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8月31日(水) 東北に 巨大台風 上陸せし日 東京都庁も 吹き荒れる風

 巨大台風10号が、岩手県に上陸。岩手県内に記録的な大雨を降らせた。その大雨によって、各地の河川が氾濫し、甚大な被害が発生した。特に被害が著しかったのが、岩手県岩泉町。この日の時間雨量は、観測史上最高となる70.5mmに達し、その影響で河川の水位が急速に上昇。さらに、流木などが川をせき止めた結果、川の水が一気にグループホームに押し寄せ、多くの死亡者を出したということである。
 この岩泉町というのは、私がかつて地方研修で滞在していた田野畑村の隣の町で、今町長を務めている伊達さんは、その当時からの知り合いである。今回の台風被害の対応で大変だと思うが、町の復興に向けて、さらなるご活躍を期待したいと思う。

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 この日、東京都庁でも、強い風が吹き荒れた。小池百合子台風である。かねてからの懸案であった「築地魚市場」の豊洲への移転問題に対して、その移転日時を先延ばしすると発表した。そしてそれには三つの理由があると説明。第一は、移転地の土壌の安全性、第二は、総事業費増大の理由の不明朗さ、第三は、情報の閉鎖性であった。
 小池知事には、都民や国民の関心が最大の武器である。それがなければ、巨大な東京都庁の中で、孤立してしまい、政治的な力を振るうことはできまい。だから、マスコミが取り上げるような話題を次々と提供する必要がある。そのやり方がどこまで通用するのか、興味深い点である。

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8月30日(火) アップルの 税優遇は 違法だと 追徴課税を EUが指示!

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 欧州連合(EU)の欧州委員会が、アイルランド政府に対して、アップル社に対するこれまでの税優遇が違法だとして、追徴課税を指示した。その報道によれば、アップル社が、2003年から2014年までの間にアイルランドから受けていた税優遇措置が、企業の公正な競争を妨げる「国家補助」にあたるものであったとして、約1.5兆円にも及ぶ優遇税と利息を追徴課税するように指示したというのである。これは、EUが追徴課税を命じた金額として、過去最大である。EUで競争政策を担当する委員は、「EU加盟国は特定の企業にだけ税優遇を与えることはできない」と指摘した。
 この問題の背景には、多国籍企業の租税回避問題がある。今回問題となったアイルランドは、そのタックスヘイブンの一つとされ、法人税率が12.5%と、他の国に比べてかなり低いのに加え、アップル社は、子会社を経由した取引や優遇策を使うことによって税負担をさらに軽減しており、実質的な税率が、2014年には、0.005%まで下がっていたという。確かにこれでは、公平な競争条件とは言えないだろう。
 しかし、アップル社にしてみれば、これは、アイルランドの法律に則って行った正当な税軽減対策であり、それが後になって不公正なものだと批判されて、追徴課税すると言われたのでは、かなわないという気持ちがあるに違いない。アップル社のトレードマークのかじった跡のあるリンゴを見つめて、「食べてしまったものを今更吐き出せと言われても…」とぼやく姿を頭に思い浮かべた次第。

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8月29日(月) 主婦控除 103万の その壁が あったが良い人 無きが良い人…

 自民党の宮沢洋一・税制調査会長が、来年度税制改正において、「配偶者控除」の見直しに取り組む方針を示した。
 この「配偶者控除」の制度は、専業主婦がいる世帯の所得税の負担を軽くするためのものであり、妻の1年間の給与収入が103万円以下であれば、原則として、その夫の所得から、38万円を控除することができるというもの。この制度が問題なのは、ただ単に、妻の年収が103万円を超えるとこの控除額が減額されるというだけではなく、企業が、この金額を基準として家族手当の支給の可否を決定(約7割)したり、または、130万円以上の年収になれば、健康保険や年金の保険料を納めなくてはならなくなるということもあって、パートで働いている主婦が、年末近くなると、この金額を超えないように労働時間を調整することが、パートを数多く雇用する企業において、年末繁忙期に労働力の調達が困難になるという事情がある。
 そこで、かねてから、この「103万円の壁」の撤廃が、経済界から強く要望されてきたのであった。

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 今日本では、少子高齢化に伴って、労働力人口減少の問題が大きな課題となってきている。そこで、女性労働力の活用が最大の課題とされているのである。今回の「配偶者控除」制度の見直しも、その一環と考えるべきであろう。
 ただ、この見直しには、それが減税に結びつくと歓迎する人もいれば、その逆の人もいる。年末に向けて、政権にとって頭の痛い問題の一つになりそうである。

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8月28日(日) ギリシャ人 徳育こそが 教育と イソクラテスと プラトンの弁

 「教育思想研究会」の日。今回取り上げたのは、廣川洋一著『ギリシア人の教育』という本。1990年に岩波書店から発行された新書であった。
 著者は、この本の中で、一般教養とは何かという問題を取り上げ、古代ギリシャの思想家であり教育者でもあった、プラトンとイソクラテスの教育思想を論じていた。

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 著者は、プラトンの本の中から、「無教育」と呼ばれる人とはどのような人かと問題提起して、仕事の才覚では相当の教育を受けている人でも「無教育」と呼ばれるのだと指摘し、「特殊な専門的職業上の才覚から区別された一般教養・教育こそ、人間教育というに相応しい」と結論づけている。そしてそれは、「徳を目指しての教育」であると主張するのである。プラトンは、そのプロセスにおいて、幾何学など、数学の重要性を強調している。
 一方、イソクラテスは、人間に固有の「言論」の能力を磨きあげることが重要とし、弁論・修辞術を重視した。しかしそれは、単に技術としての弁論・修辞術ではなくて、人間の品性を高め徳を涵養することこそを真の目的とすべきだと主張している。
 つまり両者の具体的な教育法は異なるが、ともに「人間としての完成」を目指すという考え方には共通するものがあるということだ。古代ギリシアにおける教育観を学び合って、教養教育について考えた勉強会であった。

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8月27日(土) アフリカに 3兆円を 投資して 人も育てる 1000万人!

