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8月18日(木) 壱岐行きて 倒れ伏すなり 河合曾良 辺境の地で 何思うらん?

 終日、壱岐島内を観光し、夕刻6時過ぎの船で対馬に移動する日程。一日中壱岐島内を駆け巡った。訪問地を列挙すると次のようになる。
 春一番の塔(「春一番」という言葉の発祥地は壱岐)、勝本城跡(豊臣秀吉の朝鮮出兵時に築城)、河合曾良の墓、へそ石と国分寺跡(古代壱岐の中心地)、鬼の窟古墳(朝鮮土器が多数出土)、文永の役・新城古戦場(元寇の役の激戦地)、一支(いき)国博物館(古代の壱岐を紹介する博物館)、原の辻遺跡(魏志倭人伝中の一支国王都)、松永安左エ門記念館(電力の鬼と呼ばれた松永の生家)、左京鼻(美しい岬)、猿岩(猿の横向き姿に見える岩)、黒崎砲台跡(対馬海峡防衛のために作られた巨大砲台)。
 観光バスをチャーターしてこれらの場所を巡ったのであるが、終日、走り続けたような印象であった。

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 この中で特記しておきたいのは、河合曾良の墓。河合曾良といえば、芭蕉の門人十哲の一人とされ、「おくの細道」の旅に同行した弟子である。この旅の途中で病を得て、芭蕉と別れる。その時に作ったとされる俳句が、「行き行きて たふれ伏すとも 萩の原」というもの。そこで少し遊び心で詠んだのが、「壱岐行きて 倒れ伏すなり 河合曾良」という川柳。河合曾良が壱岐を訪れたのは、幕府の巡見使の随員としてであったという。この遠い島で、曾良は、一体何を思いながらあの世に旅立っていったのであろうか…。

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