8月7日(日) 南洲の 思想と生き様 なかりせば 近代日本は 群島国家?
人間論ゼミの日。今回取り上げたテーマは、「西郷隆盛の人望力は、何から生まれたか」というものであった。
西郷隆盛は、皆さんもご存知の通り、薩摩の維新の志士。下級武士の家に生まれたが、藩主・島津斉彬の引き立てによって、薩摩の若手武士たちの中心的存在になる。しかし、斉彬の後に藩主となった島津久光に疎まれて、島流しにされたこともあった。が、その間も読書を怠らず、また人間を練り高めることに努めたことにより、とてつもなく大きな包容力を持つ人物となり、明治維新期の激動の時代の中に、その時代を動かすこととなった。
今回の勉強会で取り上げたのは、渡邉五郎三郎著『南洲翁遺訓の人間学』という本であった。著者は、『南洲翁遺訓』という西郷の言行録が、戊辰戦争の時に敵として戦った荘内藩の人たちによって作られたいきさつを紹介し、西郷は、敵となった人々までも包容し、敬服させる人徳を持った人であった、と紹介している。
日本が、西洋列強が虎視眈々と日本の情勢を見ていたあの明治維新期に、西郷隆盛のような大人物を指導者として持つことができたのは、何よりの幸運であったと思う。もしもあの時代に西郷隆盛がいなかったならば、日本は、列強によってバラバラにされて、群島国家のような姿になり果てていたかもしれない。改めて、西郷隆盛の存在の大きさを感じた今回のゼミであった。
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