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 日本が主導してアフリカ開発を議論する「第6回アフリカ開発会議(TICAD6)」が、ケニアの首都ナイロビで開幕し、その基調講演に立った安倍総理は、今後3年間で官民総額300億ドル規模の投資を行い、あわせて技術者や医療専門家ら約1,000万人の人材育成にも取り組む考えを表明した。
 そのアフリカ支援の基本的な考え方として、安倍総理は、「質の高い、強靭で、安定したアフリカ」を目指す支援を行いたいと述べ、日本が行う支援が、長期的根本的にアフリカを発展させるものであることを強調した。
 この表明は、おそらく中国を強く意識したものであっただろうと想像する。私もかつて、アフリカを視察したことがあったが、どの国に行っても、経済援助を通して、中国の影響力が強まっていることを痛感した。しかしその援助は、国の指導層の歓心を得ようとするものが多く、必ずしも国民に手が届くものではなかった。だから、表面的な華々しさに比べて、実質的意味は弱い援助と言わざるをえなかったのである。それに対して、日本の場合は、貧しい国民の生活を向上させる意味合いの援助であった。理解してくれる人には、十分にそれが理解されていたと私は思う。
 現代の国際社会においては、国と国との間での経済格差は放置していい課題ではない。後進国を発展させるのは、先進国の義務と言ってもよいのではあるまいか。日本政府の取り組みが、実質的にその問題解決に結びつくことを期待したいものである。

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8月26日(金) ふる里の 誇り発見 新居浜展 大鉱脈の その露頭かも…

 新居浜市の別子銅山記念図書館多目的ホールを会場に、「ふる里新居浜の誇り発見物語」展が開催されていると聞き、訪れた。これには「ふりかえれば見えてくる~明日につなぐ ふる里の心」というサブテーマが添えられていた。この企画展は、一回限りのものではなくて、これまで息長く継続されてきたものである。いろいろな視点からこの新居浜の魅力を探り、研究し、それを取りまとめたものを市民に発表し続けてきた。そんな活動を継続し続けてきた方々に、心から敬意を表したいと思う。

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 会場に到着すると、この企画の責任者である、西原洋昴・新居浜まちおこし委員会委員長(元・新居浜市教育長)や曽根輝夫さん、岡田茂さんなどがおられ、会場の展示をご案内くださった。今回は特に、村上水軍の発祥地・新居大島に関する展示に力を入れておられた。パネル展示が中心であったが、これだけの展示をしようとすれば、その準備に相当の時間とエネルギーが必要であったはずである。地道な活動であり、派手さは全くないが、全体に、真摯にふる里に向き合おうとする誠実さを感じた。その気概がとても嬉しかった。
 地域の人々の心というのは、鉱脈のようなものだと私は思う。そのほとんどが目には見えない形で大地に埋もれている。それが目に見える形で外に現れたものが、露頭である。その露頭を発見し、その奥に潜んでいる大きな鉱脈に思いを巡らせる…そんな心の目を持てる人こそが、ふる里を心から愛することのできる人なのではないかと思う。

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8月25日(木) 大地震 一つの街が 壊滅す 何に怒るか イタリア・ナマズ

 最近、日本のみならず、世界中で地震が多くなっているなと感じていたところ、今度は、イタリア中部でマグニチュード6.2の大地震が発生した。24日午前3時30分(現地時間)に地震発生とのことであるから、就寝中だった人も多かったはずで、倒壊した建物の下敷きになるなどして、かなりの多くの死傷者が生まれている模様。
 震源地近くのアマトリーチェの町での被害が特に大きくて、同市の市長は、「街の4分の3はもうここにない」と語っていた。テレビ映像を見ても、まるで爆撃にでもあったかのように、古い時代の街並みがほとんど失われてしまっていた。ここは、観光地としても有名な街だそうで、その観光客の安否も心配されている。

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 地震といえば、日本では昔から、地中でナマズが暴れて地震を引き起こすと言われてきた。イタリアのナマズは何に怒って、暴れたのだろうか。その最大の怒りは、イタリアの「南北問題」にある気がしてならない。
 この「南北問題」というのは、ミラノやジェノバ、トリノなどを擁する北部地方が経済的に裕福なのに対して、南部では今もなお一次産業が中心であり、貧しく、南部の失業率は北部の4倍とも言われている。その格差問題が、イタリア国内の大きな対立を生み出しているというのである。
 考えてみると、今回の地震の震源地は、その南と北の接点地域。この両地域のストレスに怒りを覚えたナマズが暴れた地震であったということか。

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8月24日(水) 長旅を 終えて戻った 我が家にて 体重測れば 4キロオーバー!

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 長かった今回の旅も、いよいよ最終日。この日は、土産品などの買い物をしたい人もいるだろうからと、午前中を自由時間とし、興味を持つ人は、加藤清正が築いた韓国最大の倭城「西生浦倭城(せいせいほわじょう)」を訪れることにしていたが、ほとんど全員が、この倭城訪問に参加した。
 この城は、海岸近くの小高い200メートルの山の上に造られていた。文禄の役の和平交渉が行われた場所としても知られている。この日も暑く、汗をかきかき、本丸のあった所まで登った。ここからならば、対馬も見えるかもしれないと思ったが、目の前の山が屏風のようになっていて、見ることは叶わなかった。
 以上で、今回の旅の訪問予定はすべて終了。釜山に戻って昼食を摂った後、船便の人は釜山港から、航空便の人は金海国際空港から、それぞれ帰国した。
 今回の旅では、全国各地から約40名の方々が参加したが、特に大きな事故もなく、病気になる人もおらず、無事に旅を終えることができた。ご参加いただいた皆様のご協力に深く感謝したい。今回の旅の訪問地は46か所に及び、博物館だけでも12か所訪ねた。内容的にも、ずいぶん濃密な旅であったと思う。
 それにしても、帰国後に体重計に乗ってぞっとした。出発前と比べて4kgも体重が増えていたからである。それだけ美味しい料理を食べた旅でもあったということだ。
 有意義で楽しい旅行であったと思う。

