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9月30日(月) イスラエル 今度はレバノン 空爆だって…?! まだ大丈夫と ネタ二アフさん

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 イスラエル軍が、レバノン南部地域への空爆を行い、引き続いて、地上攻撃までも始めたと発表。イスラエル軍は、時とともに戦線を拡大し、今後どのようにこの状況を収拾しようとしているのか。ネタニアフ首相は、自衛権を盾に、自国に攻撃を仕掛ける敵対的な武装勢力に対する攻撃を決してやめない、と力説するが、心配は尽きない。
 今回は、イスラエルの国旗を取り上げてイラ短を描いてみた。イスラエル国旗といえば、ダビデの星である。6方向に広がっていこうとする意匠である。そこで、ネタニアフ首相は語るのだ。ガザ、レバノン、イエメンと戦線を拡大したとしても、イスラエルにはまだまだ3方向の余裕が残されているのだ、と。本当にこんなことを考えているのかどうかは知らないが、国のシンボルとは、解釈次第で、罪作りなものにもなる、という気がしたのであった。

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9月29日(日) 久々の 勉強会では 森先生の 「読書の論」を 語り合ったよ!

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 久々の勉強会。台風の来襲や中国旅行、さらにはその後のコロナ感染…と勉強会の開催が困難となる事情が続き、気がつくと、一か月ぶりの勉強会となった。今回、取り上げたのは、森信三著『人生論としての読書論』。
 森先生といえば、「人生二度なし」という言葉が広く知られている。たった一度きりの人生なのだから、存分に燃焼して生きていかねばならない、と教える言葉である。人生を充実させるために、先人の生き様を知り、また、広い知識が必要であるとするならば、それには読書ほどふさわしいものはなく、本気で読書に取り組まないのは、自分の人生を諦めているのと同様のことである、と私たちに語りかけていた。
 本離れ、活字離れということがよく語られる。改めて読書の重要性を考え合った勉強会であったと思う。

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9月28日(土) ヒズボラの 指導者殺害…?? この頃は 人が死んでも “あぁそうかい”だね…

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 イスラエル軍が、レバノン南部にあるヒズボラの拠点を攻撃し、指導者であるナスララ師を殺害したという。さらに、イエメンの武装組織フーシの軍事関連施設への空爆も行ったという。両グループともに、イランが支援してきた武装組織であり、今後イランからの反撃がどのような形で行われることになるか、注視していかなくてはならないと思う。
 それにしても、この頃は、多くの人が死んだと聞いても、少しも驚かなくなってしまった。ガザではもうすでに4万人以上が死亡したという。ウクライナを攻撃するロシア兵士の死亡者は7万人を超えているともいう。とんでもない数の人たちが戦場で命を落としているのに、私の心は、ただ“あぁそうかい”である。
 これって一体何なのだろう? こんなことに自分の感性が慣れきってもいいのだろうか? サテ?…という気分である。

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9月27日(金) 自民党 総裁選挙は 石破氏勝利! 党内野党で 天守の消火?

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  過去最多の9人が立候補した自民党総裁選挙であったが、今日その投開票が行われ、石破茂氏を第28代総裁に選出。今後、10月1日召集の臨時国会で第102代首相に指名され、その日のうちに新内閣が船出する予定である。
 石破総裁が背負う最初の大きな課題は、間近に行われると考えられている総選挙で勝利することである。このしばらく、自民党の派閥パーティーに端を発する国民からの強い政治不信によって、自民党の本丸が激しく炎上している。まずはその火を消して、天下分け目の大決戦・総選挙に向かっていかなくてはならない。そしてその役割には、党内主流派が揃ってこの問題で苦しむ中で、党内野党であった自分こそが、最もふさわしいとの自負心を胸に抱いているに違いない。そしてあわよくば、ここで、党内基盤も固めたい…との思惑もあるのだろう。

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9月26日(木) 袴田さん 再審無罪! 検察に “もうやめなよ”との 声が広がる

