり時間を開けないで、新たな生活を始めることがいいだろうということになって、早速に、初めての大安吉日になる、この日に結婚することにしたのであった。なおこの日は、ちょうど24節気の「清明」にもあたっていた。春になり、命が動き始める日を意味しているようである。
 平成23年、4月5日と、数字が並ぶので、結婚記念日を忘れずに済むという日でもあった。また、佐藤家に良子を迎えに行ったのが、午前9時。4・5・9は、「四国」と読むことができ、四国に嫁いで行くのに、ちょうどいいゴロ合わせと、これは良子のアイデアであった。
 ともかくも、形式的なことは一切省いて、2人の心を中心に、結婚日の思い出を残そうと考えた。そこで、自動車を走らせて、奈良の橿原神宮に行き、結婚を記念するお祓いを2人で受けた。そしてその後、近くの写真館で、記念撮影をした。なぜ橿原神宮であったかと言えば、この地が日本創建の地とされているからである。そこで新しい家庭をスタートすることに、意味を感じたからであった。加えて、OAK・TREE 運動をこれから2人で進めていくのに、樫の森の中で清明の誓いを立てることにも意味を感じたからであった。

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4月4日(月) 原発の 汚染せし水 放出と 聞きて連想 小便小僧!

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 東京電力は、4日、福島第一原子力発電所の廃棄物処理施設などにある「低レベル放射性物質」を含む大量の汚染水を海に放出し始めたと発表。約11,500トンを放出予定という。これによって生まれるタンクの空きスペースに、今、海に流れ出して深刻な問題を引き起こしている「高レベル汚染水」を移し替える予定だという。この低レベルの汚染水は、国の排出基準の約100倍ということであるから、環境への影響は比較的軽微だと考えられるが、これまで放射性物質を封じ込めることを基本に考えて展開をしてきた日本の原子力政策を、自らが否定する判断をしたわけであり、この判断の影響は、今後、広範に及ぶことが考えられる。また、以前にロシアの原子力潜水艦から低レベルの放射性廃棄物が海中に廃棄されたときに、日本政府はかなり強硬な批判を展開したことがあったが、今回の事態はそれをはるかに超える対応であり、国際社会に対する日本の発言力低下は否めないだろう。
 それにしても、こんな事態に対して不謹慎な連想であったかもしれないが、私は、ふと街角に立つ小便小僧を頭に思い浮かべた。あの不道徳な像が、多くの人に愛される理由とはなんだろう。そんなことを考えていたのであった。

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4月3日(日) 孫社長 個人資産の 100億を 被災者支援に 寄付をするとや…

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 テレビを見ていると、ソフトバンクの孫正義社長が、3月に起きた大震災の被害者に対して、個人資産から100億円の寄付をすると伝えている。加えて、孫社長は、ソフトバンク社長としてのこれから先の報酬も、そのすべてを寄付するのだそうだ。また、企業(ソフトバンク)としても、10億円の寄付を行うと報じられていた。個人として100億円の寄付というのは、今回の災害に対する寄付として、最高額になるのだそうだ。
 孫社長といえば、21世紀初頭を飾る成功者の筆頭に取り上げるべき人物である。大学生時代に開発したワープロ技術を大企業に1億円で売って、それを元手にして、様々な事業を展開してきた人である。それらを次々に見事に成功させてきているから、恐らくは、自らが保有する自社の株式が大化けをして、相当の個人資産を形成しているに違いない。日本を代表する金持ちの一人であるに違いない。その資産を、自分が必要と考える社会的奉仕活動のために、惜しげもなくつぎ込んでいこうとする姿は、見事である。このような判断のできる人にして、初めて、生き馬の目を抜くと言われるIT業界において、近欲な判断に迷い、所詮は成金と嘲笑される人生にならずに済んだのであろうか。

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4月2日(土) 結婚を 4月5日と 決めにけり 身軽な旅を よしと思ひて

 昨日の話し合いで、少し慌しいが、私たちは、4月5日に結婚することとした。彼女は、この3月末に退職したばかりで、何ら結婚のための準備が整っているというわけではなかった。しかし、本人との話し合い、また家族との話し合いの中で、もう結婚すると決めているのならば、この退職の勢いで、そのまま新生活に入った方がいいのではないかという結論に達したのであった。

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 そうすると、最も早い大安吉日が、4月5日だから、この日に新しい所帯を構えることにしようということになったのである。そうすると、その日まで、もう3日しか残っていない。無茶といえば無茶な話であるが、結婚というのは、準備万端、すべてを整え抜いて行うものというよりも、ここから二人での新しい人生が始まる日というわけだから、準備できていないことは、むしろここから二人で相談しながら、整えていけばいいのである。むしろ、その方が、その先の人生が窮屈になりすぎなくていいと私は思う。
 人生とは、旅に似ているとよく言われる。準備をしっかり整えて臨む計画的な旅もあれば、最初はできるだけ身軽にしておいて、旅の道中で、必要に応じてものを揃えていく自在な旅もあるだろう。私は、後者の人生のほうが、より良い人生になる可能性があると考えているのである。

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4月1日(金) 岡山で 鬼ノ城・犬島 巡りけり 地方選挙の 告示日なれど

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 今日から、平成13年度。私は実は、この日、岡山県にいた。将来をともに歩んでゆこうと誓い合っている、佐藤良子さんが、昨日で職場を退職したので、昨晩は、その長い間の慰労を兼ねて、夕食を共にしたのであった。
 そして、今日は、これからの話をすることにしていた。ただ、彼女も、疲れきっている様子なので、午前中は、一人で総社市にある古代の城跡、「鬼ノ城」を訪れ、その山中を散策。さらにそこから、個人が開設している「フクロウ美術館」を訪問後、宝伝港で彼女と落ち合って、一緒に船で犬島に渡り、古い精錬所跡地を活用して観光地化している「犬島アートプロジェクト」を見て回りながら、今後のことを語り合った次第である。
 そして、その後は、瀬戸内市の牛窓地域などをドライブした後、彼女の家へ行って、ご両親とも意見交換。
 こんな一日であった。実は、この4月1日 は、統一地方選挙の県議会議員選挙告示日でもあった。職業政治家時代には、一日中、各地の選挙事務所を走り回って、候補や支援者たちを激励していた。ずいぶん忙しい一日であった。しかし、今は、その立場を離れ、自由な身である。そこで、暖かい春の日差しの中に、その自由を満喫した一日でもあった気がするのである。

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