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8月23日(火) ナザレ園 沙也可の村など 訪問す! 戦の古傷 痛み出すなり

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 大邱では、3つの場所をこの日訪れた。
 最初に訪れたのは、「洛東江戦勝記念館」。朝鮮戦争当初、北朝鮮軍に攻め立てられて、韓国側は釜山周辺の小さなエリアにまで追いやられていた。その状況で、初めて大きな勝利を収めたのが、この洛東江での戦いだったのだそうだ。それを記念して、立派な記念館が造られていた。朝鮮戦争の様子について、学ぶことができた。
 その次に訪れたのが「薬令市韓医薬文化館」。ここでは、「漢方薬」ではなく、「韓方薬」と表記されていた。東洋医学について、見識を広めることができたと思う。
 そしてその後昼食を摂り、向かったのが、「沙也可の村」。文禄の役の時に、日本側に戦の大義がないとして、朝鮮軍に投降。その後、朝鮮側の武将として戦った金忠善という人の子孫が、今もここで生活をしているという場所である。温かくお迎えいただいて、いろいろな展示などを見せていただいた。
 さらに慶州市に移動。ここでまず訪れたのが「ナザレ園」。戦争の後に韓国に残った日本人女性が身を寄せていた場所である。今は、そのほとんどが亡くなってしまい、もう10数名しか残っていないそうだが、その日本人女性とも交流することができて、充実した時間となった。さらに、慶州では、「仏国寺」も観光。
 戦争は、勝っても負けても、その後にいろいろなものを残していく。その古傷を感じて、心が痛んだ一日であった。

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8月22日(月) 礎に 信あればこそ 家は建つ! イ・ナギョン(李洛淵)知事と 今年も懇談!

 今日は、今回の旅でもっとも大切な一日。李洛淵・全羅南道知事との懇談会の日である。その懇談の時刻が、午前11時からであったので、それまでの時間を使って、まず「木浦共生園」を訪れる。昨年も訪れた場所であるが、高知県出身の田内千鶴子さんが3,000人もの孤児を育て、日韓友好のシンボルともなっている場所である。
 それから次には、知事との懇談会が予定されている会場に移動して、韓国におけるチョン・ヤギョン先生の研究と顕彰活動に取り組んでいる団体の幹部皆さんとの意見交換会。韓国側からはチョン・ヤギョン先生、日本側からは山田方谷先生について、相互に紹介し合い、理解を深め合った。

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 その後、李知事との懇談会。今回は、日本側の7名の方々が、事前に全羅南道政府に対する提案や報告を準備していて、それを知事にお話しした。そしてそれらに対して、知事のコメントをいただいた。昨年も同様の懇談会が行われたが、それと比べて、ずいぶん和やかであった。相互の信頼関係が深まってきているということであろう。何ごとであれ、共同作業を行うには、その礎が重要である。それは信であると思う。幾度かの交流を通して、その信頼感が大きく育まれてきていることを知って、とても嬉しく思った。
 この日は、その後、南原に移動。ここも秀吉軍との激しい戦いがあった場所で、その城跡や「万人義塚」と命名された墓を訪れて、当時の戦いを偲んだ。
 この日の夜は、大邱で宿泊。

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8月21日(日) 韓国じゃ チョン・ヤギョン(丁若鏞)への 再評価! 知恵あるリーダー 待望されしか…

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 さらに旅は続く。今日は、全羅南道の観光。まず、光陽市にある「粧刀博物館」。両班などが持っていた飾り刀を今も作り続けている人間国宝と認定された人の作品を展示している場所であった。そして続いて、「順天ドラマ撮影場」。現代の韓流ドラマの撮影が、ここで行われているという。
 そしてそこから次に訪れたのが、仏教詩人として広く知られている坂村真民先生が、昭和9年、25歳で、朝鮮で最初に教壇に立った「順天実科女学校」の場所。今はもうその学校はなく、その跡地が小学校になっていた。その敷地内を歩いて回って、何らかの痕跡が残っていないかと調べてみたが、残念ながら、何も見い出すことができなかった。
 そこからさらに西に進み、康津郡(かんじんぐん)へ。ここでは、まず「高麗青磁博物館」を訪れ、さらに、朝鮮王朝時代末期の実学者・チョン・ヤギョンが刑を受けて流されてきたときに生活をしていた場所に造られた「茶山記念館」も訪れた。この「茶山記念館」訪問は、今後予定している山田方谷先生とチョン・ヤギョン先生をめぐって、日韓両国での共同研究を進める上で、大切な訪問であった。聞いてみると、このしばらく、韓国では、チョン・ヤギョン先生のドラマがいろいろと作られ放送されているのだそうだ。知恵あるリーダーが求められているということであろうか。
 さらにそこから次には、王仁博士の生誕地とされる場所に整備されている公園を訪れ、その広い園内を散策。
 そして木浦まで移動し、そこで宿泊。

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8月20日(土) 6つもの 博物館を 巡りたり 展示の背後に 潜む日の本

 昨夕は、午後6時過ぎに釜山港に到着。韓国の入国手続きを行った後、ホテルにチェックインし、その後、水産物市場としてよく知られているチャガルチ市場にある料理店で夕食。その後は、国際市場周辺の商店街を散策した。
 そして今日は、午前中が釜山市内観光。そして午後には、西にバスを走らせて、晋州市に至る道中で、いくつかの観光地や博物館に立ち寄る。この日特筆すべき事は、一日に、6か所もの博物館を見学したことであった。