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 元死刑囚の袴田巌さんに対して、再審裁判を行っていた静岡地裁が、この日、無罪判決を言い渡した。そして、検察が提出していた証拠については、「捜査機関による3件の捏造があった」ことを認定した。今後、控訴の可能性は残っているが、検察が控訴しなければ、事件以来、実に58年を経て、無罪がやっと確定することとなる。
 それにしても、ここまでの取り組みの中で感心させられたのが、姉のひで子さんの意志の強さ。半世紀以上にわたり、一心に弟の無罪を主張し、それを実現するために行動し続けてきた人は、なかなかいないだろう。しかも、何があっても決して感情的になるわけでなく、淡々と、時にはユーモアまでも織り込みながら自らの思いを語り、支援者たちに対して協力を仰ぎ続けてきたその人間力に、頭が下がる思いがしたのであった。

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9月25日(水) 競泳の 池江選手が 寛解し 五年の難路も レガシーとなる!

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 競泳の池江璃花子選手が、自らのSNSを更新し、2019年に急性リンパ性白血病に襲われ移植手術を受けた後5年が経ち、「本日完全寛解の日を迎えました」と報告。あの絶望的な状況の中で、業病に負けることなく戦い続け、その病を克服した精神力に、深く敬意を表すると同時に、お祝いを申し上げたいと思う。
 池江選手は、選手人生の中で最も活躍できる年代を、病との闘いに明け暮れたことによって、スポーツ選手としての大きな栄誉や名誉は得られなかったかもしれない。しかし、人生を強く生き抜いた一人の人間として、スポーツ界に大きなレガシーを築き上げたのではないだろうか。
 これからも、競泳選手として活躍を続ける決意のようであるが、同時に、多くの人々に希望や喜びを与える人として、より大きな活躍を願いたいと、心から念ずるものである。

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9月24日(火) 一週間 養生しても 体調戻らず… 医者にかかりて 「コロナ」の診断

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 15日に中国から帰国した直後から高熱に悩まされてきた。加えて、頭痛や倦怠感、味覚異常も現れて、「新型コロナウイルス感染」ではないかとの懸念は持ったが、私の場合、当初39度に近かった熱は、2、3日のうちに37度台に下がり、咳もあまり出なかったので、これならば、養生しているうちに、自然に回復するだろうと、高をくくっていたのであった。
 しかし、一週間余り経っても、倦怠感が抜けない。平熱に戻らない。頭がぼーっとしている。このままではまずいかもしれないと思い、かかりつけの医師に診察してもらったところ、検査を行い、その結果、「コロナ陽性」という診断となったのであった。
 しかし、この病気には、残念なことに治療法はないという。対症療法薬を処方してもらい、もうしばらくの我慢だ、と気力を奮って、帰路についたのであった。

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9月23日(月) 立民の 代表選は 野田氏が当選! ドジョウが出て来て またコンニチワ!!

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 この日行われた立憲民主党臨時党大会で、新代表に野田佳彦・元首相が選出された。新代表は、早晩行われると思われる総選挙に向け、これから新体制を組み上げ、「選挙戦への準備を今日から始めたい」、そして「必ずや政権交代を実現したい」との決意を表明。
 野田議員といえば、連想するイメージは、やはり「ドジョウ」ではなかろうか。前回、総理大臣に就任する前に行われた代表選挙の演説の中で、相田みつをの「ドジョウがさ、金魚の真似することねんだよなあ」という言葉を引用する形で話をしたことが、そのイメージを決定づけることになったようである。
 そのドジョウが、再び「コンニチワ」と政界の檜舞台に登場。「坊ちゃん一緒に遊びましょう」と、自公の過半数割れに向けて、野党各党に連携協力を呼びかけているのであるが、さて、この結果はどうなることか?

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9月22日(日) スリランカ 大統領選 ブランコが 揺り戻されて 今度は左派に…

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 前日、大統領選挙が実施されたスリランカで、この日、同国選挙委員会が、これまで野党であった「スリランカ人民解放戦線(JVP)」党首のアヌラ・クマーラ・ディサーナーヤカ氏が勝利と発表。2022年から大統領を務めてきたウィクラマシンハ氏は、債務不履行状態にあったスリランカで、短期間でマクロ経済を回復させた大きな実績を持つが、付加価値税や所得税を大幅に引き上げたことで市民生活が苦しくなって、景気回復の実感が生まれず、第3位という惨敗を喫したようだ。
 発展途上国の政権というのは、不安定であることが多い。とりわけ強国の狭間にあって、これらの国の影響を受けて揺り動かされやすい環境に置かれている国では、その傾向が強いように思う。スリランカの新政権も、今後困難な道を歩むこととなりそうだ。新大統領のご活躍を願いたい。