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 まず最初に訪れたのが、「臨時首都記念館」。朝鮮戦争時に、臨時に大統領官邸となった建物である。李承晩・韓国大統領に関する展示と同時に、朝鮮戦争のころの釜山の街の様子などが紹介されていた。次には、「釜山近代歴史館」。旧・東洋拓殖釜山支店の建物が使われていた。ここには、日本統治時代の展示などが行われていた。さらに訪れたのが、「釜山博物館」。釜山の歴史が紹介されていた。日本統治時代に関しては、今、展示場を改装中であり、見学することが叶わなかった。そして、「朝鮮通信使歴史館」も訪れた。昔、朝鮮通信使が船出した場所に造られた歴史館である。朝鮮通信使のあらましを理解することができた。
 ここで昼食を摂り、向かったのが、「国立金海博物館」と「首露王陵」。日本との深い関係があったとされる伽耶国のことを思った。更に、晋州に移動し、かつて秀吉軍との戦いが行われた「晋州城」とその展示が行われている「国立晋州博物館」を訪れて、文禄・慶長の役に思いを巡らせた。

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8月19日(金) 争いも 葛藤もあり 国境 この地の知恵は 底知れぬなり

 昨日の夕刻、壱岐から対馬に船で移動。対馬では、ホテルにチェックイン後すぐに夕食懇談会を行ったが、その場所には、財部・前対馬市長と比田勝・現市長がお越し下さり、楽しい交流を行うことができた。
 そして今日は一日、対馬の観光を行って、夕刻には釜山に移動する日程。この日も、朝早くから対馬島内をチャーターした観光バスで駆け巡った。列挙すると次の通りである。
 小茂田浜古戦場(文永の役で蒙古軍が上陸した浜辺)、椎根の石屋根集落、金石城跡(対馬を統治した宗家の城跡)、万松院(宗家の菩提寺)、浅茅湾遊覧(金田城、海上自衛隊対馬防衛隊本部なども、船上から見学)、烏帽子岳展望所。実はこの後、晴れていれば釜山の街が見えるという韓国展望所も訪れる予定であったが、そこに立ち寄ると、船の時間が間に合わないということとなり、ここは省略。この日も、一日バスで駆け巡った印象であった。

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 午後4時に、比田勝港を出発。釜山港に向かう。人生で初めて、船で国境を越えるという経験をした。釜山港まではわずか1時間10分。古代以来、対馬が大陸との接点として、国境の役割を果たしてきたことがよく理解できた。
 船中で、壱岐と対馬で聞いた様々な話を思い起こす。国境というのは、国益、または国のメンツが激しくぶつかり合う場所である。そんな中で生きてきたこれら国境の島。底知れぬ知恵が潜んだ場所だと改めて感じたのであった。

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8月18日(木) 壱岐行きて 倒れ伏すなり 河合曾良 辺境の地で 何思うらん?

 終日、壱岐島内を観光し、夕刻6時過ぎの船で対馬に移動する日程。一日中壱岐島内を駆け巡った。訪問地を列挙すると次のようになる。
 春一番の塔(「春一番」という言葉の発祥地は壱岐)、勝本城跡(豊臣秀吉の朝鮮出兵時に築城)、河合曾良の墓、へそ石と国分寺跡(古代壱岐の中心地)、鬼の窟古墳(朝鮮土器が多数出土)、文永の役・新城古戦場(元寇の役の激戦地)、一支(いき)国博物館(古代の壱岐を紹介する博物館)、原の辻遺跡(魏志倭人伝中の一支国王都)、松永安左エ門記念館(電力の鬼と呼ばれた松永の生家)、左京鼻(美しい岬)、猿岩(猿の横向き姿に見える岩)、黒崎砲台跡(対馬海峡防衛のために作られた巨大砲台)。
 観光バスをチャーターしてこれらの場所を巡ったのであるが、終日、走り続けたような印象であった。

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 この中で特記しておきたいのは、河合曾良の墓。河合曾良といえば、芭蕉の門人十哲の一人とされ、「おくの細道」の旅に同行した弟子である。この旅の途中で病を得て、芭蕉と別れる。その時に作ったとされる俳句が、「行き行きて たふれ伏すとも 萩の原」というもの。そこで少し遊び心で詠んだのが、「壱岐行きて 倒れ伏すなり 河合曾良」という川柳。河合曾良が壱岐を訪れたのは、幕府の巡見使の随員としてであったという。この遠い島で、曾良は、一体何を思いながらあの世に旅立っていったのであろうか…。

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8月17日(水) 日韓の 歴史を学ぶ 長旅の その一歩目は 壱岐の講演

 今日、韓国の旅へ出発。今回の旅は、全日程が、7泊8日と長旅である。それは、古代から現代に至るまでの日本と韓半島との関係について幅広く学んでみたいと、欲張ったからである。そしてそのためには、中継点として重きをなした壱岐と対馬も訪れる必要があると考え、オプショナルツアーの発想で、興味のある人だけに参加していただこうと、2泊3日の日程を組み入れたのだが、意に反して、旅行参加者のほとんどの方々がここから参加されることになった。そして約30名が参加する大旅行団となってしまった。
 この日は、ツアーの出発点となる博多港まで移動し、そして船で壱岐に渡るという日程であった。全国各地からの参加者の都合を考えて、博多港集合が午後4時。壱岐への到着は夕刻6時過ぎ。壱岐では、ここで市会議員をしている音嶋さんと、旅仲間の一人である壱岐出身の豊永さんが港で出迎えてくれ、それから宿泊するホテルへ。

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 そこで準備されていたのが、「来島記念講演会」なるもの。せっかく島に来るのならば、島の人たちに話をしてくれと頼まれて、引き受けたもの。私たちも含めて、60名余りの会合であった。島の人々の意識の問題を取り上げ、その上で、その意識の壁をうち破って、新しい地域づくりを進めていくことの大切さを参加者に語りかけた。
 その後、その参加者も含めての夕食交流会。第1日目から、有意義な時間を過ごすことができたと思う。

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8月16日(火) 核のなき 世界目指すも アメリカの 傘が無くては 国も守れず

 オバマ・米大統領が打ち出す意向を示している「核兵器の先制不使用」方針に対して、アメリカの同盟国の反対が明らかになったと報じられている。そして日本も、その反対方針を示したということである。
 日本といえば、先日もオバマ大統領が広島を訪問したように、核兵器廃絶に向けての旗振り役を自認している国である。それにもかかわらず、オバマ大統領の「核兵器なき世界」実現の動きにブレーキをかけざるを得ないというところに、現実政治の難しさがあると言えるだろう。

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 その背景には、言うまでもなく、一つには、核兵器の研究開発に驀進する北朝鮮の存在がある。北朝鮮は明らかに、核兵器の脅威を国際社会に向けての威嚇手段として使おうとしている。その最大のターゲットはもちろん韓国であるが、日本やアメリカも例外とは言えない。ここでアメリカの核の傘が畳まれてしまっては、この脅威に対抗することができなくなるという見方が出ても不思議ではない。さらに、中国の異常なまでの海洋進出の動きもあれば、ロシアによる北方領土支配強化の動きもある。日本にとってみれば、核兵器廃絶を主張しながらも、今すぐにアメリカの核の傘を失うことには、大きな危惧があるということであろう。
 大雨が降りしきる中、核の傘をなくしてしまいたいと思いつつも、「アメリカの核の傘」から出るに出られない日本の姿、これが国際政治の現実であるということだ。

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8月15日(月) 戦争の 傷あと今も 疼く中 今年も行う 定期検診

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 8月15日といえば、「終戦記念日」。今年も、日本武道館で「全国戦没者追悼式」が開かれ、少し前に生前退位の思いを国民に向かって語り掛けられた天皇陛下も列席された。全国各地で、同様の追悼式が開催されたようである。
テレビを見ていると、このしばらく、戦争に関する特集番組が、数多く放送されていた。戦争の中を生きた人たちの苦悩や、戦後70年余りを経て初めて明らかになった真実などが報じられていた。
 それらを見ながら、あらためて戦争の悲惨さに心が傷んだ。今もなお、多くの人たちが、その戦争の中で負った傷の疼きに苦しんでいるようである、それは日本国内だけではなく、世界各国にその傷あとが残っている。戦争というものは、やむにやまれず行われるものであるのかもしれないが、それでもやはりやるべきものではない、と思いを新たにする日でもある。
 言うならば、この「終戦記念日」というのは、戦争による傷あとの具合を調べる定期検診なのかもしれない。そしてそれと同時に、いささかの癒しを行い、この疼きを軽減させる営みだともいえるのではあるまいか。
 しかし、過去の傷が少しずつ癒されたとしても、また新たな傷が生み出されているというのが、残念ながら現実である。世界中の戦争を、これからいかになくしていくことができるのか、そんな予防医学的な取り組みにも思いを巡らせる日なのかもしれない。

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8月14日(日) 辛抱(S)も もう(M)ここまでと あ(A)きらめて パッと(P)決断? 年末解散

 今日、マスコミを最も賑わせていたのが、「SMAP解散」の報道であった。これまで人気アイドルグループとして活躍してきた5人組、「SMAP」が、今年の年末で解散すると発表したというのである。
 この解散問題は、これまでも幾度もその噂が報じられてきたものであった。特に、今年初めには、もう解散は避けられないとまで報じられていた。その後なんとか元の鞘に収まったかと感じていたのたが、もうこれ以上は辛抱できず、グループとしての活動継続は無理だということのようである。スターという存在に徹しきって、あまり私情をまじえずに活動に取り組んできていたグループと思っていたのであるが、やはり人間同士。実際には様々な好悪の感情が渦巻いていたということであろう。それにしても、この報道を見ていると、「たかがSMAPされどSMAP」という印象である。人気というものは、本当に恐ろしいものだと思う。

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 私はこの報道に接しながら、花火を連想していた。大空一面を埋め尽くす花火は、その一瞬の輝きとともに消えていく。そしてその輝きゆえに、その後の闇の深さを痛感させられる。SMAPというアイドルグループも、5つの花火で、日本のみならず世界の大空を光り輝かせたのであったが、それももう少しで消えてしまう。おそらくはまた次の別の花火が打ち上げられるのではあろうが、なんともはかないものだと思う。

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8月13日(土) 兄が逝き 身内が寄りて 新盆す いたはずの人の いない淋しさ

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 兄の新盆。新盆というのは、四十九日(忌明け)法要が終わった後に迎える最初のお盆である。兄が逝去したのは、5月22日のことだったから、もうすでにこの法要を終えている。だからこの盆が、最初の盆ということになる。この新盆の場には、故人の霊が帰ってくるといわれ、親戚や知人が集まって、その霊を迎えるのである。
 今回の兄の新盆は、葬儀が近かったことから、あまり広く声をかけず、ごく身近な人たちだけが集まってのささやかなものであった。兄の子供たちや孫、そして一部の親戚だけが集まって執り行った。その顔ぶれを見ていると、このような法事をやるといつも当家の中心としていたはずの兄がいない。それは当然のことだと思いつつも、心淋しさを禁じ得ないことであった。
 兄が亡くなってまだ3か月にもならない。しかし、小野家の風景は、この間にすっかり変わってしまった。人が死ぬということは、こういうことだと頭の中ではわかっているはずなのだが、現実を目の前にすると、やはり違和感がある。
 そんなことを言っている自分だって、もう60歳を過ぎているわけだから、いつその日を迎えることになるかわからない。これから先は、自分がこの世から消えていく日のことも頭の片隅に置きながら、人生を生きていかねばならないのだなと、兄の遺影を前にしながらしみじみと思い考えたのであった。