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9月21日(土) 能登の地を またもや襲う 災害に 心も折れたと 語る人たち…

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 能登地方で、20日の夜から豪雨が降り続き、河川の氾濫や土砂崩れ、住宅の浸水が各地で確認されているという。テレビ画面を見ていると、今年正月の大地震で被災した集落に、荒れ狂う土石流が襲いかかっていた。復興住宅に移り住み、これから生活の再建に向かって取り組もうと気力を振るっていた人たちにも、遠慮なく泥水が押し寄せていた。道路が再び寸断された場所も多くあった。
 テレビに登場する住民たちは、異口同音に「これから頑張ろうと思っていたのに、もう心も折れてしまった」と語っていた。そうなのだろうと思う。そしてそれは、一人ひとりの住民の問題というだけでなく、能登地域全体の思いでもあろう。能登半島を貫いていた「心柱」は、正月の大地震で大きく揺らぎ、それが今度の豪雨で折れてしまった…私には、そんな気がしてならなかったのである。

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9月20日(金) 翔平が 見事に達成! 「50!50!」 バットを手にした 「千両役者」!?

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 ドジャースの大谷翔平が、かねてから達成が待望されていた「ホームラン50、盗塁50」の前人未到の記録を、この日のマーリンズ戦で達成。大谷は、昨年、腕の手術を行ったことで、今年はピッチャーとしての活動ができなかったが、それを凌駕する成果を、バッターとして出した。心からお慶びを申し上げたい。
 それにしても、今年は、スポーツニュースのトップを大谷が飾ることが多かった印象である。日本の様々なスポーツ競技よりも、大きく取り上げられていた。それは、彼が、見せ場となる舞台で、人々が期待する以上のパフォーマンスを見せてきたからではないだろうか。
 この日にしても、一試合で、ホームランが3、盗塁も3と、ありえない集中力で、一気に目標達成をして、大記録を打ち立てた。
 大谷は、まさに「千両役者」とも呼ぶべき、スーパーヒーローであると思う。

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9月19日(木) 兵庫県 パワハラ知事に 不信任! ハテ…この問題で ここまでやるのか?

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 この日、兵庫県議会が、斎藤元彦・知事に対して、不信任決議案を全会一致で可決。理由は、知事が職員にパワハラを行い、その結果、死者まで出したことに対し、県議会各派が知事の辞職を要求したにもかかわらず、それに応じず、「県政に深刻な停滞と混乱をもたらした政治的責任は免れない」というものであった。パワハラといっても、それは、法律や条例を破るものではなかったであろう。また知事は、百条委員会における聴聞に対しても、逃げずに対応していたので、法的な意味の瑕疵があったわけではないと思う。
 それにもかかわらず、この結果。背景には、もう相互に理解し合うこともできなくなって、強権発動という対応しか残されなかったということか。それにしても、言論で合意点を求めるべき政治家同士の話し合いが、こんな結末に立ち至ったことが残念。

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9月18日(水) ヒズボラが 持つポケベルが 爆発だって…? コスパは確かに 秀逸だろうが…

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 この日、レバノン全土で、民兵組織ヒズボラの戦闘員が手にしていたポケットベルが一斉に爆発し、多くの死傷者が出たと報じられている。何でも、携帯電話では、戦闘員の居場所がイスラエルによって特定されて危険だから、ヒズボラ内部の連絡用に、このポケベルが使われていたのだそうだ。具体的には、ポケットベルに連絡が入って、戦闘員がそれを確かめようと見ると、爆発した、ということで、目や手を負傷する人が多かったという。広く散在する戦闘員を一斉に殺傷するという効果とともに、ヒズボラ内部の情報連絡網を一気に破壊する効果もあったようである。コストパフォーマンス、この上ないやり方だと思う。
 戦争といえば、昔から「兵は詭道なり」である。何をしようが構わない、ということだが、私の胸の中のこのもやもや感は、一体…

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9月17日(火) 熱がある 体が重い …疲れかな? 芭蕉の夢が 身を駆け巡る…??