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8月12日(金) 御巣鷹に 日航ジャンボが 墜ちてより 31年… 我が半生だ

 今日は、群馬県の御巣鷹の峰に、日航ジャンボ機が墜落してちょうど31年になる日である。朝からテレビを観ていると、慰霊登山のために、山を登っていく人たちの姿が画面に映し出されていた。
 この事故が起きたのは、私が30歳の時。愛媛県議会議員に当選して2年余り後のことである。この日の夜、テレビを観ていると、最初は、確かニュース速報の字幕で500人余りが乗ったジャンボ機が行方不明になっていると報じられ、それから時が経つにつれてだんだんとその報道のトーンが厳しいものになっていった印象が残っている。結局、520名が死亡し、4名だけが生還したが、単独の航空機事故としての死者数は、今でも世界で最多ではないかと思う。尚、この事故を引き起こした原因は、機体がしりもち事故を起こした時の修理が不適切なものであったということのようだ。当時、とても大きな衝撃を受けた事故であった。

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 加えて、今日テレビの報道を観ながら気付いたことは、自分の人生にとってみれば、これまでの61年の人生の中で、そのちょうど中間点に位置している事故であったということである。言うならば、この事故の前と後で、人生前期と人生後期を分けて考えると、それぞれがどんな人生だったのだろうか、そんなことも考えてみた。
 身近な人を亡くした遺族にとっても、おそらくそんな感覚で、自分の人生を振り返っていることだろうと思う。

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8月11日(木) 山彦が 海彦と共に この日本 守り支えて 弥栄の国

 「山の日」。今日は国民の祝日である。
 祝日法によれば、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」趣旨の祝日であるとされているが、この8月11日が祝日となった理由は、特に何かがあるわけではないらしい。強いて言えば、お盆休みと連続させて長期休暇になるようにと配慮された日程だということのようである。
 実は、当初の祝日は、8月12日であったらしい。しかし、この日はJAL123便が御巣鷹の峰で墜落した日。そんな日を祝日にすることには違和感があるとの反対があって、それならば8月11日にしようと決められたのだそうである。
 また、最初に、「山の日」を祝日として制定しようという動きが起こった理由も、なんだこんなものなのかというものである。つまり、先に「海の日」が制定されたのであるが、日本の場合、その国土の特徴は、海に囲まれているということと同時に、山が多いというもの。ならば、「山の日」もなければおかしいとなったのだそうだ。

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 そういえば、日本神話の中には、「海彦・山彦の物語」がある。この二人は、ニニギとコノハナサクヤの間に生まれた兄弟であるが、仲が悪くて、厳しく対立するのである。なくした釣り針を巡る話がよく知られている。結局は、弟である山彦の方が、兄である海彦を降伏させ、兄が弟の守り人になるという話である。山の民が海の民を屈服させて従えたという話が、この神話の背景にあるのであろうか…。

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8月10日(水) 中国は 法治じゃなくて 人治主義? 二階動きて 風向き変わる?

 程永華・駐日中国大使が、二階俊博・自民党幹事長を訪問、会談を行った。その中で、二階幹事長は、尖閣諸島周辺で中国の公船が領海に侵入していることへの懸念を伝えた。それに対して、程・大使は、「真摯に対応する」と応じ、今後両国が円満な話し合いに向け努力することで一致したという。
 テレビでは、会談後の程・大使のコメントも報じていたが、これまでの岸田外務大臣や外務次官などと会談した後のコメントとは打って変わって、穏やかな口調であった。

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 その様子に、私は、やはり中国という国は、「法治」ではなくて、「人治」の国柄なのだなと感じた。二階幹事長は、これまでも、日中関係の改善に力を尽くしてきた政治家である。日中関係が難しくなっている状況の中で中国を訪れて、その改善のきっかけを作ろうと努力してきたこともある。中国としては、そんな取り組みを高く評価し、これからの日中関係のキーマンと位置づけているのであろう。だから、そんな二階幹事長が、「あまり乱暴なことをしてもらっては困る」と語った言葉に対して、「よく話し合ってみます」と応じ、メンツを潰さないように配慮したのである。
 おそらく中国は、アメリカの強硬姿勢や自国の経済悪化を考慮しながら、日本との関係改善を模索しているのであろう。二階幹事長を窓口にして、その対応を考えていこうとし始めているのだと思う。

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8月9日(火) 団体の 男子体操 金メダル 大悟の風貌 内村航平

 リオオリンピックで、日本の男子体操チームが、団体競技の金メダルを獲得。これは、アテネで2004年に獲得して以来、12年ぶりの快挙ということである。
 日本の体操といえば、1964年の東京オリンピック時の印象が強く記憶にある。この時は、男子が金メダルを取ったのみならず、女子団体も銅メダルであった。また個人総合では、遠藤幸雄選手が金メダル。そして個別競技でも、数多くのメダルを獲得した。今も、よく「体操王国日本」という表現が行われるが、この辺りに起源があるのであろう。
 今回のリオオリンピックでの男子体操チームを率いてきたのは、内村航平選手である。自らはこれまでも個人総合では金メダルを獲得しながら、団体での金メダルを取れないことを残念がっていて、今回のオリンピックでは、この団体の金メダルが目標だと公言していた。そして、自らは6種目すべてに出場した。それだけに、団体優勝が決定したときには、「仲間と取る金メダルというのは、うれしいを超えちゃってますね」とその喜びを隠さなかった。

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 そのインタビューの様子を見ながら、私が関心を持ったのは、彼の風貌であった。数多くの勝負の中で培われたものであろうが、何事にも動じない落ち着きがあった。自分への執着心をすっかり離れて、悟りの境地を得たような表情であった。このリーダーでこそ、一体感のあるチームを作り上げることができたのだなと感じ入ったのであった。

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8月8日(月) 「象徴」の 重責担い 歩んで来られ その結論が 生前退位?