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 中国帰国前後から、なんとなく体がだるい気がしていたが、今回の旅が、暑い季節の長期間の旅であったので、知らず知らず疲れがたまってしまったのだろうと思っていた。それが、今日は、起き上がるのもつらい。熱があって、倦怠感がひどい。そこで、しばらく体を休めれば、体調が回復してくるだろうと、終日寝転がっていたが、思うように体力が回復してこない。まあそうは言いつつも、このしばらく忙しい日も続いていたし、体が休息を求めているのならば、少しゆっくりとしてもいいか…と布団の上でただ転がり続けていた。
 いろいろな夢を見た。旅の中で体調を崩し、大坂の地で生涯を終えた芭蕉のことも、頭の中に浮かんできた。「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」という、辞世の句とされる俳句も、頭の中を駆け巡った。なかなか容易じゃない、今後の旅の後始末にも思いが巡る…。

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9月16日(月) 「戦国」を 映像化した 「SHOGUN」が 「エミー賞」を 総なめしたって…

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 アメリカテレビ界の優秀作品を選ぶ「エミー賞」の授賞式が、ロサンゼルスで開かれ、真田広之がプロデュースし主演したテレビドラマ「SHOGUN・将軍」が、その作品賞を受賞した。それだけでなく、真田自身が主演男優賞、アンナ・サワイが主演女優賞を受賞したという。日本人俳優が、主要部門で受賞するのは、これまでで初めてだという。
 加えて驚かされるのは、この作品が、18部門の賞を総ナメしたということ。日本を舞台にした戦国時代ドラマで、しかも台詞の大半が日本語で、それに英語字幕が付けられたものだそうだ。そんな作品が、ここまで高い評価を受けたことには、意外な思いさえある。
 まだこの作品を見てはいないので、私自身は、どう評価してよいかは分からないが、可能なことならば、早く鑑賞してみたいものだ、というのが率直な思いである。

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9月15日(日) 旅終えて 帰国した日の 風景は 緑したたり 穏やかだった…

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 南京観光の後、昨日夕刻には上海に移動し、上海浦東空港の近くのホテルで宿泊。
 そしてこの日、朝の飛行機便で、岡山空港に向かって飛び立つ。午前中に岡山空港に到着し、入国手続きの後、岡山駅に移動。そこから、JRで新居浜に戻ってきた。出発からすれば、一週間あまりの旅。結構移動に時間がかかり、さらに安徽省政府が準備した行程に従って旅をしたので、ゆとりがほとんどない、ほぼ目一杯の旅であったような印象である。
 やっと解き放たれた…という解放感が、JR列車に乗って胸の中に生まれてきた。そして窓から外の風景を眺めていると、心和む日本に戻ってきたという思いがわいてきた。
 日本の国は、確かに自然が豊かである。人々の心も、穏やかである。
 私自身は、やっぱり日本人なのだ…そんな感慨を深めた時間であった。

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9月14日(土) 南京は 南の京(みやこ) 中国史上 幾多のドラマが 埋もれる街だ!

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 前日夕刻、南京市に到着し、宿泊。
 この日は朝から、南京市内観光。最初に訪れたのが、「雨花台烈士記念館」。共産党の活動の中で落命した人々の人生や思想を紹介し、顕彰する記念館であった。私たちが何も知らない数多くの烈士たちについて、展示をしていた。それから次に向かったのが、「美齢宮」。南京国民政府を率いた蒋介石とその妻・宋美齢が生活した官邸である。当時の生活ぶりや仕事ぶりが伺える場所であった。その後昼食の後に訪れたのが、「梅園新村記念館」。1946年から47年にかけて、中国共産党と中国国民党の間で和平交渉を行ったという建物が当時のままに残されていた。最後に訪れたのが、「総統府」。中華民国建国時には、孫文がここで仕事をし、さらに南京国民政府時代には、蒋介石が執務した場所である。
 中国の政治史を、こんな場で偲んだ…。

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9月13日(金) 汪一族が 集団移転で 作った村が 今も確かに 息づいていた…

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 さらにこの日は、世界遺産「宏村」を訪れた。ここには、明や清の時代の建物がそのままに残されていて、地域一帯が古き時代の中国にタイムスリップしたかのようなエリアになっている。そもそも村の由来が、ほかの地域で暮らしていた汪一族が、災害を契機に集団移転して作られたものだという。だから、先祖をお祀りする場を大切に守っていたり、一族として子弟教育に取り組む場が整備されていたりしていて、古代中国の村の姿が肌に感じられた。
 この場所は、西暦2000年に世界遺産に登録され、それ以降は、観光地として開発されてきたようである。村の出入り口に近い表通りの家屋などは、観光客相手の土産店や飲食店に改装されていたが、奥まった部分では、住民たちが今も、日常の生活をしているのだそうだ。古いものが今も息づいている…そんな点にも、関心を抱いた。

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9月12日(木) 「黄山」は 仙人の山… 古代人の 不老不死への 祈りを思う

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 引き続いて、この日は、世界遺産「黄山」への登山。中国といえば、山東省の「泰山」をはじめとする「五岳(五大名山)」が知られるが、黄山は、それらに勝る山とも言われ、「天下の名勝、黄山に集まる」とも称えられることがある。神話伝説上の帝王・黄帝が、山中で不老不死の霊薬を飲んで仙人になったという話が、名称の元になったのだと、まことしやかに伝えられている。
 確かに、この山に登ると、仙人が住んでいそうな、いわくありげな岩峰がずっと連なっている。そんな峰が70を超えるのだそうだ。そしてその岩肌に、長い年月を成長してきた松の巨樹が数多く生えていて、全体を豊かな雲海が包み込んでいる。
 おそらくはこの山は、人々の「不老不死への祈り」を古代から宿し続けてきた山なのであろう。そんな祈りに包まれた登山であった。

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9月11日(水) ハリス氏と トランプ氏との 論戦の日に 訪れたのは 戦場(宣城)のまち

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 中国安徽省の旅の中で、今日は、省南部の「宣城市」を訪問した。ここは、古来から最高級の紙として珍重されてきた「宣紙」の産地である。立派な「宣紙博物館」があり、紙を作り上げる工程が、詳細に展示されていた。それによれば、紙の材料には、「青壇」と「砂地で育てられた稲わら」が使われ、108もの作業を経て、製品として出荷されるものになるのだということであった。
 そのほかにも、李白が滞在して数多くの漢詩を作り出したとされる「敬亭山」、さらに、古くから景色の美しい名勝地として知られる「桃花潭」などを訪れた。
 この日はちょうど、アメリカ大統領選挙の討論会が行われた日。ダジャレのようだが、私は、「戦場(宣城)」で、この弁論の戦いを、インターネットラジオのニュースを通して、聴いたのであった。

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9月10日(火) 世界から 人々集める 旅游祭! それはあたかも ブラックホール

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 昨日の夜、安徽省の省都・合肥市のホテルに到着。夕食会を日本からの参加者らとともに行い、そのままそのホテルで宿泊。
 今日の午前中は、同じホテルで開催された「2024・安徽国際文化旅游祭」の開幕式に参加。いろいろな方々が舞台に登壇し、安徽省の魅力をスピーチを通して紹介すると同時に、省内の美しい風景映像が披露されたり、様々な歌手や舞踊団が、舞台上で地域文化を華やかに演じたりしていた。
 それにしても驚いたのが、世界各地の51か国から、500人を超える旅行関係者を集めて、この行事が行われていたこと。一つの省政府の行事として進めようとすれば、そのご苦労は並大抵のものではなかっただろう。世界中の様々なものを飲み込み尽くさんとする「ブラックホール」のごときエネルギーに、中国の地方の力を感じざるを得なかったのである。

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9月9日(月) 5年ぶり 海外の旅は 中国の 安徽省なり 黄山の地なり