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 この日、天皇陛下が、テレビを通じて、ビデオメッセージでお気持ちを表明された。約10分間にわたって、物静かな表情で、あらかじめ準備していた文章を読み上げられた。
 このビデオメッセージの中で、天皇陛下は、自らの歩みを振り返られるとともに、この先の「象徴」としての望ましい在り方について、自分の思いを語られた。具体的には、自らの病気のことや、高齢に伴う体力の低下などを意識される中で、「従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私の道を歩む皇族にとり良いことであるか」と問題提起をされ、もうこれまでのように、「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが難しくなるのではないか」と国民に向かって、懸念を語り掛けられたのである。
 この日は一日、この話題が、報道の中心であった。そして、普段はそれほど強く意識していない天皇陛下の存在について、改めて深く考えさせられた。そして、世界中が大きく混乱に向かう中で、日本が比較的落ち着いた社会を維持できているのは、やはり、天皇陛下が象徴として揺らぐことなく存在しておられるおかげであることを強く感じた。
 今回のメッセージは、その象徴の重要性を強く認識される中で、陛下の危機意識を背景になされたものだろう。それだけに、虚心坦懐、その意の存するところを受け止めて、対処していかねばならない問題だと考えたのであった。

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8月7日(日) 南洲の 思想と生き様 なかりせば 近代日本は 群島国家?

 人間論ゼミの日。今回取り上げたテーマは、「西郷隆盛の人望力は、何から生まれたか」というものであった。
 西郷隆盛は、皆さんもご存知の通り、薩摩の維新の志士。下級武士の家に生まれたが、藩主・島津斉彬の引き立てによって、薩摩の若手武士たちの中心的存在になる。しかし、斉彬の後に藩主となった島津久光に疎まれて、島流しにされたこともあった。が、その間も読書を怠らず、また人間を練り高めることに努めたことにより、とてつもなく大きな包容力を持つ人物となり、明治維新期の激動の時代の中に、その時代を動かすこととなった。

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 今回の勉強会で取り上げたのは、渡邉五郎三郎著『南洲翁遺訓の人間学』という本であった。著者は、『南洲翁遺訓』という西郷の言行録が、戊辰戦争の時に敵として戦った荘内藩の人たちによって作られたいきさつを紹介し、西郷は、敵となった人々までも包容し、敬服させる人徳を持った人であった、と紹介している。
 日本が、西洋列強が虎視眈々と日本の情勢を見ていたあの明治維新期に、西郷隆盛のような大人物を指導者として持つことができたのは、何よりの幸運であったと思う。もしもあの時代に西郷隆盛がいなかったならば、日本は、列強によってバラバラにされて、群島国家のような姿になり果てていたかもしれない。改めて、西郷隆盛の存在の大きさを感じた今回のゼミであった。

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8月6日(土) 広島で 原爆投下 その時刻 リオの五輪じゃ 開会式が…

 8月6日と聞けば、すぐに頭に浮かんでくるのは、広島に原子爆弾が投下された日。数多くの民間人が、その熱線と爆風によって即死し、その段階で生き残った人たちも、放射線障害の影響で、その後次々と亡くなっていった。原爆死没者名簿に掲載されている人数は、平成27年の段階で29万7,684名になるのだそうだ。戦争中のこととは言え、たった一発の爆弾でこれほどの人たちを殺戮し、さらに数多くの人たちに後遺障害を残した原子爆弾の非人道性については、これからも広く世界に訴え続けねばならないだろう。

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 時ちょうどこの日は、リオデジャネイロオリンピックの開会日でもあった。この原爆が投下された時刻は、開会セレモニーとしてのショーの最中であり、そこに日本をイメージさせるダンサーたちを登場させて、オリンピックが平和の祭典であることを連想させる演出も行われたということである。この開会式の日程設定は、意図的にこの日を選んだのかどうかはよく知らないが、絶妙のタイミングで全世界に向けてのアピールがなされたに違いない。
 広島から見れば、地球のちょうど裏側で、平和記念式典と同時刻に、平和のシンボルとされる世界的なイベントの開会式が開催されていたということになる。それが、とても興味深いことに思え、今日のイラ短を描いたのであった。
 もっとも、多くの人たちの関心は、原爆の式典ではなく、オリンピック開会式に向けられていたと思うが…。

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8月5日(金) 日本では 社会保障の 給付費が 112兆! 天井見えず

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 国立社会保障・人口問題研究所は、2014年度の社会保障給付費が、112兆1,020億円だったと発表。その内訳は、医療が36.3兆円で前年度比2.0%増、年金が54.3兆円で0.5%減、そして介護などの福祉その他が21.4兆円で4.6%増であった。年金が減少したのは、過去のもらいすぎ分の調整を行い、支給額を引き下げた影響である。だから基本的にはこの一回限りの減少とみてよいだろう。
 問題は、高齢者が年々増加してくるのに伴って、この社会保障給付費も、毎年過去最高を更新し続けていることである。ちなみに、1980年には、この社会保障給付費は25兆円に過ぎなかった。つまり、この35年間に4.5倍にも増加しているということである。そして、これから先を展望しても、よほど大胆な歳出削減策を打ち出さない限り、高齢者数は増え続けていくわけであるから、減少に転ずるということは考えにくい。この給付費の増加が、日本財政の累積赤字増大の最大の理由になっているのである。今やこの社会保障分野の社会支出の総額は116.8兆円に及び、国内総生産に対する比率は、23.87%にも及ぶのだそうだ。
 世界中の国々を見渡して、国内総生産が、日本の社会保障給付費の112兆円を超える国というのは、わずか15か国しかない。この金額がいかに大きなものであるかということが理解できるであろう。今後の日本政治のアキレス腱になる問題だと思う。

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8月4日(木) 東京の 五輪で追加 五競技が 正式決定! もう4年後だね…!

 リオデジャネイロで開催されている国際オリンピック委員会(IOC)総会において、次期東京オリンピックの追加種目として、かねてから話題になってきた新競技5つ、18種目が正式に承認された。これら5競技というのは、野球・ソフトボール、空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンである。新競技採択にあたっては、開催地国民が関心を持っていることや、若い世代の関心をオリンピックに引き込む効果が期待されて選ばれたと聞いている。数多くの競技団体からの要望も寄せられ、その絞り込みは大変だったと思うが、これで決定した以上、これからはその具体的な準備作業に鋭意取り組んでいただきたいものだと思う。

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 それにしても、いよいよリオデジャネイロのオリンピックは、もうすぐ開幕だが、東京オリンピックにしても、まだまだ先の話だと思っているうちに、もう残りが4年間ということになった。多くの国々の数多くの競技団体などを相手にしながら準備が進められるわけであり、担当者にとってみれば、もう今の段階から、厳しい時間との戦いが始まるのだろうと思う。
 オリンピックは、世界中の人々が利害や信条を超えて集う、最大であり最高の舞台である。混迷を極める今の社会を見ていると、極めて大きな意義を持つ大会である。関係者のさらなる奮起を期待したいものだと思う。

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8月3日(水) 安倍総理 “未来チャレンジ 内閣”と 心機一転 決意を語る

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 安倍総理が、内閣改造を断行。皇居での認証式を経て、第三次安倍再改造内閣が発足した。
 安倍総理は、首相官邸で記者会見を開き、新たな内閣の狙いなどについて語った。それによれば、この内閣を「未来チャレンジ内閣」だとして、その最優先課題は経済であり、「デフレからの脱出速度を最大限に引き上げる」と高らかに宣言した。構造改革面では、「働き方改革」を重視して、加藤勝信・一億総活躍大臣を、その担当大臣に任じた。その他、注目されている憲法改正問題についても触れ、「2018年9月までの党総裁任期中に憲法改正を果たしていきたいと考えるのは当然だ」としつつも、「簡単な事でないことは事実だ。一歩一歩進んでいくことが求められている」とも述べた。総理にとっては、やはり憲法改正が、今後の最大のチャレンジということであろうか。
 この夏の参議院議員選挙を経て、改憲発議が現実問題として視野に入ってきた中で、その大目標を目指して、これから安倍内閣は大車輪で動き始めていくこととなるのであろう。そしてそれには、何と言っても国民の理解が得られることが必須条件であり、国政上の他の懸案に関しても、力を尽くして取り組むことになるのであろう。
 「新しい葡萄酒は新しい革袋に入れよ」という言葉がある。新しい政治は、新しい体制で推進しなければならないということだろう。今後の活躍を心から期待したいと思う。

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8月2日(火) 大阪で 栄養教諭と 勉強会 “幸福でこそ 人は育つ”と

 今日は、大阪に出かける。「栄養教諭期成会」という団体が、各都道府県の支部長が集まる勉強会を大阪城横のKKR大阪で開催するので、そこで講演を行ってほしいと依頼してきたので、それを受けて出掛けたのであった。
 この「栄養教諭」というのは、給食を作る学校栄養士が、単に給食の調理をするだけでなく、子供たちの食事に関する指導も教師として行うべきだという考え方の下で、導入されたものである。学校栄養士の組織が何十年間にわたって要望を続け、ようやく実現された制度である。この制度の導入にあたっては、私も現職時代に多少のお手伝いをさせていただいた。それだけに、今年がちょうど丸10年になる節目の年でもあり、現場での声も聴いてみたいと、関心を持って、この勉強会に臨んだのであった。

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 私が掲げた講演テーマは、「幸福なればこそ、人は育つ」というものであった。ただ単に栄養計算を行って栄養バランスの良い食事を提供するというだけではなく、料理というのは美味しくなくてはならないし、また楽しく食べるものでもなくてはならないと思う。そしてそのような食事について教育する人は、やはり人を幸福に導くという思いを持つ人でなくてはならず、それには、人間学を学ぶ必要もあるのだという趣旨でお話をしたのであった。
 懐かしい顔ぶれの人たちに会うこともできて、とても有意義な時間であったと思う。

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8月1日(月) 小池さん 崖から飛び降り 無事着地? そしたら今度は 火あぶりだってね…

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 昨日は、全国的に注目を集めた東京都知事選挙の投・開票日であった。テレビを観ていると、投票箱が閉じられた午後8時から、東京都知事選挙の特番が放送されたが、その冒頭で、すぐに小池百合子氏の当選確実が報じられた。
 今回の選挙では、自民公明などが推薦した元総務大臣の増田寛也氏、民進党を始めとする野党が推薦したジャーナリストの鳥越俊太郎氏、そしてどの政党も推薦をしなかった小池百合子氏が、三つ巴の形で選挙選を戦っていると言われてきたが、投票箱を閉じた瞬間、小池氏の圧勝という形であっけなく幕を下ろした。政党組織を全くアテにしない形で選挙を戦った、初の女性都知事の誕生である。
 今回の選挙を振り返ると、小池氏の選挙戦術が際立っていた。 二度にわたって現職知事が任期途中で辞任する中で、既成政治家と政党に対する不信感が高まっていると見抜いたのであろう、自民党の推薦が得られないことをむしろ逆手にとって、徒手空拳で「崖から飛び降りる覚悟」を語り、既成政治に対する孤高の挑戦者を演じた。そして、投票日直前には、自分自身をジャンヌ・ダルクになぞらえて、「火あぶりの刑」を語った。
 まさに、小池氏にとっては、選挙は、有権者を巻き込んで行われたテレビ・ドラマそのものであった。そして彼女は、そのドラマのストーリー・テラーであり、またヒロインでもあったのだ…。

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