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 この日朝、関西国際空港から、中国に向かって飛び立った。実に5年ぶりの海外の旅。
 新型コロナウイルスの感染が懸念される中では、長い間、海外に渡航することが手控えられてきた。それが何年も続くと、もう海外に出かけたいという気持ち自身が胸の中から消えてしまっていた。パスポートも期限切れを迎えて、失効してしまっていた。私にとって、海外に出かけることが、すでに現実感を伴わないものになってしまっていたのであった。
 ともあれ今回は、その長い眠りから、無理やりに目覚めさせられたようなものであった。訪問地は、安徽省。省政府からの招待によるものであった。上海から高速鉄道で、2時間余りの場所である。そしてここには、世界文化・自然遺産の「黄山」がある。
 今回の旅が、良い目覚めとなるのかどうか、ともかく出かけることとした。

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9月8日(日) オリンピックが終わり パラリンピックが閉じて 我が家にも 心静かな 時が戻る…か?

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 今日で「パリ・パラリンピック」が閉会。現地時間午後8時半から、閉会式が行われ、12日間にわたった障害者の祭典に幕が下ろされた。
 不思議なことだが、私の心の中には、安堵感が生まれていた。こう書くと、スポーツ番組が嫌いなのかと誤解されてもいけないが、7月26日のオリンピック開幕以来、この約1か月半の間、テレビをつけると、どのチャンネルでも、オリンピックやパラリンピックに絡むニュースが流されていた。さらに、その間には、夏の高校野球の放送も行われていた。
 これら放送は、アナウンサーや解説者が、視聴者との間に無理やりに共感を生み出そうとしてか、声が大きい。そして畳み掛けるようにメッセージが送られてくる。それに対して、心が落ち着く場を失ったような頼りない印象を受けていたのである。さてこれからは、少しは心静かに過ごせるようになるのだろうか。

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9月7日(土) 立民党 代表選が 告示さる 役者を見れば ほぼ常識人!

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 立憲民主党の代表選挙が、今日告示された。9月23日の投開票に向けて、16日間の選挙戦が始まる。
 その立候補者は4名。概して言えば、こじんまりとまとまったタイプの政治家オンパレードという印象である。今の時代は、マスコミ上で先に予備選挙が行われ、それを無事通過した人だけが立候補できるということなのだろうから、「ほぼ常識人」以外は立候補できないということだろうと思う。それぞれの候補が語る言葉も、おおよそ想像できる。
 今日から「立民党歌舞伎座」の舞台が始まるわけだが、その「まねき看板」を見上げれば、少し退屈。できればその選挙戦の中で、驚きや感動を味わいたいものだと期待しつつも、これは「ないものねだりの願望かもしれない」という、いささか冷めた思いを禁じ得なかったのであった。

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9月6日(金) 皇統の 継承者たる 悠仁様が 成人となり 先に何見る?

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 秋篠宮家の長男、悠仁さまが、今日、満18歳の誕生日を迎えられた。つまり、今日より成人。ちなみに、男性皇族が成年を迎えるのは、実に、秋篠宮さまが成年になられて以来39年ぶりということである。ただ宮廷行事については、ご本人が大学受験を前にした時期だけに、来春以降に行う予定ということである。
 おそらくは、皇統の継承者として、何かと注目を集める身であるだけに、その人生には、大変なことが数多く待ち受けているのだろうと思う。どういう思いを込めて「悠仁」と命名されたかは、寡聞にして知らないが、様々な雑音に対して、悠然と生きていくようにという願いが込められたのではなかったか。象徴というのは、自らが何者も拒めない存在でもある。これから先に、決して悲観ではなく、大いなる希望と楽観を抱きながら、人生を歩んでいただきたいものだと念じてやまない。

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9月5日(木) フランシスコ ローマ教皇 ジャカルタで 発した言葉は 「宗教調和」!

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 ローマ教皇・フランシスコが、教皇として35年ぶりにインドネシアを訪問し、首都ジャカルタにある、東南アジア最大のモスクとされる「イスティクラル・モスク」で、複数の宗教者たちと共同宣言を発表。その中では、「人類のために宗教的調和を促進する必要」を語り、宗教の違いを尊重しつつ、共通の価値観を見出し、その共通性の認識を足場に、新たな調和を生み出していく必要性を訴えかけた。
 インドネシアは、約2億8000万人の人口のうち、87%がイスラム教徒であり、世界最大のイスラム教徒数を擁する国。カトリック教徒は3%にすぎない。そんな国で発したメッセージだけに、傾聴に値するものを含んでいる。
 今、「不寛容」が広がってきている。キリスト教徒とイスラム教徒が相互に許し合う関係が築けるならば、世界の空気も変わってくるだろう。それを期待したいものである。

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9月4日(水) 関空が 開港してはや 30年! 期待を背負った 「而立」の時だ!

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 関西国際空港が、今日で開港の日から30年を迎えた。開港直後は、国際的な経済バブルの崩壊を受けて、航空需要の低迷に苦しんだというが、その後、格安航空の積極誘致を行い、今や関西の表玄関に育った。年間1300万人もの外国人客が利用しているという。
 30年は、論語で言えば「三十にして立つ」の「而立」の年である。時ちょうど、来年にはいよいよ「大阪・関西万博」が開催され、より多くの外国人観光客たちの来訪が予想されてもいる。自らが立つということは、自立するだけでなく、周りを引っ張るということも意味する。これから先に、多くの人たちの期待を背負いながら、新しい関西の可能性、ひいては、日本の可能性までも描き出す中核施設になってほしいものだと願う。
 今後更なる飛躍と発展を心から念ずるものである。

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9月3日(火) 政権は 短し…されど 世の中は… 岸田政権 末期のあれこれ…

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 今日、岸田政権として最後の「経済財政諮問会議」が開催された。この会合では、45の経済指標を列挙し、これまでの経済政策に関する成果を取りまとめる議論を行ったという。それによれば、33年ぶりの高い水準の賃上げ、名目GDPの史上初600兆円超えなどが大きな成果として示された一方、実質個人消費は、コロナ禍前を下回る状況であり、さらに、国と地方の債務残高が、GDPの2倍を超えて膨張し続けている問題点も指摘された。
 岸田政権が産声を上げてからもうすぐ3年。様々な問題を乗り越えてしぶとく歩んできた岸田政権であったが、本人の自民党総裁選不出馬宣言以降、一気にその存在感が弱まり、何かにつけて「最後の…」というのが、枕言葉に使われるようになってきた。「政権は短し、されど世の中は…」などと、岸田総理はうそぶいているこの頃ではないか。

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9月2日(月) この夏の 平均気温は 過去最高! やっぱり地球は 重病なのかな

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 この日、気象庁がこの夏(6月~9月)の平均気温について発表。それによれば、平年(2020年までの30年平均)よりも1.76度も高かったのだそうだ。これは過去最高記録だという。とりわけ西日本地域では、統計開始以降、最も暑い夏であったらしい。
 この結果は、体感的に、納得できるものであった。猛暑日が長く続いた。夜になっても30度を下らない日があった。夕立もほとんど降らなかった。人と会うと、まず最初に、この暑さはかなわない、という挨拶から話が始まった。
 1900年以降の平均気温の変化グラフを見ると、上下に振れながらも確実に平均気温は上昇一途である。1900年ころと比べると、今は4度も気温が高くなっているようだ。もうこれは一時的現象ではない。大病を身に宿していて、そこからこの高体温が生まれていると考えざるを得ない気がするのである。

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9月1日(日) 祈りの日… 台風被害の チェックを兼ねて 若葉書院で 終日過ごせり…

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 9月の「祈りの日」。本来、この日は第一日曜日であり、若葉書院で「フォレスト・トレンド勉強会」を開催するはずであったが、巨大台風の来襲が懸念されたため、少し前に急遽中止を決定していた。しかし、台風が予想よりも早く無難に通り過ぎ、この日には天候が回復したので、若葉書院に被害が発生していないかどうか、その確認も兼ねて、新宮を訪れた。そして、ここで一日を過ごした。
 特に何かを行ったわけではない。若葉書院自身には何らの被害もなかったので、研究室内の書類整理をしたり、読書をしたり、屋外の草刈りをしたり…といった形で、何をするともなく、流れゆく時間に身を委ねたのである。
 しかし考えてみれば、様々な形の問題が噴き上がっていて、嵐の渦中に翻弄されている地域も多い。そんな社会を吹く嵐に思いを巡らせながらの一日であった。

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